15 寂しく甘い
『宇治響、法月綾世、十川汐梨、方波見陽翠。以上の4名は今日の昼休みに職員棟の生徒指導室へ来るように』
そんな校内放送が流れたのは、汐梨ちゃんを発見した翌日、朝のホームルームの直前のこと。明日に回すって言っていた事情聴取のことで間違いないはずだ。何事かとクラスのみんながじろじろと見てくる。
視線には一応慣れているけど、こんなにも露骨に見られるのは久しぶりだ。少し、息が詰まる。以前なら何の問題もなかったはずなのに。……左隣の席にはまだ誰もいない。
あの後、すぐに寮へと帰って汐梨ちゃんを部屋まで送り届けたし、「寝坊しちゃいそう」ってぼやいていたから、また事件に巻き込まれたとは考えにくい。でもやっぱり心配するものは心配してしまう。異能が暴走したばかりなんだから。
事情を聞いたり、保健室の先生に診てもらったりと、「見つけ」た後もやらなければいけないことはいくつかあった。でもそんな中、夜10時を過ぎて突然うつらうつらとしてきた宇治先輩を見かねて、布目先生が「今日はもう帰るか」と提案したのが解散の合図だった。
早足で、かつ、こっそりと寮に戻り、私は寝る準備を高速で終わらせてベッドに入った。何の夢も見なかったくらいには疲れていたらしい。
視線なんて気にしてないように異能史の教科書を読んでいたら、周囲の視線もだいぶ気にならなくなってくる。チャイムが鳴ると同時に布目先生が「おはよー」と教室へと入ってきた。
汐梨ちゃんの遅刻が確定してしまった。本当に大丈夫、だよね? ……うん、きっと大丈夫、疲れて起きられなかっただけ。そのはず。
布目先生はぐるりとクラス全体を見回し、私の左隣の席で視線を止める。……目隠しに隠されていて実際の視線の動きは分からないけど、間違ってはいないはず。顔の向きとその方向を向く理由を考えてみても、汐梨ちゃんを気にしていること以外思いつかない。
「今日も盛り上げ役は休みか? ひとまず出席取るぞー」
すぐに切り替えた先生は、にかっと笑顔を浮かべて言った。ちょうどその時、きっちりと閉まっていた引き戸が大きな音を立てて開く。教壇近くの出入り口から入ってきたのは、噂の汐梨ちゃんだった。
その薔薇色の前髪は少し崩れている。いつも崩れの「く」の字もないのに。……やっぱり寝坊だった? みんなの注目を浴びながら肩を上下させている汐梨ちゃんは少し呼吸を整えて、「せ、セーフですよね!?」と叫んだ。
「……残念ながらアウトだな、十川。3分遅刻だ」
「えぇー……いいじゃん3分くらいー! 誤差ですよ、誤差!」
「おー、そうかそうかー。とりあえず席に着けー?」
軽くあしらいながらも誘導する先生に、汐梨ちゃんは口を尖らせながら従う。想像以上にいつも通りだ。こっそりと、息と共に緊張を吐き出した。
それから、昨日よりもわいわいと盛り上がったホームルームは終わり、1限目の異能史の授業が始まる。もちろん担当は布目先生。入学してから一通りの授業は受けてきたけど、ダントツに面白いのがこの科目だ。
ノートを広げて、今回の単元が載っている教科書を開いて、シャーペンをノックして……よし、準備万端。
「今回は、異能者が異能者を襲った事件についてだ。この事件が起きたのは今から13年前、お前たちがだいたい2歳か、3歳のころの話だな」
思ったよりも最近のことだ……。きっと、当時は相当な話題になっていたんだろうけど、全くと言っていいほど記憶にない。あの人たちと一緒に住んでた時はテレビを見るのも外に出るのも本当に稀だったし、何より小さかったから当然と言えば当然なのかもしれないけど。
……少なくとも、あの人たちと縁を切った3年前から今までで、その話を聞いたことはなかったはず。
13年前、異能者が異能者を襲った事件……。ノートを取るのは忘れない。
「被害者は異能省の役人。犯人は、その異能者が家族と友人と過ごしているところを襲って、もろとも殺そうとしていたらしい。襲った方の異能者は毒を作り出す異能を持っていて、解毒できるのもその犯人だけ。被害者は一緒にいた友人を庇ってその毒をくらい、もちろん犯人が解毒するわけもなく、……帰らぬ人となった。これが事件の概要だ」
布目先生の声はいつもより淡々と聞こえた。……感情を乗せないように話している? もしかすると、布目先生もその事件に何か関係があったのかもしれない。その場を目撃したとか、その被害者が知り合いだったとか……。
いや、もっと近い関係だったのかも。
布目先生は、授業時間外に授業をしない主義だったり、無理をしてまで汐梨ちゃんを探そうとしたりする、先生の鑑みたいな人だ。公私混同なんてしない気がする。……もしもするのであれば、余程の何かがある時だけ。
確証なんて何もないけど、あながち間違ってはいない気がした。
「犯人の動機は、『自分の地位を奪った被害者が憎かったから』。……完全なる逆恨みだ」
一瞬だけくしゃりと顔を歪めた直後、先生はいつものような飄々とした笑顔に戻っていた。さっきまでの影は、もうどこにもない。
布目先生、やっぱり先生ですね。先生として、今の対応は間違ってなかったと思う。たぶんみんなは、さっきまでの表情にどうしたんだろうって思っても、先生がいつも通りに笑っていたら気のせいかなってなるから。私だって、重ねるものがなければそうだったと思う。
……最高な先生だけど、ひとりの異能者としては見ていられない。苦しさを、辛さを、悲しみを、そういうものを隠すのは、酷く大変なことだから。……だからと言って、私には何もできない。
結局、その後の授業では、一瞬だけ感じた布目先生の後悔のようなものと、見知らぬ被害者の顔がちらついて、全く集中できなかった。ノートは忘れずに取ったから特に問題はないと思っておきたい。
「——スイちゃーん? スイちゃん聞いてるー?」
「あ、……ごめん。聞いてなかったかも」
「だいじょーぶだいじょーぶ! 今度はちゃんと聞いてねー!」
しっかり頷くと、茶目っ気たっぷりの笑顔が返ってきた。
「布目せんせーから『昼休み、職員棟の生徒指導室に集合な。方波見も一緒だから安心しろよ?』って言われたんだけど……やっぱり例の話、だよね?」
汐梨ちゃんは布目先生のモノマネをして言う。最後の言葉はボリュームが下げられていた。……そういえばそうだった。昼休みに綾世先輩たちと4人で生徒指導室、だった。
「……そうだと思うよ」
「やっぱりそーかぁ。じゃあ、行かないとね?」
「……え?」
汐梨ちゃんは教室の前の壁にある時計を差す。まだそんな時間じゃな……くない? ……いつの間に? 昼休みが始まったっていう記憶がない。動かされた汐梨ちゃんの指の先——教室の出入り口には、にこにこと手を振っている綾世先輩と、スクエア型のメガネをくいっと上げた宇治先輩がいた。
「ご、ごめん。昼休み始まってたんだね」
「そうだよー! もうとっくに昼休みだよー!」
目を見開いた後、人懐っこい笑顔になった汐梨ちゃんから手を引かれて、先輩たちの下へ向かった。
……さっきからずっと、口の中がキャラメルみたいに甘いのは気のせい? どうしてか、綾世先輩の背がとても寂しく見えた。「どうかした?」と振り返った先輩は、いつも通り、何を考えているのか分からない風に笑っている。
「いえ、何でもないです」
そっか、と笑った綾世先輩からは、やっぱり寂しさの気配がした。




