09話 Fランクハンター、その拳で魔物を砕く
──ラットマンたちに囲まれ、場は一気に修羅場と化した。
「や、やべぇぞこれ……!」
「う、嘘……なんでこんなに湧いてるの……っ!?」
ポーターたちは半ばパニック状態。だが──
「……はあ」
その中で、一人だけ静かな溜息が響いた。呆れたような息遣い。如月サラだった。
もう一人、龍人もまた状況を冷静に見つめていた。
(まあ、たいしたことない気がするな。ジャイアントパウンドに比べれば……)
──そして、意外にも真っ先に声を上げたのは、先ほどまで嫌味を言っていた中年男だった。
「くそっ、やってやる! Fランクと女は下がってろ!」
どこか昔気質の、荒っぽい勢い。
背筋を張り、斧を構えた男の背には、年季の入った戦いへの覚悟がにじんでいた。彼は両手に斧を構え、ラットマンの前に立ちはだかる。
そして、その横を──すっと細い影がすり抜けた。
「……は?」
誰よりも早く接敵したのは、サラだった。
音もなく駆け、気づいたときにはすでにラットマンの首が宙を舞っている。
「なッ……すげえ……一気に三体も……!?」
「は、速すぎる……」
右手に短剣、左手にもう一本。
刃は、まるで風に舞う花弁のように──確実に、獣の急所を貫いた。
その美しさと冷徹さに、一同は一瞬息を飲んだ。だが、その奮戦に中年男が息を吐き、笑った。
「お、おう…。へへっ、やるじゃねぇか……だったら俺も!」
「うおおおおっ!」
青年たちも続き、次々にラットマンと交戦を始めた。空気が、変わる。
──だが、状況は甘くなかった。
ラットマンは、まるで穴の奥から無限に湧くように現れ、ポーターたちは次第に息を乱していく。
そして──
「きゃあっ!」
青年と一緒にきた女性が叫び声を上げた。後衛だったのだろう。数体のラットマンが、彼女に一斉に飛びかかる。
サラは別方向、男たちは疲弊しきっていた。誰も──届かない。
(──間に合わない!?)
誰もがそう思ったその瞬間。
音が、割れた。
ズガンッ!!
血飛沫も肉片もない。ただ、一陣の風が吹いたように、ラットマンの数体が粉砕されていた。
その中心に立っていたのは──九頭龍人。
拳を構えた姿で、彼はゆっくりと息を吐いた。
「……ふぅ。遅かったかと思ったけど、間に合ってよかったです」
沈黙が落ちた。あまりの出来事に、全員が固まる。
「う、うそだろ……今の、見たか……?」
「は、はい……Fランク……です、よね?……あの人……」
驚愕の視線が、龍人に集まる──。
* * * * *
──静寂が広がっていた。
床には、動かなくなったラットマンたちの亡骸が夥しく広がっている。血の臭いと濃い獣臭が、鼻をつく。
それでも、彼らは皆、誰一人倒れることなく立っていた。
「はあ、はあ……終わった……のか?」
「良かったっす……誰も、死んでない……」
息も絶え絶えに青年が呟くと、ようやく緊張が解けたように、数人がへたり込む。
そして視線は、自然と二人の人物に集まっていた。
──汗に濡れた額の髪をかき上げ、静かに呼吸を整える如月サラ。
──拳に擦り傷を残したまま、背筋を伸ばして立つ九頭龍人。
ポーターたちは口々に驚きを呟いた。
「……Fランクで、あれはねぇだろ……」
「そうっすよね… あの人、ラットマンを全部一撃で仕留めてたっすよ……」
「……ていうか、サラさんも……え、何者なの……?」
そんな声に背を向けるように、サラは額の汗を指先で拭い、髪をかき上げる。
一呼吸置いたあと、迷いなく──龍人のもとへと歩み寄った。
「……ふぅ、あなたのおかげで随分楽に処理できたわ」
凛とした目で、真っ直ぐに言葉を向ける。
「ありがとう。で、あなた本当にFランクなの?」
「はは、間違いなく、そうですよ」
龍人は苦笑いを浮かべ、目を逸らす。その苦笑いに、サラの表情がわずかに緩んだ。
「ふふっ。じゃあ、私から話してあげる」
「──私は、協会所属のハンターよ。ランクはCで、職種はアサシン」
龍人が目を見開く。ポーターたちも、後方でざわついた。
「……マジかよ、協会所属のハンターだったのか……」
「え? じゃあ、なんでこのパーティーに……?」
サラは軽く頷き、視線を前方の崩れた通路に向ける。
「あの連中──協会が以前からマークしていた犯罪者ハンターよ。同行したハンターが、何人も行方不明になってる」
サラは淡々と、事実だけを述べる。
「今回、証拠がつかめればと思って参加したけど……予想以上に分かりやすい展開で助かったわ。手柄を狙ってたんだけど──ドンピシャね」
ふ、と唇の端を持ち上げて笑うと、彼女は龍人をまっすぐに見つめた。
「さ、今度はあなたの番よ。──あの強さで、Fランクは無理があるわ」
顔を傾げて、目を見つめてくる。
「……ねえ、何を隠しているの?」
ぐっと、身を乗り出し、爛々と輝く眼で詰問される。そこには、ただ、純粋な興味と打算が混じっていた。
龍人は一瞬言葉に詰まり、焦りに肩を強張らせる。
「……秘密ってことじゃ、ダメですかね?」
冷や汗を流しながら、ひねり出した言葉。その瞬間、サラの目元がわずかに緩んだ。
そして、彼女は呆れたように肩をすくめ──軽く笑った。
「あら、女性の秘密は聞いておいて、自分のことは話さないつもり?」
「うぐっ…!」
サラの返しに、さらに言葉に詰まっていしまう龍人。彼は女性の押しに弱い。特に特別美人となればなおさら。
「……ねえ、どうなの?」
(……こんな美人に、なんて誤魔化せばいいんだよ。顔がいいってズルい!)
そんな反応を見たからだろう。サラは更に龍人に距離を詰め、顔を近づける。
龍人はなおも思考を巡らせるが、何も思い浮かばず、諦めたように肩を落とす。
「わかりました! 言います! 言いますから!」
慌てて数歩下がると、その顔はりんごのように赤かった。
「はあ……俺、異能があるんです。悪食って、知ってますか?」
「ええ。数年前に話題になったわね。“使えない異能”って──」
「…うっ…」 あけすけな物言いに、思わず胸を押さえてしまう。確かに、先日まで自身も使えない異能だと思っていた。
「そうです…。俺の持っている異能が悪食なんですけど……言葉よりも見せた方が早いと思うので、見せます」
反応も見ずに、ラットマンの死骸に向かって歩き出す。
まだ、生暖かい死骸から魔石を剥ぎ取り、血を振り払う。
サラに見えるように魔石を掲げ、そうして──口の中に放り込んだ。
「……うそ…」
食べていると分かるように、これ見よがしに咀嚼する。
ごくん——と、飲み込むところも丁寧に見せつける。
サラは口を開けたまま固まっていた。完全に呆気に取られ、まばたきすら忘れている。
(……サラさんだからか、余計にちょっと面白いな)
「最近……少しいろいろあって、そんで、魔石を食べたら強くなっちゃったんです」
肩をすくめて笑う龍人に、サラはようやく我に返ったように目を瞬かせた──。