21.裏切りの連鎖
ミハエルが目を覚ますと、彼は軽い記憶喪失の状態にあった。しかし、その症状は彼の日常生活にほとんど影響を与えなかった。領地運営や政治に関する知識は完全に保持していて、必要な事務作業や判断も問題なく行えた。ただ、プライベートな記憶だけが、まるで霧の中に消え去ったかのようにぽっかりと抜け落ちていた。彼の顔には混乱の色が浮かんでいたが、日常業務を進める上での障害は全く感じられなかった。
私は薬剤室でスティグルの研究を眺めていた。彼は黙々と作業を続けており、部屋には薬品の香りが漂っていた。
「自白剤を頼んでから随分たつと思うけれど、別の薬はすぐに作れたのね?」
スティグルは一瞬手を止め、私を見て苦笑した。
「殿下、自白剤の開発には細心の注意が必要なんです。ご理解いただければ幸いです。」
彼はそう言いながらも、目の奥に疲れが見えた。
「そういうもの?」
「もちろんです。それに飲ませる相手が、あの宰相ともなれば…。それはもう最新の注意を払わなければ…。少しのミスでもあれば国が滅びます。」
「確かに…。はじめて戦争した時思ったけれど、バルサザールの頭脳は人を超えていたわ。たった3人でどうやったら大群に勝てるのよ。今でもあれは夢物語だったんじゃないかなって思ってしまうわ。ねぇ?ドラ。」
私はドラに話しかけながら、その日のことを思い出していた。
ドラは軽く笑いながら答えた。
「そうだな。俺も夢でも見てるのかと思った。バルサザールの指揮はまさに奇跡だったよ。」
――闇の…裏社会で生きるウルスウドラがそこまで褒めるということは、やっぱりバルサザールは特別なんだわ。
「殿下、これからはどう動かれる予定ですか?」
「そうね、今2つの選択肢で悩んでるわ。1つは私がこのまま王女としてバルサザールと共に国を導く。2つ目は行方不明の兄を連れ戻して次期王にして、私とバルサザールは他国へ行くかシュエット王国に行く。どっちが良いと思う?」
スティグルはしばらく黙って考え込んだ。ドラも同様に黙り込んでしまった。二人の顔には深い思索の色が浮かんでいた。
「それは…難しい選択ですね、殿下。それぞれの道に、それぞれのリスクと利益があります。」
「わからないわよね。私も自白剤がないことにはバルサザールを詰められないのよ。」
「そうですね。バルサザール宰相が何を考えているのかを知ることができれば、もっと明確な判断ができるかもしれません。」
私は少し考え込み、心の中で決意を固めた。
「どっちに転んでも良いように、やっぱり兄を秘書見習いで王宮に招いて、王族の作法や政治やその他もろもろを先に教えておこうかなぁ。」
ドラは腕を組んで、「確かにな。どちらに転んでもリスクはつきものだ。兄君を王宮に招いて教育を施すのは賢明な策かもしれない。未来のために備えるのは重要だ。」と静かに述べた。
「それが最善の策かもしれませんね、殿下。準備を進めましょう。」
その時、薬剤室の扉が静かに開いた。バルサザールが入ってきたその瞬間、部屋の空気が一気に凍りついた。彼の冷静な目が私たちを見回し、口元に微かな笑みを浮かべていた。
「何やら、とても興味深い話が聞こえてきたようですね。」
私は一瞬緊張し、息を呑んだ。スティグルもドラも警戒心を隠そうとしなかった。
「バルサザール…あなた、いつからここに…?」
「ちょうど、殿下が私に自白剤を飲ませようと企んでいらっしゃるところからです。」
彼の目は鋭く、何かを探るように私を見つめていた。
――バレてる!?
「な、何のことかしら。聞き間違いじゃない?」
いいえ、聞き間違いではありません。あなたとの婚姻をあっさりと取り付け、好色女のような振る舞いをしながらも、あなたの目は常に私に向いていましたから、何か…企みがあると思い、監視を続けていました。」バルサザールは静かに言いながら、ゆっくりと私に近づいてきた。
彼の一歩一歩が重く響く中、私はその場から動けずにいた。バルサザールの瞳は冷たく光り、鋭い視線が私を貫いていた。彼の姿が次第に大きくなり、緊張が全身に走る。
「おかしいと思いませんでしたか?」
彼はさらに一歩踏み出し、私の顔のすぐ近くに顔を寄せた。彼の息が私の頬にかかり、私は思わず息を呑んだ。
「何故私が、あんなにも早くシュエット王国に辿り着いていたか。」
彼の声は低く、誘惑するかのように囁かれた。彼の唇が私の耳元に近づき、囁く音が肌に感じられた。
「偶然ではないことはお分かりでしょう?王女殿下?」
彼の囁きに、私は全身が震えるのを感じた。
彼の手が私の肩に触れ、その冷たい感触が心に突き刺さるようだった。彼の顔は私の耳元から離れ、再び私の目をじっと見つめていた。私の動揺を見透かすようなその瞳に、私は目を逸らすことができなかった。
「バルサザール、知ってたのなら、なぜ今まで黙っていたの?」
バルサザールは一瞬私の目をじっと見つめ、突然パッと離れて、背筋を伸ばし、冷静な表情を取り戻した。
「別に知られて困ることはほとんどありませんでしたからね。」
「…本当に?今すぐ自白剤を飲んで証明できる?」
バルサザールの目が一瞬鋭くなったが、すぐに冷静な表情に戻った。彼は腕を組み、ゆっくりと首を振った。
「今は…知られて困ることができてしまったんです。」
彼の言葉に、私は一瞬戸惑った。その言葉の意味を探るために、彼の顔をじっと見つめた。バルサザールの目には一瞬の迷いが見えたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「知られて困ること?」
バルサザールは軽くため息をつき、私の目を避けるように視線を逸らした。そして、再びゆっくりと顔を近づけ、耳元で囁くように言った。
「王女殿下、無粋なことはおやめください。」
その声は冷たくもあり、優しさも含まれているようで、一瞬心が揺れ動いた。彼の息が耳にかかり、私の心臓が早鐘のように鳴った。
「な、何を…」
私は言葉に詰まりながらも、なんとか声を出した。
「スティグル、強力な自白剤をお願いします。あぁ、できれば…記憶が残るもので。それと錠剤にしていただけますか?」
「畏まりました。」
スティグルは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻し、薬棚の方へ向かった。彼は慎重に棚の扉を開け、手早く瓶や道具を取り出し、実験用の机の上に並べた。
彼はまず、小さな瓶から液体を慎重にスポイトで吸い上げ、それを別の容器に移した。そして、次に粉末状の薬を少量取り出し、液体に少しずつ加えていった。混ぜるたびに、液体が少しずつ色を変えていく様子が見て取れた。最後に、彼は小さなガラス瓶にその混合液を注ぎ入れ、ふたをしっかりと閉めた。
バルサザールはさらに近づき、その冷静な瞳が私を見透かすように見つめた。彼の息が耳にかかり、私の心臓が早鐘のように鳴った。彼の表情は冷たくもあり、優しさも含まれているようで、一瞬心が揺れ動いた。
「知っていましたか?スティグルは私の忠実な部下なのです。」
――はぁ!?そんなはずは…。
「どういうこと?」
スティグルは薬を手にし、バルサザールの言葉に少しも動じず、私の方を向いた。
「その通りです、王女殿下。私はバルサザール様に忠誠を誓っております。」
私の心臓が一瞬止まったかのように感じた。バルサザールの冷たい笑みと、スティグルの無表情な顔が、私の頭の中で混ざり合って混乱を引き起こしていた。
――ど、どういうこと!?何を言われてるの?わ、わ、わからない!!!
スティグルは淡々と魔道具を取り出して、それを用いて調合した自白剤を錠剤にし、バルサザールに手渡した。その動作には一切のためらいがなかった。
「さて、王女殿下。お薬の時間でございます。」
私は恐怖に駆られ、ドラに助けを求めるように視線を向けた。
「ドラ!!助けて!!」
しかし、ドラは視線を逸らし、「ごめん…。」と呟いた。
――ドラまで買収されてるの!?信じられない…。
読んで下さってありがとうございます!
お手数かけますが、イイネやブクマをいただけたら幸いです。モチベに繋がります( *´艸`)




