深海光 第9話: 好きなこと
叫び声がした方に目を遣ると、そこには大量のカプセルトイマシンが設置された「ガチャガチャの森」という店舗があった。
どうやらお目当てのものをガチャで引き当てた人が大喜びしているらしい。二十代くらいの若い女性二人が喜びを分かち合っている。
話を遮られた僕がしばらくその様子を見ていると、水萌さんが僕の手を掴んで言った。
「ねえ!あそこ行ってみようよ!」
「え、いや、まだ話の途中……」
「いいからいいから!」
僕の困惑をよそに水萌さんはグイグイと僕を引っ張っていく。
鈴之介を見ると、両手を上に向けて肩をすくめていた。
やれやれというよりは、「とりあえずついていってみようぜ」と僕を促しているようだった。
ガチャガチャの森に入ると、アニメや漫画グッズといったサブカル系のコーナーから、動物フィギュアといった番人向けの雑貨コーナーまで、多種多様なガチャが目に入ってきた。
設置台数があまりにも多いので、どこを見たらいいのか分からない。
ただ、勘の良い水萌さんは、自分好みのガチャをすぐに見つけたようで、もう財布の小銭の数を数え始めていた。
二次元女性アイドルコンテンツに登場するキャラのアクリルスタンドがお目当てらしい。
水萌さんが百円玉を三つ取り出して、ガチャを回す。
「あー、この子かぁー」
どうやら出てきたのは推しのキャラではなかったらしい。
唇を突き出して少し残念そうにしている。
「光くん、この子好きだったりしない? よかったら譲るよ?」
「いや……知らない作品だし」
「そうなの? 結構一般の人たちにも流行ってるコンテンツだし、見たことはあるんじゃないかと思うけど」
「まー、見たことはあるけど、詳しくは……」
僕は鈴之介の方を見る。彼も同じくこの作品はあまり知らないらしい。
「そっかぁ。今スマホで配信してるゲームがめちゃめちゃ面白いから、気になったらぜひぜひプレイしてみてね!」
そう言った水萌さんは、高速でスマホを取り出して何かを打ち込むと、僕と鈴之介のスマホの通知音が鳴った。
ご丁寧にスマホゲームのストアURLをグループチャットに送ったらしい。
「そういえば、光くんと鈴之介くんって推しとかいる?」
「俺はいるぜ。っていうよりも、いつだってそこにあるってのが正しいかな」
「どうせ脚の綺麗な全人類とか言うんだろ」
「流石光、俺のことよく分かってんねぇ」
僕は苦笑しながらため息を吐いた。
「で、光はどうよ? あんまり推しとかそういう話お前から聞いたことなかったけど」
「僕は……」
……僕には、胸を張って好きだと公言できるものがない。
英語は好きだった。
好きだったけど、今は分からない。楽しめるようになれば、また好きになるかもしれない。
だけど、僕が今の僕でいる限り、僕がまた英語に対して前のめりになることはない。
好きすぎて人に推せるものなんて、なおさら考えられない。
「推しとかそういうの、よく分からないかな」
「お前ラノベとか結構読むし、好きなキャラとかいるんだと思ってたけど」
「好きなキャラというか……読んでて良いなとは思うキャラはいるけど、自分のパーソナルな感情と結びつけることはないから、推しとまではいかないかな」
「へー! 光くん、ラノベ結構読むんだ!私と趣味近いかもね」
ガチャの筐体を一個ずつ指さしながら、水萌さんが「これ読んだことある?見たことある?」と僕に問う。
英語の勉強をやめてから時間はあまりに余っていたから、大体の作品に触れたことはあった。
ただし、水萌さんが好きなアイドル系の作品は除く。
ああいうのは、好きという感情がないと追っていけないし、僕の守備範囲外だ。
「こんなに趣味被ってたなんて、言ってくれたら行きのバスで色々語り合えたのにー」
「たくさん見てるってだけで、僕はあんまり考察とかしないよ?」
「全然オッケー! 一緒のものを見たことがあるって情報を共有できるだけでも嬉しくない?」
「そーいうもんかな」
「そーいうもんなんです!」
これは、帰りのバスが騒がしくなりそうだ……。
「光も、何か記念に回したらどうだ?」
「えー。別に欲しいものないんだけど」
「直感でなんとなく惹かれたものもない?」
「……うーん」
僕にだって、何かを良いと思う気持ちはある。好きに至らないだけで、良い映画を観たら満足するし、良いと思ったアニメは次のシーズンも継続して視聴する。
でも、グッズだとか、自分のアイデンティティとして物理的に取り込みたいものがあるかと言われれば……ない。
そう思って、ガチャを一通り眺めていると、一つ、僕の目に止まるものがあった。
「『JAWS』……」
「上手?」
「醤油?」
「上手は分かるけど、醤油はどういう聞き間違えだよ。ジョーズだよ。サメのやつ」
僕は『JAWS』のフィギュアコレクションのガチャを指さした。
「あー、そういえば光、ジョーズ好きだったよな。昔USJ行った時も真っ先にジョーズ行きたがってたし」
「へーそうなんだ!」
「昔の話だけどね……」
『JAWS』は、僕が英語にハマるきっかけになった映画だ。
ボンベを咥えた巨大なサメを主人公が銃で狙い撃ちするラストシーンを初めて見た時、僕は彼が最後に言い放った決め台詞がどうしても気になった。
字幕版で鑑賞したのだけど、ラストを飾るに適切なほど印象的でないというか、少し簡素な気がすると、幼いながらに直感したのだ。
そうして、父に頼んで調べてもらうと、実際、その台詞の訳し方は複数存在していた。直訳的なものから意訳的なもの、字幕や吹替の制限に合わせたものなど、一つの英語からたくさんの解釈が生まれていた。
僕は、そこから英語に興味を持つようになり、小学校のうちに中学一二年くらいまでの内容は自主的に勉強するようになっていた。
とりわけ日本語と比べてみたときの差異を面白がっていたから、もしかすると英語に限らず言語そのものに対して好奇心を持っていたのかもしれない。
ただ、それは言語本来のコミュニケーションツールとしての役割から乖離したものであったから、僕の英会話能力はあまり育たなかった。
会話もリスニングも、英語を勉強する過程で副次的に学んではいたし、人並み以上にはできた。
ただ、それがみんなの手本となるようなレベルだったかと言われれば、全くそうではない。
結局、僕の中には何の役にも立たないプライドだけが育っていった。
「僕は、確かに『JAWS』が好きだったよ。でも、今これが欲しいかと言われたら……」
むしろ、かさぶたを剥がすような感じがして、気が進まない。
「そう? じゃあ私が回しちゃおうかな」
「水萌さん、『JAWS』観たことあるの?」
「ないよ」
「ないのにこのフィギュア欲しいの?」
「帰ったら観るからね。きっと好きになるよ」
水萌さんがニッと歯を見せて笑った。
多分、『JAWS』に対してオモシロセンサーが反応しているのだろう。
彼女の主観に基づくものだとしたら、過去に似たような映画を観て面白かった経験があったからか、それとも、昔の僕が気に入った映画だったからか……。
いや、いくら彼女が僕にポテンシャルを感じているとはいえ、後者は僕の思い上がりだろう。
僕は嬉々としてガチャを回す彼女の姿を眺めた。
とても楽しそうな顔をしている。
カプセルが出てくると、彼女はそれを開封して僕らに見せた。
「お、何か良さげじゃない?」
彼女が引き当てたのは、ラストシーンを模したフィギュアだった。
沈みゆく船の上で主人公が銃を構え、そこにサメが向かっている。
カプセルトイの範疇を超える精巧性はないけど、僕は少しだけ初めてこの映画を観たときの感動を思い出していた。
「お、これは俺も知ってるぜ。光、このシーン何回も見てモノマネもしてたよな。『スマイルユーサノバッ』って」
「よく覚えてるな、そんなこと」
微笑ましくもある思い出だけど、プライドの高い僕からしてみれば、恥ずかしい記憶は全て一様に黒歴史として認識される。
「なんかいいね、そういう幼馴染トーク」
水萌さんがニコニコしながら言う。
「腐れ縁なだけだよ」
「そんなこと言っちゃって、ほんとは俺を求めてるくせに」
「なんでそう毎回誤解を生むような言い方するんだよ」
「言ってることは間違ってないだろ?」
僕らが軽口を交わし合っている間、水萌さんは小声で「あらあら」と呟きながら手で軽く口を押さえていた。
「なんか楽しくなってきたね!」
「そーか?」
「そーだよ!」
「そうだぜ!」
僕らは本来の予定から全く外れたことをしているはずなのに、二人は随分と浮かれている様子だ。
——水萌さんは、今この状況を面白いと思ってる?
僕がさっき彼女にそう問いかけたことに対しては、まだ返答は返ってきていない。
だけど、今から再び水族館に向かう彼らの足取りが跳ねていたから、あえて聞くまでもないと思った。




