熱の出た日に
男はその日、数年ぶりに風邪を引いた。布団から出れないと思って、畳の上を引き摺ることしばし。心配した妻が部屋に入って来た。
「貴方、熱があるわよ」
妻はそう言うと、男の額を撫でた。しかし、男は何を思ったか立ち上がると、そのまま着替え始めた。
呆然とする妻。
「あー、熱冷ましの薬あるだろ。ハクマに貰ったやつ。それ飲んでいく」
馬鹿じゃないの、と妻は思った。熱冷ましなんて気休めだと、あげた方も言っていたではないか。
「今日ぐらい休みなさいな」
「いやあ、会議入ってんだよなぁ……」
「そんなふらついて行けるものですか」
妻がついに強気の口調で言っても、男は渋ったままだ。
すると、部屋の中に息子が入ってきた。息子は心配そうに父親を見る。大丈夫、と問う息子に対し、大丈夫だと男は白い歯を見せた。
男の横にいる山羊も心配そうに男を見ている。
「……じゃあ、行ってく」
「いいから黙って寝てろって言ってんのよ!」
妻の低い声が響き渡り、男と息子は顔を上げた。
般若としか言いようのない顔。炯々と光るその目が男を捉えた。
妻は男の体にしがみつく。そしてそのまま綺麗な後ろ反り投げを披露した。
気絶した男を見て、息子は母親を恐る恐る見た。
「……親父に怒られんだよ……」
しばらくして、いじけたような声が布団からした。妻は呆れたように笑う。
「ここにはいないわよ」
妻は言いながら、湯呑みを夫の横に置いた。