06話 Fランクハンター、夢と現実を知る
窓の外は、すっかり日が落ちていた。
暗がりの向こうに、ビルの灯りがにじんでいる。龍人はベッドに腰かけたまま、ぼんやりと外を眺めていた。
(……いろいろ、あったな、俺)
崖に落ち、魔石を食らい、魔物と戦い、喉を噛みちぎったあの日。
現実感は薄いままだったが、全身に刻まれた傷の痛みが、それを確かなものにしていた。
──コン、コン。
その時、病室のドアが、控えめにノックされる。
「……失礼します」
扉の隙間から顔を覗かせたのは──あの子だった。ピンク色の髪に黒のメッシュ。透き通った白い肌。しっかりとメイクを決めたギャル。
「……え?」
「あの、ちょっとだけ……顔、見にきた……」
うつむいたまま、凪沙は部屋へと足を踏み入れた。ぎこちなく近づいてきて、ベッドの脇に腰を下ろす。
思いがけない、状況に固まってしまう。
「……生きて、たんだ…ほんとに」
沈黙の後、ポツリと吐き出した言葉だった。
いつもの勢いも、軽口もない。その代わりに──
「……ありがとう……ほんとに、ありがとうっ……! あの時……助けてくれて……!」
泣いていた。
言葉が詰まりながら、それでも絞り出すように、何度も「ありがとう」と「ごめんなさい」を繰り返した。
「……死ぬって思ったの……! 誰も助けてくれなくて……っ、怖くて……!」
「なのに、あんたは……、あーしなんかを、助けてくれて……っ」
声が震えている。涙でマスカラがにじんで、ファンデも崩れて、それでも──彼女は言葉をやめなかった。
「……ひとりだけでも、ちゃんと、ちゃんとお礼を伝えたくてっ……」
龍人は、戸惑っていた。まさか、こんなふうに礼を言われるなんて思っていなかった。
それも、あの不愛想なギャルから、涙ぐちゃぐちゃで感情全開の感謝と謝罪を向けられるなんて──
(……ん?、待てよ……この絵面やばくない?)
日が沈んだ男性の病室に、まだ成人もしていない若い女子が号泣しながら泣き崩れている……
これ、下手したら通報案件じゃ?
「わ、わっかたから、ちょっと待って。な、泣くなって、ほら……!」
あわてて言葉を返す。だが凪沙はそれにも、小さく笑った。
「……あんた、優しいね。なんか、すごく落ち着く」
ようやく涙を拭い、呼吸を整えると、凪沙はバッグから小さなメモを取り出した。
「これ、連絡先。……ほんとは、まだ面会に行くのもダメって言われてたんだけど、どーしてもお礼を言いたくて」
そう言って、紙を差し出す。
「絶対、連絡してよね。絶対」
「……お、おう……」
凪沙は席を立ち、出口に向かう。その背中が消えたあと、龍人は、ベッドの上で固まった。
──しばしの静寂。
(……俺、連絡先もらった……!?)
(……しかも、ギャルで……巨乳で……あのギャルから?)
「連絡先……直筆だよな……」
……マジか。
「──やばい……! 生きてて良かったっ!!」
* * * * *
──チュン、チュン。
窓の外から、どこかのスズメの鳴き声が聞こえていた。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな光が、まぶた越しにじんわりと届いてくる。
「……朝?」
龍人はゆっくりと目を開けた。白い天井。無機質な照明。静かな病室の空気。
(……いつの間にか寝ていたのか)
昨日の出来事が、脳裏にじわりと浮かぶ。凪沙が泣きながら、何度も「ありがとう」と「ごめんなさい」を繰り返した姿。
泣きぐしゃになった顔。それでもまっすぐに伝えようとした言葉。
──そして。
「……これか」
枕元に置かれていた、小さな折りたたみメモ。ギャルらしいポップな丸文字で書かれた名前と、スマホの番号。
思わず、口元が緩む。
(マジで……もらったんだな。連絡先)
(あんなかわいい子に。俺が)
ベッドの上で、ひとりニヤける。ちょっとした達成感に浸りながら、身体を起こして──ふと気づく。
「……?」
自分の腕に違和感を覚える。太くなっている気がする。というか、背中と腕が、前よりも……分厚い?
そのまま、立ち上がって洗面スペースの鏡の前へ。そこに映っていたのは、昨日までの自分よりも、明らかに“仕上がっている”身体だった。
「お、おいおい……」
思わず、Tシャツをたくし上げる。腹部に、バッキバキに割れた腹筋が並んでいた。
(……え、これ……俺の体?)
もともと細身で、筋肉も鍛えてはいた。だがこれは明らかに“仕上がっている”レベルだ。
(いやいや……昨日の今日なんだけど?)
腕、肩、胸筋──どこも、まるでトレーニング歴数年のアスリートのような密度とラインを描いていた。
変化は、明確だった。
──俺は、変わった。
そう思わずにはいられない。魔石を食ったこと。自身の異能、“悪食”がもたらした変化。その“兆し”が身体にも現れ始めていた。
昼過ぎには十分回復したとして、退院許可が下りていた。
診察と退院手続きを終え、協会支部の医療棟を後にした。身ひとつ、着替えも荷物もなし。支給された簡素な私服に身を包んで、地下鉄で最寄り駅まで帰ってきた。
陽が昇りきった都会の風は、絶妙にジメっとして生暖かった──
それでも、街の喧騒と人混みに包まれると、現実に戻ってきたという安堵が胸を満たしていた。
「──ただいまー……っと」
誰もいないワンルームのアパート。
靴を脱ぎ、薄暗い玄関を上がる。手探りで照明をつけると、蛍光灯がじわりと点いた。見慣れた部屋のはずだった。
が、妙に狭く感じる。いや──自分が“デカく”なっているせいか。
六畳のフローリング。くたびれた布団。小さな冷蔵庫と電子レンジ、コンビニ袋。床に散らばったレトルトパックとプリント教材が生活の痕跡を物語る。
いつもの“地獄の現実”がそこにはあった。
「……はぁ〜〜〜……」
冷房を起動し、龍人は布団に突っ伏した。カーテンの隙間から差し込む夕日が、肩口を照らす。昨日までは、生き延びることがすべてだった。
だが、今は──生き延びた後の、現実が重くのしかかる。
──ポストを確認していなかったことを思い出し、渋々と立ち上がる。
郵便受けにはチラシと封筒が数通。その中に、見慣れたロゴマークのついた一通があった。
「……うわ、来てるよ」
公共料金の【未納通知】。
水道、電気、そしてネット──どれも滞納していたのは知っていた。知ってたけど、見たくなかった。ご丁寧に、次回止まる日付まで書かれてやがる。
──魔石を食って異能が目覚めても、料金は待ってくれないらしい。
「はは……現実は、厳しいな」
それでも、あの日と違って“諦め”はなかった。むしろ、現実と向き合う“気力”が湧いていた。
──自分には、異能がある。
数日前までは、誇らしいどころか憎らしさすら覚えていた。
しかし、この異能でたった数日の期間で、Fランクの枠を越えた力を得た。
今なら、できる。俺なら、もっと稼げる。
スマホを手に取り、ハンター支援サイトの掲示板を開く。依頼一覧、報酬、募集条件。無数に並ぶ。強くなった実感はあっても所詮はまだ、Fランクハンター。大した賃金になる募集はあまりない。最下級では命を懸けても、バイトの域を出ない。
「……ほんとに、世知辛いな。……んっ!?」
ひとつの書き込みが目に留まった。
【募集】Eランクダンジョン同行ポーター
報酬:3万+成果報酬
装備・交通費支給、ランクF~D(Fランク歓迎)
※最低限の体力と常識のある方
「……これ、割にいいな。Fランク歓迎……」
ポーター──荷物持ちか。
また、あの日の繰り返しにならないとも限らない。でも……
「──やるしかないだろ」
登録フォームに名前を打ち込み、指を止めることなく“応募”を押す。
──その先に、どんな地獄が待っているかも知らずに。