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初恋  作者: 青砥緑
13/20

我儘

 薬師の学校は王都の隅っこにある。いくつか学校がまとまっている区画でお医者様を育てる学校やら、難しい研究をする人を育てる学校やらが並んでいる。薬師は医者より早くなれるし、田舎の村では医者代わりとして重宝がられる。だから学生は沢山いたし寮もあった。二人部屋の相方は私と同じ山村の出身のラナという子で、話が合った。

 初めて住む大きな町や、知らない人でいっぱいの学校に最初は緊張したけれど、慣れてくると学校生活は楽しかった。先生は相手が誰でも分け隔てなく接してくれる。孤児の田舎者だからって意地悪をする人もいない。勉強もマーサ司祭様が読み書きや算数をしっかり教えて下さったから、きちんとついていけた。学費の工面にお金は殆ど使ってしまっていたけれど、それでも学内でできるちょっとした仕事で小銭を稼げば十分やっていける。遊びに行く余裕はなくても、ときどき結婚して旦那様と王都に住んでいるアンナのお家に呼んでもらうので十分だった。

 そう、アンナは結婚したのだ。ウィルではない他の人と。とても幸せそうな二人の元を訪れる度に、アンナや彼女の家族からあれこれと土産を持たされるので、本当に物に困ることはなかった。


 入学してから初めての長い休みの前に、寮に届けものがあった。

 私に贈り物をしてくれる人なんてアンナかマーサ司祭様くらいしか思い当らない。そう思って大きな包みを開くと一枚のカードを添えられた素敵なワンピースだった。

「かわいい!アンナかしら。」

 裾がふわっと広がったドレスみたいなワンピース。私はワンピースを胸の前にあてて小さな鏡を覗きこんだ。下手な色の服を着ると顔色が悪く見えてしまう黄みがかった私の肌色にちゃんと似合う色を選んでくれていた。髪の色にも合う小さな髪飾りまでついている。王都にきて働き始めてから急に大人っぽくなったアンナの見立てはさすがだ。私まで急に大人になったみたい。

「あら、エマ。可愛い服ね。」

 帰ってきたラナが目を輝かす。

「お休み中にどこか行くの?私もお友達と遊びにいくときの為にお姉ちゃんにお下がり貰えないかお願いしてるのよ。」

 ラナのお姉さんは王都で働いているらしい。ときどきお下がりの服をくれるのだと言っていた。

「へえ。そうなんだ。いいのくれるといいわね。」

「うん。それで、これはどうしたの?贈り物?」

 ラナが包みの上に落としたままのカードを指さして聞いてくる。そうだ、カードに見向きもしないなんて私ったら。でもこのワンピースがあんまり可愛くて、ごめんね。アンナ。

 そう思ってカードを開いて目がまん丸になった。


 『エマ。入学おめでとう。遅くなったけどお祝いを送ります。ウィル』


「ウィル?」

 びっくりして口からぽろっと転がり出した名前をラナは聞き逃さなかった。

「男?!」

「え?あ、いや、違うの。なんていうか兄弟みたいな。家族みたいな。」

 ラナは私に本当の家族がいないのは知っている。しどろもどろになる私をみて、にやにやと笑った。

「真っ赤な顔しちゃって。こんな贈り物その気もないのに贈らないわよ。」

 ウィルから入学祝が届くこと自体はそれほど驚かない。とても嬉しいけれど、ウィルなら有り得ると思う。でもこのワンピースはどうだろう。彼は女の子の服なんて分かる人じゃない。いったいどうやって選んだんだろう。そこまで考えたら急にどきどきしていた気持ちが沈んできてしまった。ウィルはアンナと相談して選んでくれたに決まっている。これはお父さんから娘へのプレゼントだ。

 呆然としている私の横でラナは笑う。

「ねえ、知ってる?男性が女性に服を贈るときは、それを脱がすときのことを考えているらしいわよ。」

「え?何?」

「あはは。本当にこの年まで、一度もそんな話聞いたことないの?エマは箱入りね。もううちはお姉ちゃんが色々言うからすっかり耳年増よ。」

 ラナはその後、聞いてもいないことまであれこれ話ながら「それにしても、これ素敵ね。エマに似合うわ。ウィルさんってあなたのこと良く分かってるのね。」としたり顔で頷いた。


 ウィルの心の中にいた人が誰なのか、私は良く知っている。彼が彼女を見つめているところをずっと見ていたのだから。でも彼女はウィルではない人と結婚してしまった。それはウィルも知っているはずだ。アンナが手に入らなくなったから手近な私に目が向いたなんてことあるのかしら。だとしたら、それはとても嬉しいけれど、同じくらい残酷だ。

 問いただしたくても、ウィルは遠い遠い故郷の村にいる。浮かない表情になって服をしまった私をみて、ラナは不思議そうに首をかしげる。

「どうしたの、エマ。私、まずいこといったかしら。良く考えずに喋りすぎるってよく皆に怒られるのよ。」

「ううん、違うの。ただちょっと。」

 ラナのせいではないと伝えたくて首を横に振った。でも、ちょっと、の先が出て来ない。ただ、ウィルのことを思い出して、そして彼と一緒に服を選んでくれた女性のことを想像したら、辛くなってしまっただけなのだという言葉が喉の奥で詰まる。その様子を察したのかラナが真面目な顔で私の肩に手を置いた。

「話してみる?」

 きちんと聞くから、と真剣に問いかけられて慌てて言葉を並べた。

「とても、大事な人からだったから。どういう気持ちで贈ってくれたのかと思ったら、なんだか、ね。」

 説明になっていないのは自分でも分かる。大事な人からもらったのなら、ただ喜べばいいのに私の今の様子はとてもそうは見えないだろう。ラナは気遣わしげに、黙って頷いてくれる。

 ずっと押し込めてきた気持ちだけれど、村と関係の無いラナにだったら打ち明けてもいいかもしれない。

 いつもは快活な彼女の優しい沈黙に甘えて、私はとうとうこれまで友人の誰にも話していなかったことを打ち明けた。村の子供たちから離れて秘密にしなければいけないという心の鍵が緩んでいたのもあったし、一人の胸におさめておくことに限界が来てもいたから。


 ウィルとは同じ村で育ったこと。モンスターに襲われて互いの家族を失って、他の子供たちと肩を寄せ合って生きて来たこと。その小さな家族がどれほど大切か。ウィルとアンナにどれほど感謝しているか。

 ラナは私の言葉の端々から透けてしまうウィルへの思いを見逃さなかった。私もそれを見逃さないでほしいと心のどこかで願っていたから、「でも、エマにとっては、ウィルさんはお父さんじゃないのね。」と訊いてくれたときに、やっと口に出して彼への思いを認められると、ほんの少し嬉しくなった。

「お父さんで、お兄さんだと思ってやってきたの。そう思っていなければ私はあの家族の中に居られないもの。でも。本当は違うわ。」


 置き去りにしてしまった初恋に気がついたのはいつだろう。お兄ちゃんにからかわれながら赤くなっていた頃、きっとすでに始まっていた。村が平和だったときは身近な年長の男の子への単純な憧れだったかもしれない。誰にでも優しくて明るくて。けれど、それだけじゃないということを知って、彼の強さを知って、憧れが恋に変わった。

 避難所の教会で、お父さん達を失って壊れかかっていた私の名前を呼んでくれたウィル。一人ぼっちだと泣いた私にまだたった15歳で、自分も家族をみんな失くしたばかりだったのに父になると言ってくれた。それから本当に毎日、私達のために大人に混じって一生懸命居場所を作ってくれた。誰ひとり見捨てずに、皆が離れ離れにならないで済むように力を尽くしてくれた。

 父のように頼もしく思った気持ちは嘘ではないけれど、その影に恋心をずっと押し隠していた。本当はアンナを見ていたような真剣な眼差しで自分を見てほしいとずっと思っていた。私を特別に思ってほしいとずっと思っていて言い出せなかった。彼を私だけのものにしたいなんて口にしてはいけなかったから。


「大好きなの。」


 初めて彼への思いを口に出して、それだけで涙が溢れた。叶わない想い。叶えてはいけない想い。捨てられない想い。ずっと胸の中にあって、自分で押し殺し続けて、辛かった。何もかもを犠牲にして私達のために頑張ってくれたウィルのために、私は彼の幸せを祈らないといけないと思った。彼のアンナへの想いを応援してあげなければいけないと思った。だから、言えなかった。それに、アンナに嫉妬できるはずがない。最初から敵わない。私さえ黙っていれば、私達の小さな家族はずっと上手くいくと思っていたのだ。アンナがウィルを振り返ってくれさえすれば。

「うん。」

 ラナは私を自分の隣に座らせて、ハンカチを貸してくれた。そして私の膝を軽く叩きながら「一人で我慢して辛かったね。」と一緒になって目を真っ赤にしてくれる。

「アンナはどうしてウィルを好きになってくれなかったんだろうって、思うの。ひどいと思うの。でも、良かったって思うの。アンナがウィルを好きにならなくて良かったって、そういう風にも思うんだよ。」

 アンナの幸せを嬉しく思うのは嘘じゃない。彼女は彼女を最高に幸せにしてくれる旦那様を見つけたから。二人をみればすぐ分かるくらい幸せそうだから、良かったと思っているのは嘘じゃないけれど。あれほど寄り添って辛い時期を乗り越えてきたウィルを受け止めてくれなかったことにわだかまりがないわけじゃない。あれほど彼の心を一人占めにして、それでいらないなんて言わないでと思ってしまったのも本当のことだ。

 そうやってまるでウィルのために心を痛めて、怒っているふりをして、その裏では心底安心した。アンナの結婚相手を聞いたとき、ウィルを一人占めされないで済んだと思って喜んだ。なんて自分勝手なんだろう。

「私の心は醜い。」

 絞り出すと、ぐいっとラナに顔をあげさせられた。そしてパンと頬を叩かれた。大きな音の割に痛みは小さかったけど驚いて涙が引っ込んだ。

「馬鹿。」

 なんでか、ラナは泣きながら目を吊り上げている。

「そういうのは当たり前なの。恋は綺麗なだけじゃないの。そういう風に自分を責めたら駄目なの。」

 言うなり今度は抱きついてくる。

「好きな人なら一人占めしたいと思うし、他の女に目を奪われたら嫉妬するの。その恋が失敗したら喜ぶの。そんなの普通なんだから。そんな世界の終りみたいな顔して自分を責めるようなことじゃないんだから。」


 当たり前?皆、こんなにどろどろした気持ちを抱えているの?


「そうだよ。だから、そんな風に血を吐くみたいに自分を醜いなんて言わないでよ。エマは優しいじゃん。ウィルさんのことも、アンナさんのこともすごく大好きで、大事にしてるじゃん。」

 今やラナの方が大泣きしているからハンカチを折りたたみ直して彼女に返した。それでぎゅっと涙を拭うとラナは赤い目でぽかんとしたままの私を睨んだ。

「もう、アンナさん結婚しちゃったんでしょ?幸せな結婚なんでしょ?じゃあ、もう後ろめたいこと何もないじゃない。もっとさあ、素直に好きだっていいなよ。伝える勇気が無いにしても、せめて素直に好きだって思いなよ。そうじゃないと、エマの気持ちが可哀相過ぎるよ。」

 自分の気持ちが可哀相だなんて考えたこともない。ラナの言葉は、私の心を大きく揺らした。

 好きだと思うことは許されるのだろうか。私はウィルを想って、このワンピースをただ期待に満ちて受け取って、何も知らない少女みたいにわくわくして過ごしてもいいんだろうか。それは、夢のように幸せなこと。

 また村に戻ったら、家族であり続けるために恋心を押し殺さなければならないかもしれない。でも、せめてここにいる間だけ、私はただの恋する娘でいてもいいだろうか。ウィルの娘でも、子供たちのお姉さんでもなく。


「我儘だね。自分であんなに家族が欲しいって思ってたのに、今度はお父さんじゃ嫌だなんてね。」


「いいじゃない。我儘言おうよ。」

 泣きながら、堂々と我儘を言おうというラナに笑ってしまう。そんなこと言う子、私のそばには一人もいなかった。それは許されないことだったから。


 ああ、でも今だけ、ここでなら、私は我儘でいてもいいのかな。

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