深海進 第2話: 真っ直ぐに
「少しその……厄介な生徒が担当クラスでおりまして……」
「はあ、不良とかでしょうか」
「あ、いえ、厄介というと言葉が強すぎたといいますか、不良ではないんです」
不良ではなく、教師から見て扱いづらいというと、成績は良いけどあまり学校に来てくれないとか、そういう人だろうか。
風祭さんは少し考えるように前を見つめると、ぽつりぽつりと話しだした。
「その子、私の担当している教科の成績だけ良くなくて……他の教科だと平均以上なのですが、私の教科だけ不自然に点数が低いんです」
「単純にその教科が苦手というわけではなく?」
「それが……少し怪しいところでして……。わざと点数を下げているような印象があるんです」
「……なるほど」
わざと点数を下げるなんて、高校なら今後の大学受験とかにも響くだろうし、それが本当ならどういう魂胆だろうか。
「あの……私、自分の担当している教科が大好きなんです。大好きすぎて、元々会社員だったのに、この教科を布教したくて、先生になったんです」
「それは、凄いですね」
「はは、ありがとうございます。でも、私、たまに周りが見えなくなってしまうことがありまして……自分の気持ちを他人に押しつけてしまう癖があるんです」
「……」
なんとなく、さっき私を見てグイグイ迫ってきたのも、そういうことだったのかなと思った。
「押しつけてしまうから、周りは引いてしまう。この子だってこの教科のことが嫌いなわけじゃないんだって思って、しつこくしてしまう。一応、私の授業の評判は悪くないですし、テストの平均点も基準内に収まっています。でも……」
風祭さんは空を見上げて、ため息をついた。
「やっぱり、私の教え方がよくないんじゃないかと思って。私はお仕事ではなく、ある種の『推し事』として教師をやっておりますが、その押しつけがましさが、良くないんじゃないかと……」
……とても真面目な人なんだな。
なんだか、好きなことに真っ直ぐな姿が、前までのお兄ちゃんと似ている。
好きなことっていうのは、いつだって主観で決まることだから、人が共感してくれるかどうか、保証はない。
実際、人が熱狂していて、自分がそうではないものって、親しい人ではない限り、とても他人事のように感じるし、誰かに何かをおすすめするというのは難しい。
でも、前までのお兄ちゃんや、今の風祭さんみたいに、好きなことでも何でも、何かに真っ直ぐで真剣な姿って、私はカッコいいと思う。
「その生徒さん、いつも聞き耳持たずって感じなんですか?」
「……いえ、私のことを鬱陶しがっているというよりかは、聞く前から自己完結して諦めているような雰囲気があるかもしれません」
「諦めですか」
「はい、授業中に手が止まっているときですとか、何度も声をかけているのですが、分からないというよりは、分かっているのにあえて何もしないという感じで……。今日はわざと点数を下げているのではないかという話を初めて直接切り出してみたのですが、『先生は悪くない。全部自分のせいだ』というようなことを言われまして……」
「それなら、先生の熱意が押しつけがましいから後ろ向きになってしまっているというわけではないんじゃないですか」
「……確かにそうですね。ちょっと客観的でなかったかもしれないです。すみません」
「いえいえ、全然謝ることじゃないですよ」
風祭さんは謙虚——というよりかは、自分のことを下げがちな印象がある。
先生というよりは、後輩のような振る舞いだと感じる。
それはつまり——。
「風祭さんは、相手のことを尊重しすぎているんじゃないですか」
私がそう言うと、彼女は少し驚いたように目を開いた。
「尊重ですか……? 私って、自分本位すぎるところがあると思っていたのですが……」
「そうやって、他人のために自分を疑えるところが、相手のことを尊重してる証拠だと思いますよ。多分、風祭さんの生徒さんが本当に風祭さんのことを疎ましく思っているのなら、話を聞く体裁なんて取らないと思いますから」
私は出来る限り柔らかく、諭すような口調で風祭さんを励ました。
「そもそも、人の考えていることなんて、直接相手の口から聞くまでは全部想像なんですから。相手が本音で話すまで押し続けてもいいんじゃないかと私は思いますよ」
そう言いながら、自分もお兄ちゃんに対してちゃんと正直になれていないところがあることに気がついた。
私自身も風祭さんに共感するところがあるから、彼女とこんなふうに話しているのかもしれない。
私の話を聞き終えると、風祭さんは夕焼け空に向かって大きく息を吸って吐いた。
それは落ち込んだときのため息ではなく、安堵や決心のこもったものだった。
「……その、ありがとうございます。こんな時間に、見ず知らずの私を励ましてくれて」
「いえいえ。一目見た時からなんだか放っておけないなと思ったので」
「天使ちゃん……」
「その呼び方はやめてください」
私にそう言われると、彼女はまた決まりが悪そうに、指で頬を掻いた。
「……じゃあ、私はそろそろ帰るので、また何かあったら、この公園で話しましょう」
「はい。ありがとうございます。お時間いただきありがとうございました」
風祭さんはお礼を言うと、深々と頭を下げ、少しはにかんでから歩き去っていった。
最後まで真面目な人だなと感じた。
私も、少しずつでも、お兄ちゃんに話したいこと、話していけるようになれるといいな。