19 キャラメル
休んだ気のしない休日は、あっという間に終わった。
気を紛らわすように自分の部屋で勉強をして、ご飯の時間になったら寮の食堂に行って、また部屋に戻るの繰り返し。本当はラウンジで綾世先輩と汐梨ちゃんたちと一緒にいられたらよかったんだけど、嫌な視線を浴びることは簡単に予想できたからやめておいた。
その缶詰生活のおかげか、次のテストは結構良い点数を取れるんじゃないかと思う。
……次のテストまで何事もなく過ごせたらの話ではあるけど。
不吉なことは考えない方がいい、それは分かっている。でもどうしても考えずにはいられない。1人、部屋に籠っていても感じる誰かの気配。気づいたら飛んでいる数分間の記憶。おかしなことが起こった時には必ず、口の中でキャラメルみたいな甘さが踊っている。
一見気のせいだとも思えるそれが、何より怖い。
まるで何かが迫ってくるかのように、甘さを感じる頻度は上がっていた。
「——たばみ? おーい方波見、聞こえてるかー?」
はっと顔を上げると、教壇の上から不思議そうにこちらを見ている布目先生がいた。……ホームルーム、もう始まってたんだ。
「大丈夫か? 体調悪いなら保健室行けよ?」
「……だ、大丈夫です。すみません」
「それならいいんだ。よーし、点呼続けるぞー」
先生がそう言った直後、気づいたらホームルームが終わっていた。同時にあのキャラメルみたいな甘さを感じる。まただ。まだ1限も始まってないのに、今日だけでもう3回目。
「スイちゃんどしたの? やっぱり体調悪い?」
汐梨ちゃんのその心配の言葉に、私は緩く首を振る。
「大丈夫だよ。心配ありがとうね」
「ならおっけー」
笑顔でそう言った汐梨ちゃんは、ごそごそと机の中をあさる。それを真似して、私も自分の机から教科書とノート、ペンケースを取り出した。
「えっと今日の一番初めは……異能史の授業だね! 特に気合いを入れないとだよー!」
「そんなに気合い入れるの?」
「入れる入れる! だって布目せんせーが担当じゃん。せんせー、いっつもボクが油断してるところを狙って当ててくるからさー」
「そうなの……?」
特にそんなことがあった覚えはないけど。布目先生は基本的に、解説で話したところか教科書に載っているところに関するものしか当ててこない。……まあ時々、これについてどう考えるか、みたいな風に聞いてくることはあるけど。
「……もしかしなくてもスイちゃん、授業を1から10まで全部真面目に聞くタイプでしょ?」
「それは……そうだよ?」
「やっぱりー? さすがだよスイちゃん。ボクには真似できない……! サボりたくなっちゃう!」
私の方を向いておしゃべりに意識を向けている汐梨ちゃんは、いつの間にか近づいてきた紫色の目隠しをしている人に気づいてないのかもしれない。
「おいおい、ばっちり聞こえてるぞ十川? そういうのはオレたちに知られないようこっそり話すものじゃないのか?」
「布目せんせーだからだいじょーぶです!」
驚くそぶりも見せず、当然というように汐梨ちゃんは親指を立てて見せた。これには布目先生も苦笑いを浮かべている。でも汐梨ちゃんの言い分も分かる気がするな。
そんな風にわちゃわちゃと話していたらチャイムが鳴る。
……確かに自分で考えて、確かに自分で話しているはずなのに、どうしてか自分という人形を操っている気分になった。「笑う」ではなく「笑顔を作る」みたいな変な感覚がする。
そんなことを考えている間にも、授業は始まっていく。
「今日のテーマは、完全犯罪だと思われていた異能が関係する事件についてだ」
慌ててノートを開き、シャーペンをノックして、布目先生が黒板に書いたテーマを写していく。
完全犯罪だと思われていた異能が関係する事件ってどういうこと……? いつもよりえらく抽象的だ。
「今回のは少し番外編で、過去に起きた似ている4つの事件を扱っていく」
先生は4枚の紙をマグネットで黒板に貼り付けた。
それぞれ、殺人、窃盗、ハニートラップ、放火と、起きた年代も場所もバラバラでまるで共通点が見えない。
「早速のネタバラシをすると、この事件は全て、異能をものに込めたという点が同じなんだ。1つ目の事件だったら、時間差で相手を殺すよう食べ物に異能を仕込んでいた。3つ目も同じく食べ物で、異性をその気にさせる異能をちょちょっとな。2つ目と4つ目はそれぞれ対象のものに時間差で、だ」
窃盗の犯人はものを転移させるような異能で、放火の犯人は何もないところから火を起こせる異能、かな。その予想もどんどんノートに書き込んでいく。
……待って、異能は食べ物にも込められるの? あのキャラメルの味ってもしかして……でも、そんなものを誰かからもらって食べた記憶はない。
「これが完全犯罪だと言われていたのは、ちょうど、産業革命の時期くらいまでだな。異能の痕跡を見ることのできる異能者が、そういう事件を暴くための道具を発明したんだ」
「せんせー! しつもーん!」
汐梨ちゃんが勢いよく右手を上げる。
「おー? どうした十川?」
「そもそも、異能をものに込められるなんて話、聞いたことないでーす。どうしてですか?」
「確かにそうだな。その答えは、異能をものに込められる異能者の母数が少ないからだ。それができるのは黒の異能者と紫の一部の異能者だけ。その異能者たちも、日常生活の中でものに異能を込める必要なんてないだろ?」
確かに日常生活で異能をそんな風に使う必要はない。……3年前まであの人たちから作らされていた、私の異能を込めた石はその使い方の応用だったのかな。何気なくやっていたことだけど、どの異能者にでもできることではなかったらしい。
やっぱりあの人たちは、私が黒の異能者だからあんな風に……。なんとも言えないのが複雑だ。
「——スイちゃーん! お昼ご飯行こー!」
……え? まだ1限目も終わってないよね? 教室に備え付けられている時計を見ると、昼休みの開始時間をちょうど差していた。
手元のノートには、解いた記憶のない数学の練習問題が書かれている。もちろん私の字で。しかも、学んだ覚えはないのにこの数式の意味が分かってしまった。今もう一度解けと言われたら確実に解ける。
……何。なんなの、これ……。
やっぱり、キャラメルみたいな味がする。
「スイちゃん? センパイたち来てるよー? 行こ?」
「ぁ……うん、ごめんごめん」
心臓はばくばくと叫んでいるのに、口は動くし、笑えるし、歩ける。
自分の体なのに自分じゃない。まるで他人から操られる人形にでもなった気分だ。背筋に流れる冷や汗は分かる。空気が肌に触れる感覚は分かる。声を出そうとするのは分かる。
怖い、恐ろしい、意味が分からない、どうなってるの……。そんな心が何一つ体に出てこない。手は震えていないどころか温かい。呼吸も普段通りにできる。血が通っている感覚があるから顔色だって悪くないはずだ。
「——陽翠、キャラメル食べる?」
綾世先輩が差し出してきたのは、購買で売っている箱に入ったキャラメルだった。
また、飛んだ……。まるで、残りの数字が分からないカウントダウンをされているみたい。目の前には空の食器が並んでいる。
「……ありがとうございます。いただきます」
この喉の奥までまとわりつくような気味の悪い甘さを、本物のキャラメルで上書きしてしまいたい。小さな塊を1つ受け取り、銀色の紙を剥がして口の中に放り込んだ。
——……この味、同じ。
さっきから感じていたものと、全く同じ味。そう気付いた瞬間、ふっと体の感覚が離れていった。
目の前が暗くなる。知らないはずの記憶が視界を走っていく。
先週の金曜日、ラウンジでの勉強会中にキャラメルをもらった。
その前の週の火曜日、昼ご飯を食べた後にキャラメルを食べた。
私が異能を暴走させた時、気を失う前、キャラメルを口に入れられた。
初めて会ったあの日、「秘密だよ」ってキャラメルを渡された。
先輩の異能は確か——精神干渉系。それも、黒の異能者というレベルの。
——……どうしてですか、綾世先輩?
その言葉が音になったのかは分からない。




