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訪問看護の日

 看護士の絵津子は、その日、体調が悪かった。何だか、妙に眠気がして、朝から何杯かコーヒーは飲んだのだが、起きた気がしない。惚けている。まったく、やる気がしない。それでも、看護ステーションに勤務しているという職務上、仕事に支障があってはならない。そこで、行きがけのコンビニで、フリスクを買って、何錠も食べ、眠気を吹き飛ばし、仕事の訪問看護に出た。車は、裏の駐車場に停めてあるから分かる。何とか目を擦って、出たわけだ。

 今日は、訪問先が3軒ある。1軒目の崎坂さんのところでは、年配の崎坂さんに、差し入れで出された麦茶と和菓子をそのまま手をつけずに忘れて帰ったし、2軒目の田上さんの家では、惚けて裏口から入って、飼い犬のベスに噛みつかれそうになったりと、散々である。それで、絵津子は、もう一度、気を引き締めて、車に乗り込み、フリスクを何錠も噛みつぶして、苦い顔をしながら運転した。

 あと1軒だ。確か、えっと、そうそう、岡田さんのアパートである。それは、住宅街から少し離れた児童公園の傍らにある。

 岡田さんのアパートの前に車を停めて、少しふらつく足取りで、錆びた鉄の階段を上り、2階の通路に出る。確か、手前から、4番目の部屋だ。

 ピンポンと玄関のチャイムを鳴らす。血圧計や酸素濃度計やレポート用紙など必要なものは持っているはずだ。一安心して、玄関の前で待ったが、あの岡田さんが出てくる気配がない。おかしいわね?あたし、部屋、間違えたかしら?

 何ともいえない10分以上の待ち時間である。おかしい。部屋の表札も、ちゃんと「岡田」となっている。あの皺くちゃだらけの顔で、

「いらっしゃい、お嬢ちゃん」

と出てくれる岡田さんが出てこない。嫌な予感がした。看護士の直感であろうか。何かが、岡田さんの身の上にあったのかもしれない。何せ、高齢者だ。何かあってもおかしくはない。そこで、絵津子は、思い切って、扉のノブを回して、中へ入り込んだ。

 中は、簡素なアパートの一室である。玄関を入ると、手狭な居間がある。隅の流し台には、山積みになった食器類があるし、あとは、小さな冷蔵庫と電子レンジ、中央に小さな四角い座卓が置いてあり、座布団も2枚、敷いてある。岡田さんは、趣味が読書と物作りだから、置いてある本棚には、たくさんの書物があり、岡田さんの作った折り紙の作品や、木製細工の作品がガラス越しに飾られている。いい出来なのは、惚けていても分かった。

 それにしてもである。当の岡田さんがいない。どうしたんだろう?どこかへ行ったのか、それにしても、岡田さんも、もう81歳だ。認知症になって、近所を徘徊している可能性もある。これは大変だわ。急いで探さないと。

 とりあえず、奥の寝室を確認する。寝てる可能性もある。しかし、奥のベッドも布団が乱れたままで、だれもいない。

 絵津子は、不安になってきた。どうしよう、もしも、万が一のことがあったら、と考えているうちに、眠気も吹き飛んだ。

 裏の窓を開いて、外を見る。外は、殺風景な裏庭だ。だれもいない。どこ行ったのかしら?

 とにかく、近所だけでも探してみよう。それで駄目なら、警察に通報して協力して貰いましょう。

 扉を出て、勢いよく階段を駆け下りる。もう、眠気はなくなった。あたりの道路には、人影もない。野良猫が、軒の上で、寝てるくらいだ。どこだろう。

 絵津子の頭にピンと来た。児童公園だ。隣にある。よく、岡田さんは暇になると、そこで煙草を吸いに出ると言ってたではないか。急いで、アパートを回り込み、隣の児童公園を覗いてみる。

 誰もいないか?公園には、ジャングルジムだの、ブランコだの、シーソーだのと、並んでいるが、子供達の姿はない。隅には、草の生えた芝生のようなものもある。そしてである。その芝生で、意外にも、当の岡田さんを見つけたのである。

 岡田さんは、芝生の上で、倒れていた。動いている気配はない。思わず、絵津子は、駆け寄り、岡田さんを抱き起こすと、

「岡田さん!岡田さん!」

と叫んでいた。


「ビックリさせないで下さいよ、こっちは、死んだのかと思ったんですよ、人騒がせな」

 岡田さんは、ベッドに寝転がって、煎餅をかじっている。そして、

「ビックリしたのはこっちだよ。せっかく、気持ちよく寝てたのに?」

「それが紛らわしいんです。寝るんなら、ベッドで寝て下さい」

 岡田さんは、床に置いた熱いお茶をすすって、

「どこで寝ようと人の自由さ。それより、これ、何だと思うね、お嬢ちゃん?」

 岡田さんが手にしているものを、絵津子は受け取ると、しげしげと眺めた。それは、四つ葉のクローバーであった。

「苦労したんだぜ、それ、見つけるの。2時間はかかったな」

「へえ、こんなもの、よく見つけましたね、どうするんです、これ?」

「俺、本好きだろう、本のしおりにしようと思ってさ、いわば、押し花ならぬ押し葉だ」

「また物作りですか?懲りませんね、岡田さんは」

「うまく出来たらプレゼントするよ。君も本くらい読むだろう、四つ葉のクローバーは、幸運のお守りだよ、持っとくといい」

「どうもありがとうございます」

「それにしてもさ」

と岡田さんは、煎餅を食べ終えて、指を舐めながら、

「さっきから不思議に思ってたんだけど、今日は木曜日だよな、訪問看護って金曜じゃなかったのかい?」

 どうやら、絵津子は、見事に3軒目も惚けたようであった..........。

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