温もり
冬。私は16歳になった。
今度は私がこの教会を出て行く番だ。学校は決まっている。王都にある薬師の学校だ。卒業したら先生になって村に戻っているウィルを助けるために私も村に戻る。最初から村に戻ると決めていたから、女が一人で、田舎の村でも続けていける仕事を選んだ。学校に通うお金が出せるか不安だったけれど、孤児のために国が出してくれる国費の援助と、アンナを引き取ってくれた騎士様が少し、それからウィルが必要なものを用立てるようにと司祭様に前もって預けてくれていたというお金で何とかなる目途がついた。王都へいけばアンナがいる。食べるに困ったらいつでも来るといいと言ってくれているから食い詰めて倒れるまでにはならないで済むと思う。ウィルとアンナは相変わらず私の父と母として遠くからでも手を差し伸べてくれる。私は本当に恵まれている。
更にアンナから、大人になるお祝いにと新しいシャツとスカートが二揃い届けられていた。新品の服なんて何年ぶりだろう。もちろん大事に鞄にしまった。
いよいよ明日は出発という夜に、ちょうど私とウィルがそうしたように、今度はルイスと二人で話していた。誰もいない礼拝堂のベンチに並んで腰かける。夜は誰にも邪魔されないとっておきの場所だ。
ウィルがいなくなってすぐにあった喧嘩以来、ルイスはウィルの真似は止めていた。それでも縦に伸びるばかりだった体が段々横にも大きくなって逞しくなり、14歳になった今ではもう拳骨を振りかざさなくても小さい子供は素直に言うことを聞くようになったし、相変わらずいつも優しくにこにこしているから、それだけで場がほんわかして誰も喧嘩をする気にもならない。ルイスはルイスのやり方でちゃんと子供達を見守っている。
「チビ達、もうあんまり小さくないのもいるけど。お願いね、ルイス。」
「うん。」
ルイスは嬉しそうに頷く。ああ、あのときウィルには私もこんな風に見えていたのかな。お願いされて嬉しそうで。その様子が誇らしくて愛おしい。私の大事な弟がこんなに大きくなったと自慢して回りたい。
「学校が長いお休みに入ったら会いに来るから。」
ほら、またウィルが言っていたみたいなことを言いたくなる。
「でも、何か困ったことがあったら呼んでね。すぐに来るからね。」
ルイスはにこにこ頷いた。
「うん。ありがとう。でも大丈夫だよ。皆がいるから。」
それから彼は改めて体をずらして私に向かいあうようにした。背筋を伸ばして言う。
「あのね、エマ。今まで一生懸命、僕達を助けてくれてありがとう。」
それだけで泣いてしまいそうになる。誤魔化すように首を横に振った。
「皆がいてくれたから、頑張れたの。もちろん、ルイスもよ。」
皆の前ではしっかりしなければと、心を引き締めていなければ簡単に崩れてしまいそうになる程、私の心は弱くて、不安なことが多かった。町で親子連れを見れば、胸にぽっかり穴があいているのを思い出したし、風の強い夜はまた突然モンスターがやってくるのではないかと震えたこともある。そのたびに、この子達のために私は強くなければと気を張り直してここまでやってきたのだ。
ルイスは「うん」と少し面映ゆそうに微笑んだけれど、その後また表情を戻した。
「ねえ、エマは昔から頑張り屋さんだけど、その頑張りを僕らのために使いすぎだよ。僕ら、もう大丈夫だから、だから学校に行ったらもうちょっと自分のこと大事にして。」
ルイスは心底心配そうにそう言って、私の手を大きな両手で包んだ。
「心配なんだ。エマはずっとアンナの真似をしてたんじゃないかって。僕らが、そうさせちゃったんじゃないかって。アンナは僕らの大事な家族だけど、エマも同じなんだよ。どんなエマでも、僕らの大事な家族だから。辛い時には頼って。何かあったら、エマも僕らに手紙書いてよ。」
ルイスの心は、彼の大きな手と同じくらいいつもぽかぽかに温かい。その温かさでずっと閉じ込めていた弱い気持ちの蓋が緩んで、ぽろぽろ涙がこぼれた。
本当は、明日から一人になることが何より怖かった。
口や心では一人だと言って嘆きながら、私は本当に一人にされたことはなかった。いつだって近くに誰か優しい人がいてくれた。皆が手を尽くして実現させてくれた進学だと言うのに教会を出る日が近づくにつれて胸の中で不安が育っていくのを押し隠してきた。いつかマーサ司祭様が言ったように、遠くで一人で頑張っている家族がいると思うから、私達は自分の気持ちを奮い立たせて来られた。次は私の番だから、皆のお手本になるように顔を上げて立派にやっていかなければいけない。そう思えば思う程、不安がる自分が情けなくて仕方なかった。誰にも打ち明けられなかった。
「ありがとう。ルイス。」
他にも言いたいことはいっぱいある気がしたけど、何も出て来なくて私は久しぶりに誰かの腕の中で泣いた。一人で布団をかぶって泣くよりずっと温かくて泣けば泣く程、心の中の悲しみや寂しさが消えて行く気がした。
次の日、目はやっぱり少し腫れていたけど私はとても明るい気持ちで3年暮らした教会を出発することができた。私の小さな家族は強く、逞しく、優しくなった。私には困ったら助けてくれる人がいて、帰る場所がある。それはなんて嬉しいことなんだろう。大きくなってしまった子どもたちのために、この冬に編み直したお揃い手袋をつけた手を何度もいっぱいに振ってくれる。私も彼らに負けないくらい手を振り返した。
 




