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エピローグ

 高校二年生に進級する直前の最後の日曜日、僕は鈴之助と水萌、そして進、風祭先生と近所の大きな公園にお花見しに来ていた。

 風祭先生は意外にもお酒をよく飲むらしく、教え子の僕らの前で何の躊躇いもなく酔っ払っている。

 学校にバレたらえらいこったなと思うのと同時に、もう一つ、中学生みたいな見た目をしている女性がアルコールの缶をぐびぐびと煽っている光景がやたらとプロブレマティックに見えた。


「水萌、お花見やってみてどう?」


 僕は夕暮水萌とお互いを呼び捨てにする関係になっていた。

 楽しそうだけどどこか物足りない様子の彼女は、やっぱり何か腑に落ちていないみたいで、頭を捻らせていた。


「うーん、やっぱりお花見って、桜を見ること自体が楽しいわけではない気がするね……」

「確かにそうだな」


 先生の介抱に努める鈴之助が苦笑していた。

 美しいものを見る行為自体は満足に足り得るものだけども、それは楽しさを期待すべきものではないのだろう。

 もっとしみじみとした、情感たっぷりのシチュエーションでこそ、桜は輝くのだ。


「桜といえば、チェリーボーイという言葉があることはみなさんご存知かと思われますが……」


 唐突に先生が人差し指を立てて何かを解説し始める。

 たかが外れてからの先生はこういう突発的な行動が多い。


「チェリーというのはもちろん英語のcherryのことです。ではなぜcherryが貞操観念に紐付いたのか、これはご存知でしょうか? 恐らくご存知でないと思います。みなさんは純粋無垢なティーンネイジャーですからね」


 先生が早口で捲し立てる。こういう時は決まってろくなことにはならない。

 次の展開は僕が予想していた通りだった。


「そう、このcherryというのは英語のスラングでしょじょ——」


 先生がよからぬことを言い切る前に、進が彼女の頭をチョップして遮った。


「天使ちゃん、まだ先生の授業の途中ですよ」


 先生がむくれた顔で駄々っ子のように進を睨む。


「加減を覚えてください。好きなことを語るのはいいことですが、常識は守りましょう。ここは公の場でもありますし」


 自分より一回りも年下の進に諭されて、先生は「はぁい」と聞き分けの悪い子どものように拗ねた。

 昨年までの堅苦しい態度が嘘のようだ。


「——お花見はイマイチだったけどさ」


 喧騒の中で水萌が殊更明瞭に声を立てる。


「こうしてみんなで賑やかな時間を過ごすのは楽しいよね」


 桜の木下で穏やかに笑う彼女は、この瞬間世界で一番美しい存在のように感じられた。

 今経験しているものがつまらなくたって、同じ時間の中で面白いものを見出すことができる彼女のことを、僕は尊敬している。


 意識していることだけが自分の琴線に触れるとは限らない。

 意図して起こした行動の中に、全く予期せぬ感情が生じるかもしれない。


 僕にとってあの遠足は——水萌と鈴之助とグループを組んだことは、決して良いことではなかったはずだった。

 僕はきっと、自分はまた惨めな思いをするのだろうと身構えていた。

 わざと水たまりに足を浸けることで、不快感を先読みして、感情の行き場を定めてしまうように。


 だけど、世界はそんな都合のいいようにできていない。

 自分の行動に意図した通りの結果が必ず伴うなんてことはない。

 全ては繋がっていて、広がっていて、可能性は無限大だ。


 水たまりを踏み歩けば、足が濡れる。

 足が濡れたら末端が冷えて全身に不快感が巡っていく。

 自分は何て無価値で愚かな人間なのだろうと自嘲する。

 そしたら、なんの脈絡もなく、美少女が現れて、笑顔でサムズアップするかもしれない。

 オモシロセンサーがどうとか、訳の分からないことを言い出すかもしれない。

 その出来事から端を発して、色んなことが起こり、過去のちょっとしたトラウマを克服できてしまうかもしれない。


 だから、人生って分からない。怖い。恐ろしい。面白い。


 僕たちは常に水たまりを踏み歩いている。

 それはもはや、ただ歩くことと同義でさえある。


“Hi”


 僕たちの空間に、知らないものが割って入ってくる音がした。


“Can I have your help?”


 用件も何もかも不明瞭。

 だけど僕らはもちろん、こう答えるのだ。


“Sure!”


 ——きっと、面白いことが待っているから。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

見切り発車で進めてしまった本作でしたが、着地点を見つけられてホッとしています。

もしも、本作から何でもよいので何かを見出していただけたなら、それ以上に幸せなことはありません。

改めて、お礼申し上げます。

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