解放しろって言ったから
魔物が人間をモグムシャアする表現があります。
「ライナス様をぉ、解放してくださぁい!」
やけに語尾を伸ばして甘ったるい話し方をする女がミリーの屋敷に乗り込んできたのは、執務が一段落ついた時だった。仕事を終えて、のんびりお茶でも飲もうかとメイドに用意させて、香り高い紅茶に頬を緩ませていたまさに至福のひと時であった。
わざわざミリーの屋敷にやってくる者はそういない。
なのでまぁ、警備とか緩いのはそうなのだが、まさかこうも堂々と乗り込んでくる者がいるとは思わずに、ミリーはついきょとんとした目を招待もしていないため客とも呼べない無礼者へと向ける。
「そもそも貴方、誰?」
とてももっともな疑問だった。
ここに来る者は限られている。警備はザルだから侵入しようと思えばいくらでも侵入できるため、賊なんかは嬉々としてやってきそうではあるけれど、しかし彼らは存外賢い。生存本能が仕事をしていると言ってもいい。
鍵をかけないままであっても、入り込んだりしてきた事はなかった。
だが、目の前の女は鍵がかかっていない事をこれ幸いと勝手に入り込んできたのである。
そして開口一番ライナスを解放しろときた。
「ライナス、知り合い?」
「は、その、町で知り合いました」
「そうよぉ、私とライナスは愛し合っているんだから」
「愛」
その言葉に思わずミリーは鼻で嗤った。
何笑ってるの!? と女がヒステリックに叫ぶ。
「聞いたのよ私、貴方がライナスを縛り付けてるせいで、彼は自由になれないの!」
噛みつかんばかりの勢いで言う女に、だからまず誰、とミリーは若干語気を荒げて問うた。
その迫力に若干圧されたのか、女は一度びくりと肩を震わせて、それからか弱く見えるように、
「やだ、ライナス……怖いわ……」
などと被害者面をかましている。
普通に考えて勝手に家に入ってきて喚き散らしているお前の方が頭おかしい気狂いかと思って怖いわ、と言わないだけミリーは優しい方だ。
ライナスというのは、とある貴族の家に生まれた長男である。
容姿端麗なその姿は、用事があって町に出かけた時にそれはもう周囲の視線を集める程。
ここら辺はお世辞にも都会とは言えないので、田舎に近い場所で洗練された美形がいればそれは注目を集めるというものである。
今更ながらに、女はリジェと名乗った。彼女は町の出身で、花屋で働く娘だった。
たまたま屋敷に飾る花をいくつか追加で用意しようとしたライナスが訪れた花屋。そこでリジェは運命の出会いをしたと思っている。
つまりは一目惚れだ。
その後リジェはライナスにガンガンアタックしていった。
引くという言葉を知らないイノシシのように一直線にライナスにアプローチをかけにかけまくった。
けれどもライナスは決してその誘いには乗らず、仕事中なのでとつれなく断り去っていく。
何度もそんなやりとりを繰り返して、どうにかそれでも強引に少しの時間を勝ち取ったリジェは、ライナスの事を知ろうとあれこれ問いかけた。
そしてライナスがこの屋敷で働いているのだという事を知ったのである。
町の住人たちはこの屋敷で働いている者がどういった者であるかを詳しくは知らない。国のお偉いさんだ、という認識はあるが、正確にどういった立場と身分の者か、までは知らないし知る必要もないと思っている。
平民が貴族に下手に関わって不興を買えば、命が危ないので。
けれども恋する乙女リジェは強かった。
そんな貴族様への無礼など恐れるものかとばかりにライナスに付きまとったのだ。
リジェは自分が可愛いという自覚がある。
だから、この愛らしさを活かせばいずれはライナスを落とせる自信があった。
町の中でライナスよりいい男なんて見た事がない。
都会にいけばもっと素敵な男性がいるかもしれないけれど、王都へ行く余裕はないし、それ以前に王都で仕事をする伝手も何もない。
だから、手の届く範囲――つまりは町――でリジェは将来を共にする相手を見つける必要があった。町の住人じゃなくたって、たまにここに訪れる行商人だとか、旅人だとかでも素敵な人がいれば。
そう思っていたところに、リジェの人生で一番素敵だと思える相手と出会えたのだ。
これはもう、確実にゲットするしかない。
だがライナスはいつまで経ってもそっけない。
名前を聞き出すまでに数日。
どこで働いているかを知るまでに数か月。
このペースではとてもじゃないが結婚する頃には老婆になってるかもしれない……! と内心で焦りもしたのだ。流石に老婆は大袈裟かもしれないが。
どうにかしがみ付いて纏わりついて、ライナスへの好意を隠す事なく全力で伝えて。
そうして、根負けしたのかライナスはようやく自分の事を話してくれたのだ。
ライナスは、とある貴族の家で長男として生まれた。
本来ならば跡取りとして育つはずだったが、色々な事情があってミリーの従者となる事になった。
従者となったために家からは離れ、そして後継者にもなれなくなった。
故に今、自分は貴族でもなんでもないのだと。
ライナスとしては、自身の生い立ちから特に旨味はない、というのを伝えたつもりなのだがリジェは違った。
ミリーのせいで、彼の人生は歪められているのだと思ったのである。
確かにこれだけ聞けばそう思っても仕方がない。
だがしかし、リジェはもっと冷静に考えるべきだった。
貴族の長男が従者になって家を出る、というのがどういう状況であるのかを。
ライナスが何もしていない、もしくは何も問題がないのであれば、こうはなっていないだろう。
であれば普通に後継者として貴族としての暮らしをしていたはずだ。
だが、リジェにはそこまで考えが及ばなかった。
ただ、元は貴族だ、という言葉に。
どうして今はそうではないのか、という理由を詳細に知る前に。
夢を見てしまった。
彼がミリーから解放されたなら、彼はまた貴族として戻れるのではないか、と。
そうして彼のお嫁さんになれば自分も貴族夫人だ。そしたら、毎日花屋で冷たい水で手を荒れさせてまで働く必要はなくなるし、綺麗なドレスを着て、素敵な宝石を身につけて、そうしてパーティーなんかで楽しんだりできるのではないか、と貴族の事などほとんど何も知らないくせに、夢を見てしまったのだ。
ライナスへの愛は確かにある。
けれどもそこに、更なる欲望が追加されてしまった。
何が何でも、ライナスをミリーという魔の手から解放しなければならない。
そう、リジェはまるで使命感のように思い込んでしまったのだ。
「ライナスを解放ねぇ……他人がでしゃばるな、と言いたいところだけど」
「他人じゃないですぅ! 私とライナスは愛し合っているんですぅ!!」
ぷぅ、と頬を膨らませるリジェを見るミリーの目はどこまでも冷たい。
もうちょっと見下すようなのが含まれていたならマシだったかもしれないくらいに、冷ややかであった。
「ライナス、君はどうしたい?」
「私は……」
「ライナス! 我慢しないで本当の事を言ってちょうだい! こんな女に負けないで!」
リジェの中のミリーはどういう存在になっているのか、大体予想はつくのでミリーは思わず白けた目を向けた。悪役としてみなすにしても、もうちょっと捻りが欲しいなと思ったのだ。
しかし愛、ときたか。
誰と? ライナスと?
なんて非生産的なんだろう。
ま、何も知らない女だから仕方がないか。とはいえ、招いてもいない家に勝手に入ってきて言いたい放題なのは正直に不快である。
人様の家に勝手に入っちゃいけませんって親から教わらなかったのだろうか。
一応呼び鈴とかドアノッカーとかあるんだから、きちんとした訪問をすればまだしもそんな音は一切しなかった。礼儀も何もないとか困ったものだな。
リジェがライナスを励ましているのを眺めながら、ミリーは呆れた眼差しを隠しもせずに向けていた。
「私は、主様のお傍にいたいと思っております」
「そんなぁ! 嘘! 嘘よライナス! 貴方いいように利用されてるのよ! 目を覚まして!!」
まぁそうだろうな、とミリーは思う。
ライナスは確かに元は貴族の嫡男で、跡取りだった。
けれども後を継げなくなってしまった。無理に継いだとして早々に破綻するのが目に見えているからだ。
能力的に決して彼は劣っていなかった。
けれど、ただ、そう。どうしようもなかったのだ。
誰が悪いというわけでもなかった。
いいように利用しようとしている女が何か言ってるな、とか、目を覚ませはこっちのセリフだろうに、だとか。
まぁ言いたいことはあるのだけれど、多分こっちの言い分なぞ聞きやしないだろう。
たとえどれだけ丁寧に親切に教えてやっても、馬鹿は自分の都合の良い事しか聞かないし、更にはその言葉も勝手に曲解する。
故にリジェの中ではライナスという本来ならば貴族として暮らしていた青年をミリーが何やら非合法な手段で搾取しているのだと思い込んでいるに違いなかった。
「ライナス」
「はっ」
一声呼べば、即座に姿勢を正す。それはまるで忠誠を誓う騎士のようであった。もっとも、ライナスの服装はスーツなので執事と言うべきだろうか。
「その女に現実ってやつを見せてやろうと思う」
「それは……」
「解放しよう」
「何、私とライナスが愛し合ってるってことを認めるの!? 嬉しい! ライナス、ライナス、これからはずっと一緒よ! 幸せになりましょうね!!」
頭の中身がとてもお花畑だな、と思いながらもミリーはライナスを解放するべく一つの呪を唱えた。
たちまちライナスの身体が崩れ落ちていく。
「え……っ、な、何!? ひ、ひぃっ!?」
ぐずぐずに腐り落ちていく肉。漂う腐臭。
美丈夫と言っても差し支えなかったはずのライナスの面影などもうどこにもない。そこにいるのは、腐った肉をかろうじて骨に纏わせた、生ける屍であった。
あまりにも突然の出来事にリジェの理解は追い付かない。
何が起きているのか、それを理解しようとして――だがしかし手遅れだった。
「ぎゃっ!?」
生ける屍がすぐ近くにいたリジェを捕えるのは容易だった。空洞の眼窩には何とも不気味な光が目のかわりとばかりに爛々と輝いて、明らかにリジェを見ているとわかる。
腐った肉と骨の感触。腕から伝わるそれは大層不快であった。
咄嗟に振り払おうにも、思った以上に力が強い。
「なっ、何!? なんなの!? あんた一体何したの!?」
「解放しろって言ったのはそっちだろうに」
リジェが叫ぶも、ミリーとしてはわかりきっている状況なのでとてもあっけらかんとしていた。
「ライナスはね、昔事故で死んでしまったんだ。大層悲しんだ夫妻に、たまたまその場に居合わせた私は一つの提案をした」
「ぎっ、ぎゃああああああああ!!」
昔を懐かしむように語りだしたミリーの言葉を果たして聞いているのだろうか。リジェの叫びが響き渡る。
まぁ無理もない。
新鮮な肉を求めて生ける屍がリジェの腕に噛みついて、その肉を容赦なく食いちぎったのだから。
「私はちょっと特殊な死霊術が使えた。普通の死霊術は生ける屍を操るのが関の山かもしれないけれど、私の術は特別でね。生前の姿で動かす事ができる。しかも思考も本人のものだ。そう、死んでいるけれど、しかし生前の姿で動けるために生きているように見える。
とはいえ、あくまでも死霊術だ。蘇生術じゃない。というか死者蘇生は流石に禁忌だからね。使うと神の怒りを買う」
「ぃあっ、あ、あああああ、いたいいだいいだいいいいい、たすげでえええええええ!!」
泣き叫ぶリジェは何とかして拘束から逃れようとするも、逃げ出せそうな気配はない。生きながらにして食われている。ぐちゃ、という肉が潰れる音や咀嚼音が聞こえているが、恐らくそれはリジェには聞こえていないだろう。自分の叫び声のせいで。
「聞こえてるかな? まぁいいや。一応ね、年齢に合わせて成長するようにもできるんだよ。だから、死んだ時はまだ少年だったライナスくんは今や立派な青年に見える。うん、素晴らしいね。
とはいえ、彼はどう足掻いたって生ける屍で、術者の傍にいないと代償が必要になってくる。
新鮮な生肉を定期的に与えなければならないんだ。私が傍にいないとね。
でも、限度がある。年月が経過すればするほど、必要な量が増えていく。最初はいいよ? 精々お皿の上にちょっとだけお肉があればいいだけだからね。
でも、そこから段々増えていけば、皿だけでは収まらなくなる。最初は家畜の肉で誤魔化せるけれど、いずれはそれじゃ足りなくなる。そうなると何が必要になるか。
そうだね、新鮮な人間のお肉だね。
ライナス君のご両親は、だからこそ断念したよ。ずっと家に置いておくことを。だって、最初はいいけどそのうち人間生きたまま餌にしないといけなくなるからね。適当な犯罪者とかを引っ張ってくれば最初のうちはいいよ? でもさ、そのうちそれじゃ足りなくなる。代償が不足すれば彼は暴走する。人としての理性はあくまでも術による仮面で、代償が不足すれば簡単にリミッターは解除される。
つまりはね、下手すると我が子を家に置いておきたい、とか思った夫妻がライナス君のご飯になる可能性が出るわけだ。困るよね。とても困る。
犯罪者も常に用意できるわけじゃないし、それ以外の人を使うにも限度がある。更には自分たちも餌になる可能性。いくら見た目生きてる時と同じように見えて、会話も今までと同じように彼が彼だと思えるとしてもさ、流石に死人は後継者にできないだろ?
だから、しばらくの間はライナス君の実家でライナス君が成長する様を見せていたのさ。後継者にできなくたって、それでも死ななかったらこういう風に成長できたよ、っていうのを見せるくらいはできるから。
でも、流石にお年頃になっても後継者にしない長男が家にいるのはおかしいだろ?
だから、ライナス君は従者として私の傍にいる。術者の傍にいるなら暴走もしないからね。平和なものさ。
でも、君が解放しろっていうからさ。お望み通り解放してあげたけど……どう?」
折角人としてのガワを整えてあるのに、それらを解き放てとはいい趣味している。
間違いなくリジェが言った解放しろはそういう意味ではないのをわかっていながらも、ミリーはそんな風に揶揄った。
とはいうものの、リジェはもう叫ぶ元気もないらしい。無理もない。肉を食われるだけならまだしも、骨までバリバリ食べられてるし、普通の人間ならもう死んでいてもおかしくないくらいだ。
まだかろうじて動いているようだけど、多分死ぬのは時間の問題。
普段人の姿をしている時のライナスは、人間と同じような食事で問題ないのだけれど、いざ生ける屍に戻れば途端に新鮮な生肉を求めだす。
それを知らずに一番危険な奴の隣を陣取っていたのだから、リジェがこうなるのはどう足掻いても避けられない事態だった。
あ、死んだな。とミリーが把握してからライナスが綺麗にリジェを食べきるまでそう時間はかからなかった。
食べ終わった後、ライナスはそのまま他にも新鮮な肉がないかと周囲を見回していたが、とりあえずミリーが再び唱えた呪により本体はとうに腐って形が残っているだけでも奇跡と言っていいくらいの姿から、みるみる先程までのライナスとしての姿に戻っていく。
「ぁ……私、は?」
「うん、おかえり。君にまとわりついていた女は、美味しかったかい?」
「えぇと……生憎、覚えていませんね」
「ははっ、そっかぁ。ま、とりあえず君が汚したんだから、君が片付けてよ」
床、と顎で差せばライナスは心得たとばかりに一礼して去っていく。掃除道具を取りにいって、それからここを掃除する流れだ。
折角仕事を終えた後の休憩として紅茶を飲んでいたけれど、もう紅茶の香りどころではない。
背後で控えていたメイドにそれらを下げさせて、ついでにライナスを手伝うように指示をだす。
ミリーは人の姿こそしているけれど、どちらかといえば死者を司る存在だ。
この屋敷には正しい意味での生きた人間は存在しない。故にのこのこと屋敷に侵入すれば、最悪命はない。
ただ、それだけの話である。
これ男女逆なら肉体関係に発展した時に子種と同時に身体もモグモグされそうだなって考えたけどそのシーン流石に年齢制限ありになるよな、っていうのとそれもうただのカマキリの交尾なんよってセルフ突っ込みが入ったので自重しました(曇りなき眼で)