04話 Fランクハンター、巨獣に挑む
——覚悟は決まった。
あとは、前へ進むだけ。その目の前で、異形の獣が、眠っている。
〈ジャイアントパウンド〉。
シャドウパウンドをはるかに超える、異様なまでの“威容”。黒く煤けた体毛に覆われた肉体は、岩のように硬そうだった。
分厚い肩、異様に肥大した前脚、鋼鉄のように湾曲した爪。寝息のたび、全身から“圧”が漏れている。
本能が、警告を鳴らしていた。これは“敵”ではない。“災害”だ、と。
それでも──俺は、一歩、足を踏み出した。
「……やるしかないんだよ」
声が震えていた。それでも、喉の奥から吐き出した。
その瞬間だった。
「――グゥォオオアアァァ!!」
大地が、叫んだ。
ジャイアントパウンドが目を覚ます。凶光を宿した両目がこちらを捉え、咆哮とともにその巨体が跳ね上がった。
ドォンッ! という音とともに地面が揺れ、吹き飛ぶような風が襲いかかる。
次の瞬間、口元から、赤熱の光が漏れた。
「っ……!?」
ゴウッ!!
咆哮と同時に吐き出されたのは、濁った紅蓮の火炎だった。本来、火を吐く種ではないはずだ──だが、眼の前の個体は違う。
変異種か、あるいは──上位種ならではの業なのか。
炎は空間を焼き、石壁すら黒く炭化させた。
「──っくそッ、ヤケドじゃ済まねぇって……!」
火線の隙を縫って飛び退き、辛うじて回避する。だが、足元の床は赤く焼けただれていた。
あんなのに一瞬でも巻かれたら──ひとたまりもない。
(……上等だ。やってやる!)
直後、巨体が跳ねるように突っ込んできた。
(ヤバい──!)
ぎりぎりで横跳びに避ける。脇を掠めた突撃だけで、肩の皮膚が裂け、血が滲んだ。
「ッ、は……」
だが、体は動く。死を前にして、頭が冴えていく。足が、手が動いていた。
身体の奥底が──生き残るために、勝手に動いている。
(すげえな、俺……っ。いや、そんなこと考えてる暇は──)
ジャイアントパウンドが、振り向いた。鈍重そうに見えたその巨体が、四肢のばねを活かし、次の瞬間には跳びかかってきていた。
「──っらあああッ!!」
吠えるように声を上げ、真正面から拳を叩き込んだ。拳に走る痛み、手応え、そして、返ってくる“重さ”。
そして、怯む巨獣。
(……効いてる。効くぞ、俺の一撃でも!)
勝てる──かもしれない。
そう思った瞬間、獣の前脚がこちらを薙ぎ払った。避けきれず、腕で受ける。骨が軋む音がした。
「がっ……!」
吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。視界がぶれる。肺が押しつぶされ、咳とともに血が混じる。
──それでも、立ち上がる。
この戦いは、“試されている”。今の自分に、どこまで“喰らいつく”ことができるのかを。
* * * * *
三メートルを超える巨体。再び吠える咆哮に、耳が軋み、心臓が跳ねた。
それが──〈ジャイアントパウンド〉。シャドウパウンドの上位個体。
まさに、Eランクダンジョンの主だ。
確かに、拳を叩き込んでも、手応えはある。
けれど──命までは届かない。
蹴っても、分厚い筋肉に衝撃が吸収されて終わり。
「くそっ……奥まで効かねぇ……!」
確かに、ダメージは通ってる。だが、それだけ。倒すには──足りない。殺しきれない。
一方で、あいつの攻撃は一撃必殺。前脚の薙ぎ払い、突進の一撃……まともに喰らえば、即アウトだ。
(……武器さえあれば。いや、今さら言っても始まらねぇか)
持ってるのは、この拳だけ。でも、考えろ。生き延びるために。
俺にしかできない戦い方が、きっとあるはずだ。
(……やるしか、ないか)
浮かんできたのは、自分の異能──“悪食”。
魔石を砕いて喰ったこの体なら、もしかして──
(“生身”も……いけるんじゃないのか)
一瞬、脳が拒絶した。
それは、獣染みた戦い方だ。おおよそ——人間がやることではなかった。
葛藤。
けれど、それを押し殺すのに、時間はいらなかった。
「……やるしか、ねぇだろうがッ!」
吠えるように叫んで、駆けた。巨体の脇をすり抜ける。足が削れるくらい地を蹴って、走る。
ジャイアントパウンドが振り向き、前脚を振り上げた──
「今だッ!」
跳んだ。
振り下ろされる爪をギリギリでかわして、懐へ滑り込む。
肩。首。喉元──そこへ、俺は迷わず──
「──っがあああああ!!」
喰らいついた。
文字通り、“喰った”。敵の喉元に噛みついて、肉を引き裂く。
ドッ、と血が噴き出す。
獣が絶叫し、暴れた。前脚が振り回され、地面へ何度も叩きつけられそうになる。
だが──離さない。喰らいついたまま、歯を食いしばる。
「ッ、ぐっ……! まだだ……ッ!!」
口の中は血と唾液でぐちゃぐちゃだ。
でも、その隙間から、短く息を吸って──俺は、喉元の裂け目に、手を突っ込んだ。
(──届く……! 頚髄に!)
全力で、腕をねじ込む。激痛に暴れまわる巨獣。
骨を掴んで、引き抜くくらいの勢いで──
「らあああああッ!!」
──ゴギャリ、と鈍く嫌な音がした。
次の瞬間、ジャイアントパウンドの動きがピタリと止まる。
息を止めたまま、巨体が崩れ落ちた。
「……はぁ、はっ……」
俺も、その上に倒れ込んだ。全身、血まみれ。視界が霞む。
けれど──
(……生きてる。俺、生き延びた……)
全身に残るのは、戦いの痕。そして、確かな“勝利の熱”だった。