深海光 第12話: 気づき
「二人のことは最初からただならぬ関係だと思っていたけど、そんな過去があったんだねえ」
「大袈裟に言ってるけど、普通の人だったらその日のうちに方が付く些細なことだからね」
「いやいや、私が日々些細なことを全力で楽しんでるみたいに、些細なことに全力で悩む人だっていると思うよ」
「高燃費な生き方だね……」
「でも、些細なことを深く考えて、気づくことが多い方が、人生面白いと思わない?」
僕たちは水族館を出て、大道芸を見た後、地下鉄に乗って次の行き先である道頓堀に向かっていた。
電車に揺られながら、鈴之助を挟んで立っている僕と水萌さんが会話をする。
鈴之助はいつもより静かだけど、表情は晴れやかだ。
「気づかない方がいいことに気づいたときはどうするの?」
僕は水萌さんに聞いた。
声色に否定的な含みはない。今はただ、純粋に彼女の意見を聞いてみたかった。
僕は英会話の授業でしどろもどろになったとき、たった一言「深海くんって英語の成績トップじゃなかったっけ」という声に気づいたから、これまで後ろ向きな生活を送っていたのだ。
意図しない気づきは、人生を不本意な形で変えてしまう可能性がある。
それなら、何事もない、平坦でつまらない人生を歩んだ方が怖くない。もしくは、ポジティブだろうとネガティブだろうと、想定される出来事が確実に起こるような行動を取った方が安心する。
だから、僕は水たまりを踏み歩いてきた。
「気づいたことが自分にとって良くないことだったとき、どうすればいいのかって?」
「うん」
「そんなの知らないよ」
「え」
あまりにもあっけらかんと言うものだから、間抜けな声が漏れてしまった。
水萌さんは普通の人よりも先を歩いている印象があったから、何に対しても鋭い回答をするのではないかと思っていたけど、今の彼女はとても朗らかに、本当に何も分からないという顔をしている。
「私にはオモシロセンサーっていう、面白いことが事前に分かっちゃう体質があるわけだけどさ、逆に言えば面白くないことは事前に分からないんだよ」
水萌さんが一般論を話すかのような口ぶりで自論を語る。
「……だから私も、オモシロセンサーに反応しない、面白いかも分からないことを試して、それが自分にとって面白くないことだって気づいたときはガッカリする。でもね、嫌なことに気づきたくないからって、自分が面白いだろうと感じる、心地いいことだけやってたら、自分の感性は広がらない。私のオモシロセンサーは私の感性を基準にしているから、オモシロセンサーに従うだけじゃ、人生の面白いことは増えていかないんだよ。だから、私は色んなこといっぱい考えて、気づきを増やして、人生を豊かにしていきたい」
水萌さんの話を聞いて、鈴之助はなるほどなあと感心したように、手を顎に当てて頷いていた。
だけど僕は、彼女の話に納得しかると同時に、とある矛盾に気がついていた。
「……あのさ、水萌さん」
「なんだね、光くん」
しばらく語り続けていたからか、少し冗談めかして気取ったような態度で、水萌さんは相槌を打った。
「……僕の勘違いだったら謝るけど、水萌さんはもしかしてとても臆病だったりする……?」
僕は恐る恐る探るように彼女の顔を覗き込んだ。
すると、おそらく図星だったようで、「よく気がついたね」と生徒が難問を解いたときの先生のような、満足げな笑みを浮かべていた。
「水萌ちゃんが臆病? 俺には全然そんなふうに見えないけどな」
確かに鈴之助の言うことも分かる。
あまり絡みのなかった僕らに声をかけて同じグループになろうと誘ってきた彼女の姿は勇敢というか、恐れを知らない人のものだった。
……だけど、それは全部オモシロセンサーの導きによるもので、彼女にとって挑戦ではなかったのだ。
彼女はずっと、彼女が面白いと思うことばかりやっていた。
それは、僕が水たまりを踏み歩くのと同じように、自分の感情を固定してしまうことなのではないのだろうか?
特定の行動の結果として、自分がどう感じるのか分かるから、安心する。不安にならない。
そんな窮屈なことをする人は、臆病と表現するほかないだろう。
「まあ、鈴之助くんや他の人の視点で、客観的に見れば、おかしなことや普通は勇気のいることを私は普段やっているのかもしれない。でも、実際のところ、私は私がやっていることをおかしなことだとも勇気を振り絞らなきゃできないことだとも思ってないんだ。私はいつも安全圏の中にいる」
少し目を細めて車窓から外に広がる街の景気を眺めながら、彼女は無感情な声色でそう言った。
「私が光くんと鈴之助くんに近づいたのはね、オモシロセンサーが反応していたのもあったけど、一番の理由は、二人のことが分からなかったからなの。面白いことが分かっていても、でも二人のことは何も分からない。それなら、もしかすると自分の感性の内からも外からも面白いと感じられるものに出会えるかもしれないと思ったんだ。端的に言えば、センサーの反応しない、保証のないものに挑戦できない臆病な私にとって都合がよかったってこと」
言葉通りに受け取ると、とても打算的で、寂しい感じがするかもしれない。だけど、僕はそれよりも、初めて彼女に親近感のようなものを覚えていた。
彼女もまた、水たまりを踏み歩いていたのだ。
確定した未来に安心感を覚えて、臆病な自分を咎める日常。向かう先は違えど、僕らの行動は一致していた。
「なんか……光と水萌ちゃんって似てるんだな」
「そお?」
「ああ。だからこうして仲良くなれたのかもしれないな」
鈴之助が柔らかい笑みを浮かべてそう言うと、水萌さんは何かに気がついたように「あ」と声を漏らした。
「……そっか。私、ちゃんと今二人の友達なのか」
「逆に友達以外のなんだと思ってたんだ……。少なくとも俺は、この遠足が終わって、班っていう体裁がなくなっても、多分仲良くしてる気がするぞ」
「……まあ、僕も、遠足が終わったら即解散って気はしないかな」
なんだかんだで、この三人での関係性に心地よさを覚えているのは嘘じゃない。
これから誰かと一緒に行動する必要がある場面では、きっと二人についていくだろう。
「……あのさ、ちょっと嫌なこと言うけどさ。私二人と友達になろうって思ってなかったんだよね。友達になろうっていうよりかは、自分が楽しいことをしようって、そう思ってた。だから、きっかけはオモシロセンサーだったかもしれないけど、今こうして二人とちゃんと友達になってることは想定外なんだ」
遠くの景色を眺めていた水萌さんが、僕ら二人に視線を向ける。
「自分が意識せず、意図せず、気づかないうちに出会える面白いこと、楽しいことってあるんだね」
きっと、今までオモシロセンサーに頼っていたことで、自ら積極的に何かに触れようとしない限り、自分の人生を豊かにするものには出会えないと思っていたのだろう。
だけど、自分を豊かにするのは、意図して経験することだけじゃない。
知らないうちに経験していたことが、後になって大切なことだったと気づくこともある。
未来を確定させるために水たまりを踏み歩いていたって、関係ない。
否応なく、音も無く、介入してくることはあるんだ。
良いことも悪いことも。
水萌さんにとって僕たちと友達になったというのはそういうことで、そして、良いことだった。
極論なのかもしれないが、未来に対して感じる感情は押し並べて妄想でしかなく、結局人のすべては過去か今にしか存在しないのかもしれない。
「ふふっ。なんだか楽しくなってきちゃった。友達との遠足」
少しだけ悪戯っぽい笑みを滲ませて水萌さんが呟く。
——あの日、水たまりを踏み歩いて輝いていた彼女は、特別な人間でもなんでもなかった。僕と同じ、普通に悩んで普通に迷う人だった。
それなら、あの瞬間に見た輝きはきっと、彼女自身のものではなくて——。
僕はまた、気づきに胸が高鳴るのを感じていた。




