深海光 第11話: 繋がり
館内を進んでいくと、アリューシャン列島、モンタレー湾、パナマ湾、エクアドル熱帯雨林……と色々続いて、太平洋の水槽に辿り着いた。正直横文字の地名は馴染みがなくて、展示の内容は頭に入ってこなかったけど、自分もこの生命の輪のうちの一つであるのだと自然に感じさせられるような没入感があった。
「すべてのものは、つながっている」というのがこの水族館のコンセプトらしい。
自分とは関係のないように見える、違う形をした生き物でも、お互いに密接な繋がりがあって、相互に影響しあっている。そんなメッセージは、ふと、外国の文化や言語に憧れがあった過去の自分を想起させた。
あの頃の僕は世界の全てと繋がっていて、どこにでも進むことができて、どんな出会いも想像することができた。
改めて考えてみると、僕はその未知の可能性が広がっていく感覚が好きで、英語を学んでいたのかもしれない。
そんなことを考えていると、先ほど出会った西洋系の外国人男性の言葉が僕の頭の中に反響した。それは何でもない、ありきたりな言葉で、誰だって反射的に使うもの。だけど、たったそれだけの言葉で、僕は自分とは程遠いと思っていた何かと繋がれたような気がして、少しだけ胸のうちが熱くなるのを感じていた。
自尊心という壁で断絶していた外の海に、僕は輝きを見出している。
いや、そんな輝きがあったことを思い出したのかもしれない。
「下から見るジンベエザメも中々の迫力だね!」
「同じものを違う視点で見るのって面白いよな。昔光に『ジョーズ』を何度か見せられたときも、スリラーとして観るか、ヒューマンドラマとして観るか、意識を変えるだけで不思議と飽きなかったんだよな」
「へー。っていうか、昔の光くんって鈴之助くんに無理やり好きな映画布教するくらい積極的だったんだね〜」
「別に、強制してたわけじゃ……」
僕は鈴之助を一瞥すると、彼は何とも捉え難い苦い笑顔を浮かべていた。
「え、僕ってそんな強引だった……?」
「うーん、まあ、強引というか熱量は凄かったよな。そこまで言われたら付き合うか……って思わされるくらいには」
「そうだったのか……」
今の僕は基本的にどんな物事に対しても期待をしないから、誰かにアクションを求めることはない。だから、たとえ良い作品に出会ったとしても、それを他人に勧めようとはしない。
振り返ってみると、過去の自分と今の自分は別人なのではないかと思うこともある。
でも…………繋がってるんだよな。
「ただ、さっきも言った通り、見方を変えたら何度でも楽しめたし、何度も『ジョーズ』を勧めてくれた光には感謝してるぜ。誰かに強引にでも勧めてもらわなきゃ知れない楽しいことってあるからな」
「それなら良かったけど……」
「それに、ジンベエザメを下から見ただけでこんな感慨に耽れたんだからな。経験して無駄なことなんてないってこった」
鈴之助が少し気取った声色でそう言うと、水萌さんは感心したように、腕を組んで、何度も頷いていた。
面白いと思うことには何でも首を突っ込む水萌さんにとっては、共感度の高い話だったのだろう。
「そういや、水萌ちゃん、さっきバックヤード見学の前に光と一緒に行けば面白いことが起こるみたいなこと言ってたけど、結局面白いことは起きたのか?」
確かに、僕にとっては色々あったり、なぜか鈴之助が泣いたり、出来事らしい出来事はあったけど、どれも水萌さんが楽しめるようなものでもなかった気がする。
「あー、それね。まあ色々と新鮮なものを見て刺激にはなったんだけど、実はまだこれだって出来事は起こってないんだよね。ていうか……」
水萌さんが徐に僕を見つめる。
大水槽の前で女子に見つめられるシチュエーションは、外から見ればロマンチックだが、彼女に限ってそんなことはない。
「光くんの輝きが増してるんだよね、さっきより」
「……ほう?」
僕は眉をひそめて首を傾げた。
「つまり……バックヤード見学は一つの過
程に過ぎなくて、あれを経た先にある面白い何かに近づいていっているということかな」
「そういうことになるね。オモシロセンサーの示す輝きは、起こりうる面白い出来事に近づけば近づくほど目立つようになるから」
正直、常に平穏を望む僕は、この先でまだ何かが起こる可能性があるのだと思うと、気が重くなる。
そのはずだけど、自分の不安で脈打つ心臓が、なぜか別のことを伝えようとしているように感じられた。
それは、久しく自覚していなかった感情——期待だった。
「ってことは、これから遠足はもっと楽しくなるってことだな!」
鈴之助がニカっと笑って俺の肩に腕を回す。
僕は「うっとおしい」とそれを払いのけたけど、その場の空気は和やかで、三人とも柔らかな笑みを浮かべていた。
何か明確な理由があるわけじゃない。
僕ら全員、まだ分からない未来に対して期待を抱いている。その感覚の共有が、心地よさが、嬉しくて、不思議と笑みが溢れたのだ。
「じゃあ、次のコーナー行こうか!」
「だな。この先進んでいくと期間限定の企画展なんてのもあるらしいぞ」
「ふっふっふ、分かるよ。私のオモシロセンサーが反応してるから。それは左にある!」
「いや、ほぼ一本道の順路だから、大体どこに何があるかは分かるでしょ……」
「一本道でも暗いと方向感覚分かんなくて迷子になるかもしれないじゃん」
「あ、もしかして順路に高低差があるのって方向感覚の助けになるからなのか?」
「確かに!」
「じゃあ、なおさらオモシロセンサーなんてなくても道分かるじゃん……」
他愛もない雑談を繰り返しながら、僕らは再び歩き出し、展示を順に見て回っていった。
水族館というのは不思議な空間だ。
空間だけじゃなくて、時間の境も曖昧になって、すべてが一体になるような気持ちになる。
水族館が一般的にそうだというよりかは、海遊館のコンセプトがそうさせているのかもしれないが。
だから、僕が傷つかないよう、置き去りにしていた過去とも繋がることができた。
でも、まだ引っ掛かっていることがあるような気がして、僕はまだ水萌さんみたいに面白いことを素直に追いかける勇気を、何も考えずに持つことはできない。捻り出すにしても、きっとまた思考が邪魔をする。
水族館の外に出て、ふと視界に入った水たまりを見て、僕はそんなことを考えていた。




