05話 Fランクハンター、その名は九頭龍人
ゲートが、崩壊した。
まるで虚空に浮かぶ巨大な水鏡が、ひとしずくの音もなく砕けるように。Eランク指定の小型ダンジョンとは思えない、異常な終焉だった。
「……なにが、あった……?」
崩壊直前まで、ダンジョンの核に手すら触れていなかった。
安井は、膝をつきながらも、その現実を理解しきれずにいた。直前まで仲間と共に、救助対象が失踪したであろうはずの場所を捜索中だった。
そして、何の前触れもなく、ゲートが“攻略”され、崩壊した。まだなにも行動を起こしていかったのに、である。
驚愕に沈黙する一同の前に──
「……う、うおっ……ぐえっ!」
顔から地面に突っ込む形で、ひとりの男がゲートから排出された。土煙を上げながら、情けない音とともに倒れ込んだその青年。
ぼろぼろの服。血塗れの顔。干からびたような唇。意識はほとんど飛びかけている。
「……こ、こいつが……? “中にいた唯一の生存者”?」
救護班のメンバーの一人が、思わず呟いた。目の前の男──名簿によれば、‟九頭龍人“。
協会の記録では“Fランク”に該当。二年前に免許を取得し、それ以来大した実績も残せていない一般的なFランクハンター。
だが、その背には──血と泥と、なにより“生還者の重み”が、確かにあった。
ダンジョンが、完全に閉じた。
風が止む。異界の瘴気も、熱も、全てが凪いでいく。そして、あたりには、呼吸の音すらない静寂だけが残った。
安井は、足音を立てずに彼へと近づき、名乗った。
「……協会所属、Cランクハンターの安井です。九頭龍人さんですね。まずは、生還おめでとうございます」
倒れたまま、龍人は目をしばたたく。まともに言葉も返せない。
安井は、その姿をじっと見つめた。数秒の沈黙ののち、目を細め、小さく頷いた。
「率直に言います。ゲート内で何が起きたのか、確認させてください。東京協会・第二支部まで、ご同行いただけますか?」
ぼろ雑巾のような状態で、九頭龍人は、わずかに頷いた。
そして、ようやく気を失った。
* * * * *
「裂傷、打撲、骨へのひびも数カ所……ですが、命に別状はありません」
医師の声が、やけに落ち着いて響く。
「それにしても……回復が異様に早い。応急処置だけで、ここまでとは……」
白衣の下で腕を組みながら、担当医は顎をさする。ベッドの上、包帯と点滴に覆われた男が、微かに眉を動かした。
九頭龍人。その瞼がゆっくりと持ち上がり、照明の白さに目を細める。
「……う、うえ……?」
天井。白。シーツの感触。鼻をくすぐる消毒薬の匂い。
「あ、病院……?」
呆けた声が漏れた。すぐに、看護師が顔をのぞきこむ。
「意識、戻りましたね。よかった……」
心底ほっとしたような笑顔が、どこか遠くに見える。
(……助かった、のか)
その実感は、現実感と釣り合っていない。
目を閉じる。
その奥に、火炎、咆哮、血と牙と──咀嚼の記憶が滲む。
「……ははっ……」
思わず、笑いが漏れた。
生きている。
信じられないが、確かに、生きて──いる。
ふらつく頭を押さえつつ、上半身を起こそうとした瞬間。
「……ん、軽っ……?」
体が、軽い。あれだけの戦闘、あれだけのダメージを受けたのに、信じられないほど“動く”。
(まさか、また……変わったのか、俺の身体)
自分の中にある異物のような力──“悪食”。
あれを使った代償は、やはり確実に自分を変えていた。
コン、コン──と不意に病室の扉がノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、協会ハンターの安井と、スーツ姿のもう一人。
「九頭龍人さんですね。ご無事で何よりです」
スーツの女性──調査員・雨竜は、落ち着いた口調で頭を下げた。
「お休みのところすみません。ですが、ゲート内での出来事について、いくつか確認させていただけますか? 寝たままで結構ですので」
龍人は、やや呆けたまま、乾いた喉を鳴らす。
(……すごい美人なひとだな)
まさにキャリアウーマンの理想像のような女性だった。品がよく、黒髪も肩口で切りそろえられており、清潔感がある。
——まさに理想のタイプだ。
「……はい」
「構えなくて大丈夫ですよ」
雨竜がやさしく微笑み、端末を手に構える。質問は、丁寧だった。
「まず、お聞きします。どういった経緯で、崖の下に?」
「──それと、崖の下でどう生き延びたのか。その後のことは覚えていますか?」
龍人は一つひとつ言葉を探そうとした。だが──言葉は喉で止まる。
(あの魔石……あれはPTの戦利品だった)
(俺が勝手に食ったなんて言ったら……窃盗? いや、それ以上に──)
『魔石を食べた』なんて言ったら、頭がおかしいと思われる。いや、実際に“悪食”はそういう扱いを受けてきた。
気持ち悪くて、野蛮で、無価値な異能。それが、今までの“周囲の評価”だった。
龍人は、目を伏せた。言えない。“喰った”なんて、誰にも。
「……言いづらいようでしたら、無理にとは言いません」
雨竜の声が静かに重なる。だが、言葉に滲むのは探るような含み。
「最後にもう一つだけ。あのダンジョンを攻略したのは……あなたですか?」
龍人は、口を開きかけ──閉じた。そして、ぽつりとつぶやく。
「……すみません。あまり……覚えてなくて」
(なんて嘘だ、でも……言えるわけない)
雨竜は記録を止めた。端末の電源を切り、笑顔で返す。笑ってはいたけど──目の奥は冷たい気がした。
「わかりました。ありがとうございます」
安井も軽く礼をして、二人は退室した。
(……やはり、第三者が介入していたか)
彼らの内心は、龍人の回答によって裏付けられた。
Fランクが、単独でEランクダンジョンを攻略? 武器もなく?
そんな“ありえない”ことを、わざわざ考える余地もない。