20.解放の口付け
朝食を終える頃、私はスティグルの相談内容が気になり始めていた。ドラが私の椅子を引いて立ち上がり、ラーカンと共に食堂を後にした。私たちは廊下を進みながら、スティグルのいる薬剤室へと急いだ。
廊下の大理石の床が靴音に響き、重厚な扉が次々と私たちの前を過ぎていく。窓から差し込む朝の陽光が廊下を照らし、城内の静寂と威厳を感じさせる。
「スティグルが何を相談したいのか気になるな。」ドラが低い声で言った。
「どうして?」私は前を見据えながら答えた。
「どうせまた良からぬ薬を開発したんだろう。」
――あぁ…前の抑制剤を飲んだせいで変なトラウマでもできてるのかな…。
やがて、薬剤室の前に到着した。重い木製の扉が静かに開き、中からスティグルが顔を出した。彼は少し疲れた様子だったが、私たちを見て微笑んだ。
「お待ちしておりました、殿下。どうぞお入りください。」
スティグルは扉を大きく開けて、私たちを迎え入れた。
私たちは一歩ずつ慎重に部屋に入った。薬剤室の中は、様々な薬瓶や道具が整然と並び、独特の薬草の香りが漂っていた。スティグルが中央のテーブルに案内し、私たちは席に着いた。
「それで、スティグル、何の相談?」
スティグルは真剣な表情で私を見つめ、静かに話を始めた。
「実は、ミハエルについて重要な話です。殿下がシュエット王国に滞在している間、私は対象の記憶や好意を消し去る薬の開発に着手しておりました。」
「うっ…。」ドラが明らかに嫌そうな顔をした。
「なるほど、ミハエルにそれを飲ませたいってわけ?」私は興味津々に尋ねた。
「はい。ただ…1つ問題があります。」
「問題?」
スティグルは少しためらいながら続けた。
「まず、薬によるストレスを脳に与えなければいけません。そして狭い部屋に1週間程度の軟禁。最後に、解放的な空間で薬を口移しする必要があります。」
「えぇ!?く、口移し!?」
「そうすることにより、やっと効果がでました。殿下から頂いた資金でかなり治験が捗ったので、それをすれば確実にミハエルの父から受けた洗脳も解け、殿下への執着もなくなるでしょう。」
ドラは不満そうに眉をひそめ、腕を組んで背もたれに寄りかかった。
「そんな方法、本当に必要なのか?」
「必要です。ミハエルの執着は非常に強く、普通の手段では解けません。この薬は唯一の解決策です。」
私は深く息を吸い、少し考えた後に頷いた。
「わかったわ、スティグル。やってみる価値はあるわね。」
「ありがとうございます、殿下。」
「でも、口移しって…どうしてそんなことが必要なの?」
「薬の効果を最大限に引き出すためには、非常に親密な接触が必要なのです。それに、薬を拒絶させないための方法でもあります。」
ドラはため息をつきながら頭を振った。
「まったく、面倒なことになったな。」
「そうね。でも、ミハエルのためにもやらなければならないわ。」
私はその計画を頭の中で反芻しながら、どれほどの労力と時間がかかるのかを考えていた。
「それじゃ、すぐに準備を始めましょう。ミハエルを救うためには、それしかないものね。」
「はい、殿下。実は既にもう軟禁状態にはしてあるんです。」
「えぇ!?そうなの?そんなこと可能だったの?」
スティグルは困惑した表情を見せた。
「殿下がシュエット王国に向かわれた時点で、私はミハエルの状態が緊急を要するものだと判断しました。殿下が戻られる前に、できるだけ準備を進めておく必要がありましたので…王に適当な理由をつけて許可していただきました。」
ドラは腕を組んでため息をつきながら、「相変わらず、抜け目がないな。」と呟いた。
私はスティグルの説明を聞きながら、心の中で彼の判断に感謝していた。
「わかったわ、スティグル。それで、次に何をすればいいの?」
「まず、殿下にはミハエルのところに行っていただきます。薬を投与するための環境は整っていますが、最後の段階で必要な『口移し』についての準備をお願いします。」
「本当にそれが必要なのね…」
スティグルは真剣な表情で頷いた。
「はい、殿下。これは絶対に必要なことです。ミハエルの洗脳を完全に解くためには、殿下の協力が不可欠です。」
ドラはその様子を見ながら、「俺も同行する。何が起こるかわからないからな。」と強い意志を見せた。
「ありがとう、ドラ。心強いわ。」
私たちは薬剤室を出て、ミハエルが軟禁されている部屋へと向かった。廊下を進む間、私の心は不安と期待で揺れていた。ミハエルを救うために、私にできることは何か。私の存在が彼をどれだけ傷つけたのかを思いながら、決意を新たにした。
やがて、私たちはミハエルが軟禁されている部屋の前に到着した。スティグルが慎重に鍵を回し、扉を開けると、そこには暗い部屋で膝を抱えて座っているミハエルの姿があった。
「ミハエル…」
彼はゆっくりと顔を上げ、私を見つめた。その目には深い悲しみと絶望が宿っていた。
「ティアナ…あぁ…会いたかった…。」彼の声はかすれていた。
私はそっと彼の隣に座り、彼の手を握った。ミハエルは私の手を強く握り返し、その温もりを感じながら深い息をついた。
「ティアナ…君がどれだけ僕の心を占めているか、君にはわからないだろう。君を思わない日は一日たりともなかった。君の笑顔、君の声、君の全てが僕の心を支えてきたんだ。」
彼の言葉は切実で、その瞳には涙が浮かんでいた。
「ミハエル…」
彼の愛がどれだけ深いものかを痛感し、その思いに応えられない自分を責める気持ちが湧いてきた。
「ティアナ、僕は君のためなら何でもできる。君が望むことなら、命をかけても守りたい。君が幸せであることが、僕にとっての幸せなんだ。」
彼の声は震え、涙が彼の頬を伝って流れ落ちた。私はその涙を拭いながら、彼の瞳を見つめた。
「ミハエル…あなたの気持ちは痛いほどわかるわ。でも、あなたのためにも、私を忘れる必要があるわ。」
彼は私の言葉を聞いて、しばらくの間黙っていた。そして、深い溜息をつきながら、静かに頷いた。
「ティアナ…一応話はだいたい聞いたよ。それでも僕は…。」
彼の言葉に私は涙を浮かべながら、頷いた。
「わかってる、ミハエル。ありがとう…。」
――セインタール公爵…絶対に許せないわ。
「スティグル、お願い。」
スティグルは静かに頷き、準備を整えた。
「はい、殿下。では、始めましょう。」
スティグルが薬を取り出し、慎重に私に手渡した。私はその小さな瓶を見つめ、深呼吸をして心を落ち着かせた。
「これが最後の段階です、殿下。」
私は薬瓶の蓋を開け、薬を手のひらに出した。その小さな粉薬は光を反射して輝いていた。私はゆっくりと薬を口に含み、唇の間に留めた。
ミハエルの顔を見つめると、彼の瞳に宿る愛と悲しみが私の心を揺さぶった。
――ミハエル…どうか私のことは忘れて自由になって。まだ、ほんの15歳だもの。十分間に合う。
私はゆっくりと彼に近づき、手で彼の頬に触れた。彼の肌は冷たく、緊張しているのが伝わってきた。彼の目を見つめながら、私はその深い瞳に吸い込まれるような感覚を感じた。
そして、私は静かに彼の唇に触れ、薬を口移しで渡した。私たちの唇が触れ合う瞬間、薬が彼の口の中に流れ込んだ。
――そういえば…。この体のファーストキスの相手はミハエル…あなただったのね。
そのキスはとてもロマンチックなものではなかった。アナタも私も正気じゃなかった。私はアナタから受けた一方的なキスを返すだけ。それから…ミハエル推しの皆さん…ごめんなさい。
ミハエルの体が一瞬震え、目が見開かれた。彼の呼吸が一瞬止まり、私の唇を感じると同時に、深い安堵が伝わってきた。
ゆっくりと私は彼から離れ、彼の瞳を見つめ続けた。ミハエルはそのまま目を閉じ、体が力を失い、深い眠りに落ちていった。その表情は穏やかで、まるで全ての苦しみから解放されたかのようだった。
私は深く息をつき、彼の手を優しく握りしめた。
「さようなら、ミハエル。あなたを大好きな人は沢山いるわ。だから…私なんかに囚われないで。私はただの亡霊よ。」
スティグルは私の背後で見守りながら、静かに呟いた。
「殿下、これで彼は自由になります。」
私は頷き、ミハエルの手をそっと離した。彼のためにできることは全て終えたのだと感じながら、心の中で彼の幸せを祈った。
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