深海進 第3話: 共鳴
先日公園で風祭さんと話してから、私はまた同じ場所で、彼女とたまに会って話すようになっていた。
「彼がまた授業中露骨に興味ないふりをしていて……」
悩みの種は大体同じだ。担当教科の授業で厄介な生徒がいるというもの。
風祭さんは授業中生徒全員に対してなら熱心に語れるそうだけど、一対一で特定の物事についての熱い思いをぶつけるのは苦手らしい。
不特定多数が相手なら、聞き手は必然的に受動的になるし、話を聞くのも聞かないのも自由だ。だから、どれだけヒートアップしても、人にうんざりされることはあまりない。
とはいえ、授業を受けるのは私たちの義務だから、聞かないのはどうかと思うけど。
「そういえば、風祭さんの担当教科って何ですか? 何回か会ってたのに聞いたことなかったなって。語りすぎたくなくて遠慮してるなら、全然私は気にしませんよ」
「天使ちゃん……」
「その呼び方はそろそろやめてください」
「はい」
いたって真面目な人だから、しゅんとされると少し心が痛む。
「……英語です。それから、私の学校は英語表現と英語コミュニケーションの二つの授業に分かれていますが、私の担当は英語コミュニケーションの方です」
英語。
私は彼女の口から軽く発せられたこの単語に目を丸くした。
「……あの、どうかしましたか?」
「……あ、いや……」
彼女の担当教科が分かった今、私の頭の中では点と点が繋がったというか、急に現れた点同士が出現と同時に繋がった気がした。
「もしかして、例の問題児って……光って名前だったりしませんか?」
「え……あ、はい。そうです……」
少し言い淀んで肯定した先生がぼそっと「これ言ってよかったのかな」と呟いた。
やっぱり風祭さんを困らせていたのはお兄ちゃんだったか……。
お兄ちゃんはかなり拗らせているから、解決が難しそうだけど、不可能なわけじゃない。
風祭さんを邪険に扱っているわけではなさそうだし、きっとまだ、英語に対する熱意はどこかに眠っているのだと思う。
「えっと、その。その光って人、私のお兄ちゃんです」
「えっ」
風祭さんが目をぱちぱちさせて私を見つめる。
「天使ちゃんのお兄様?」
「天使ちゃんじゃないですけどそうです」
「ということは大天使くん?」
「間違いではないですけど、多分違います」
普段は真面目な会社員みたいな態度で話すのに、たまにお茶目だなこの人。
……いや、それもあるけど、私はまだ彼女に名乗ってなかったな。だから呼び名の選択肢が天使ちゃんしかないのかもしれない。
お兄ちゃんとも面識があるなら信頼できるし、名乗るべきなのだろう。
「そういえば、何回か会ってるのに、私まだちゃんと自己紹介してなかったですよね。私、深海進っていいます。深海光の妹です。中学二年です」
「あ、ご丁寧にどうも。改めて、よろしくお願いいたします」
二人揃って頭をぺこぺこする。
「……それで、お兄ちゃんのことなんですけど」
私は一度軽く咳払いして話を戻した。
「難しいかもしれないですけど、多分、風祭さんの力があればなんとかなるかもしれません」
「私の力……?」
「はい。私にはできなくて、風祭さんならできることです」
彼女は検討がつかないようでポカンとしている。
もし検討がついても、彼女は自己評価が低いから、自分にはできないと思うかもしれない。
「風祭さんにしかできないこと、それは……英語です」
私は人差し指を立てて、彼女としっかり目を合わせた。
「やっぱり、人を動かすのって何かを好きだっていう強い気持ちだと思うんです。だから、英語が好きな風祭さんが熱く語って、お兄ちゃんの心のどこかと共鳴させるしかないんじゃないかと」
「熱く語る……ですか。それは……」
「はい、風祭さんは以前一対一だと苦手だって言ってましたよね」
「……そうですね。進さんに色々と励ましていただきましたが、それでもまだ自分は押しつけがましい人間なんじゃないかと思ってしまいます」
彼女は落ち着かないのか、座っているベンチの表面を手のひらでゆっくりと撫でながら、そう言った。
「それは、過去に熱くなりすぎて引かれたことがあるから、でしたよね」
「……はい。その……自分の好きなことに対して相手は興味がないということに悲しくなったというよりは、そもそも自分に対して共感してくれないんだということが凄く悲しかったんです。こんな他人みたいな顔されるんだって……」
彼女は何かを思い出すように話すとき、よく空を見上げている。
そういうときは、決まって心が今ここにないような、空虚な感じがする。
彼女本来の魅力は、好きなことに対する誠実さや熱意といった、心そのものなのに。
それが、ずっともったいなくて仕方がない。
「風祭さん、大丈夫ですよ」
私はできるだけ彼女の気持ちが今に向かうよう、強い声色でそう言った。
「少なくとも、お兄ちゃん相手だったら、きっと大丈夫です。だって、どちらかといえば、自分の気持ちを押しつけてるのはお兄ちゃんの方ですから」
「そう、ですかね?」
「そうです、そうです。風祭さんが真剣に話してるのに、それに対して自分の都合を説明もせずに優先してるんですから。一方的に不利益を被っているのは風祭さんです。それに——」
私は最近のお兄ちゃんの顔を頭に浮かべた。いつも、浮かない表情をしている。
「私のお兄ちゃん、結構繊細なんです。繊細だから、きっと自分の都合を優先していることに対して心苦しいというか、罪悪感みたいなものを感じているはずです。そして、それはつまり、風祭さんの話に関心があるというふうにも言えます。無関心なら、罪悪感なんて感じませんから」
「確かに……」と自分の顎を指でつまみながら、風祭さんが下を向く。
「あと、お兄ちゃん、中学の頃めちゃくちゃ英語好きだったんですよ」
「あ、やっぱりそうだったんですね」
「やっぱり、ってことは普段からそんな感じするんですか?」
「いえ、なんとなく、ですけど、それこそふとした瞬間に『共鳴』を感じるんです。動物が嗅覚で人の体調や感情を察するように、英語細胞が活性化したときの匂いが分かるといいますか……」
「ふっ」
英語細胞という言葉に、私は思わず少し吹き出した。
好きな何かを語る人には、語彙にユーモアを感じられることが多い。
風祭さんの本質が追憶から返ってきた証拠だ。
「とりあえず、二人は同じものを推す同士ってことなので、きっと、風祭さんがずっと強く語り続けるか、もう一度英語の面白さを実感するようなきっかけがあれば、お兄ちゃんは向き合ってくれると思いますよ」
「……そうですか。それは、良かったです。少しだけ勇気が湧いてきました」
安心したように笑う彼女は、見た目の幼さも相まって、純粋無垢な子どものように見えた。そして、それがとても魅力的だ。
「そういえば、お兄ちゃんって今度大阪遠足行きますよね」
「はい、そうですね。私も引率の一人として、自由行動までは同行する予定です」
「ちょっと私に考えがあるんですけど……」
私は風祭さんに、お兄ちゃんを再び素直にさせるための作戦を伝えた。
決行は、大阪遠足の自由行動時間だ。
正直言って、かなり強引な作戦だけど、油断している瞬間なら効くかもしれない。
「……ていうか、私本当にその格好しなきゃだめですか」
「大丈夫です。似合いますから」
「そういう問題じゃないですし、褒め言葉にもなってませんよ、天使ちゃん……」
風祭さんが困ったように笑って、皮肉みたいに私を天使と呼んだ。
良い調子だ。




