プロローグ: 水たまりを踏み歩いていく
日常のどこかで迷っている誰かの背中を、ほんの少しだけ押せるような話になっていれば幸いです。
僕は、水たまりを踏み歩いて行く。
朝、僕を起こしに来た妹が、意味ありげに部屋の本棚を眺めていた。きっと、実妹がいるのに妹モノのラノベを読んでいることを気持ち悪がっていたのだと思う。
だから、僕は水たまりを踏み歩いて行く。
朝ごはんを食べているとき、情報番組の占いコーナーで、さそり座は11位だった。「得意なことでミスをしてしまうかも。気を抜かないように気をつけて」とのこと。
僕は一限目の授業が英語コミュニケーションだったことを思い出した。
だから、僕は水たまりを踏み歩いて行く。
そういえば、一番苦手な数学の授業が二限目に続いていた。
だから、僕は水たまりを踏み歩いて行く。
僕は、嫌なことがあるとそれについて考えるのをやめることができない。些細なことでも、想像力を働かせて、自分を追い込む癖がある。
でも、雨が降ったある日の通学中、僕は対処法を思いついた。
それが、水たまりを踏み歩くということ。
まず、水たまりに足を踏み入れて、靴下がじんわりと濡れていく。
次に、一歩踏み出すたびに、靴の中でぎゅっと嫌な音が鳴る。
しばらくすると、濡れた靴下が足先を冷やす。
こうなればもう、不快感で他のことは考えられなくなる。
つまり、僕は嫌なことを不快感で上書きすることによって、ネガティブ思考の連鎖を断ち切ることができるようになったのだ。
そして、僕は不快感と同時に、この感覚を心地よいものだと感じるようにもなっていた。
何度も何度も繰り返すうちに、脳内で分泌される快楽物質の虜になっていき、雨が降らないと不安に襲われる。
ある種の自傷行為のようにも捉えられるのかもしれないけど、致命的な怪我を負うわけでもないから、やめるきっかけは生まれない。
だから、僕は水たまりを踏み歩いて行く。
——でも、実を言うと、今の僕はもうそんな湿ったことを考えてはいない。
クラスメイト、親友、先生、妹、そして一人の迷子のおかげで、僕は変わることができた。
いや、変わるだなんて、そんな大それたことじゃない。
実際、僕は今でも水たまりを踏み歩いているから、やっていること自体は変わらない。
でも、それはもう惨めになるための歩みじゃない。
自分を傷つけるための行為じゃない。
きっとこの先に何か面白いことが待っていると、期待を込めて前に進んでいく。
それが、僕——深海光にとって、水たまりを踏み歩いて行くということなのだ。