第十七話 さよならマリーエンブルク
早朝に自宅へ戻り、アキラと共に荷物をまとめた。
父親が打った斧と、母が残した、いくばくかの金と宝石類。愛用の剣と多少の服を詰め込む。腐りそうな食材はもったいないが捨ててしまおう。
そのまま闘技場へ向かう。
結婚することになったと、オーナーに報告した。
「彼女の故郷に挨拶にいく、少しこの国から離れる」
「そりゃめでてえな。いつ戻る」
「まだわからない。それまで俺の剣闘士の登録を消しとしてもいい。強くなって帰ってくるから」
「いつでも戻ってこい。俺も、街の連中も、お前がチビの頃から見てきた。家族ができるんだ、こんなにうれしいことはねえよ」
「オーナー」
「お前も、外の世界を見てもいい年だろう。いくつになった」
「二十六」
「なに……。マジか、ちょっと待ってろ」
オーナーは事務室に引っ込むと、ガタガタと何か探しているような音がした。
「お前の、母親から預かっていた」
渡されたのは、銀の指輪だ。細かな彫刻が施された太めの指輪は、存在感たっぷりだ。
「本当なら二十歳になったら渡してと頼まれていた。もし、渡した段階で借金が返せていなかったら、それを売ればいいからってな。お前は自力で借金を返したから問題ないだろう」
「母さんが……」
「銀は、悪いものから守ってくれる魔除けだ。もともとお前のモンだ好きにしろ」
横から、アキラが
「素敵な指輪ですね。何か紋章が入ってます」
「ん? これは、マリーエンブルクの紋章か」
女神の左右に、はさみが描かれている。マリーエンブルクでは、はさみは『人生を切り開く』縁起物だ。
「お母様は、王家の方ですか?」
「いや違う、言ったろ、引っ越してきたって。一般市民だ」
じゃあなぜこれをと首をひねるアキラを連れて、闘技場の職員たちに挨拶を済ませる。受付嬢のネリネにもお別れをする。
「ガーネットと結婚? ほんとにー。おめでとうございます」
「ああ。あとで挨拶に来ると思うから。元気でな」
「元気で、ラグネルさん。戻られたら一番、目指しましょう」
「もちろんだ」
一回りにした闘技場を出ようとすると、入口でマイネに捕まった。
「聞いたよ、結婚するって本当かい! 私というものがありながら、どういうことだい」
驚いたマイネが手首を掴み、詰め寄ってきた。
「どういうこともねーよ、誤解されるようなこと言うな。とりあえず、親御さんとカルコスって国に寄るらしい。船で」
「淋しいよラグネル。君を弟のように思っていたから」
「俺は嫌いだ、試合のたびに服を脱がそうとするし、魔物は気持ち悪ぃし」
手を払い除け、距離を取る。
「彼はうちの娘婿です。さわらないでいただけますか。ラグネルさん、行きましょう」
とアキラが声をかける。
「……失敬。結婚おめでとう。この国には帰ってくるのかい」
「そのうち」
「そうか。船旅は退屈だろうし、これを。ここの酒場のだから持ってお行き」
「……もらっとく」
「どうか幸せに」
ラグネルとアキラを見送り、「行ってしまったねえ」とマイネは首を振った。
自宅に戻ると、ベッドに寝かせてあるセティスの、布団を直してやる。
先日、城門の外でセティスが、ガーネットと戦っていたのを近くで見ていた。
セティスが操る人形たちが剣を繰り出す技術に見とれ、ガーネットが作り出すゴーレムの、機敏な動きと強大なパワーに圧倒された。
だが、能力差は圧倒的で、助けることしかできなかった。戦いの場に飛び出して勝てるほど強力な魔物はまだ持っていない。
逃げ延びたセティスを、森の中で見つけ、助けたが、ぐにゃりとして力が入らないようだ。
「失敗したようだね。手助けがいるかい?」
「……いる……」
殴られた頬は赤黒く腫れ上がり、骨も折れているようだ。顔だけではなく、全身のあちこちの骨が。
燃え上がった糸が手首まで燃やし、ひどい火傷になってる。
セティスには気丈にも、草を掴み、顔を上げた。
「……まだ……、死んでない……。負けてない」
「うんうん。君が望むなら協力しよう」
「助けて……欲しい……。私は、まだ……」
「よしよし、良い子だ、だが街まで持つかな。骨折しているようだし、内臓に刺されば死ぬだろう」
荷物の中から、液体を詰めた小瓶を取り出す。
「回復薬として、高値で取引されているオクスリだよ。ヤバいくらいにすぐに傷が治る。だが、君の体が持つかは保証できないよ」
今まで何人も使い試してきたが、うまく操れることは少ない。
操れるようになったらなったで、急に眠ってしまったりする。そのまま目を覚まさない者もいた。
この子は可愛いから、眠ってしまったら売ってしまおう。愛用してくれる金持ちはいくらでもいるだから。
「……飲む」
求めに応じ、マイネは魔物の血を、唇に近づけ、少しずつ流し込んだ。苦しそうに吐き出すセティスの口を、唇で塞ぎ、舌を絡めて飲ませる。
まだ、体にはなんの反応も出ていない。
「元気になったら、あの女は君にあげよう。ラグネルは私がもらう。それでいいね」
頷いたのを確かめ、マイネはセティスを背負い、森を出た。
ラグネルが国を出てしまったのは予想外だった。行き先は聞いてある、追いつけないこともないだろう。
新しい実験体が手に入ったことだし、船旅の用意をしなくては。ベッドが大きめの部屋を予約しよう。
鼻歌を歌いながら、眠っているセティスの髪を指で梳いた。




