8.僕だけが出られない領域
フレンド申請が早く答えを返せと明滅していた。
ARATA-RES:新手の冗談ですか? それとも命乞い?
MEILI-RES:どちらでもないわ。面白そうだから、お友達になりたいと思ったの。
そういうメイリィの顔は純真無垢そのものだ。
サービス開始からいきなり暴れる正気とは思えないPK。
そんなプレイヤーからのフレンド申請を一体どうすべきか。
アラタは受けた。
了承をポイントし、申請が閉じる。
正気の沙汰ではないかもしれないが、狂気の沙汰ほど面白いとも言える。
これは遊びだ。面白さは全てに優先される。
MEILI-RES:嬉しい。これでアタシたちはお友達ね。
フレンド関係が成立したことで、メイリィの二次情報が見えるようになった。
メイリィ・メイリィ・ウォープルーフ
レベル:2
種族: ヒューマン
クラス:大鎌使い
理念: 戦いを求めるもの
MEILI-RES:|星を追うものってどういう理念なの?
メイリィもアラタの公開情報を見ていたらしい。
ARATA-RES:それは僕も知りたいですね。
MEILI-RES:ナニソレ?
ARATA-RES:言われた通りにしたら、こうなりました。
MEILI-RES:アナタと話してると、どこまで冗談なのかまったくわからなくて面白いわ。
メイリィが大鎌を構え直した。
MEILI-RES:とりあえず、続きを始めましょうか。
ARATA-RES:いいんですか? 見えてない左側、狙いますけど。
MEILI-RES:わざわざ教えてくれるなんて親切ね。
ARATA-RES:言ってるだけですよ。右の方が狙い安かったらそっちを狙いますし。
MEILI-RES:素敵。
メイリィは、本当に嬉しそうだった。
戦いは、長くは続かなかった。
メイリィは受けに受け、アラタは攻めに攻めた。
片目が見えない状態であり、守りに向かない大鎌という武器を使ってなお、メイリィは致命傷を避け、必殺の機会を伺っていた。
そしてアラタは、そんな機会は与えなかった。
隙を与えず、削るように、常に相手が最も嫌な攻撃を続けた。
そうして、限界が訪れた。
メイリィが攻めに転じた。
成功の確証などまるでない、ギャンブルのようなタイミングであったが、このままだと致命傷を受けずともHPを削りきられて死ぬ。
行かざるを得ない状況であった。
メイリィは大鎌の柄尻を槍のように使ってアラタの足を狙い、それによって作った隙から大鎌の一撃を見舞おうとした。
アラタは、避けもしなかった。
大鎌の柄尻が足を潰し、鈍い痛みが走る。
その時にはもう、アラタの忍者刀はメイリィの胸を貫いていた。
大鎌を振ろうとしていたメイリィが、そのまま硬直した。
MEILI-RES:本当に素敵。とっても楽しかったわ。
メイリィの姿がかき消える。
潔く、蘇生待ちをせずにログアウトしたらしい。
気付けば、周囲の死体の数も減っていた。
大半が蘇生受付時間を終えて、無念のログアウトを迎えたようだ。
アラタが忍者刀をしまおうとした時だった。
「きゃああああああああああああああああああ!!」
背後から絶叫が聞こえた。
振り向くと、妖精族と思しきプレイヤーがいた。
妖精族のプレイヤーは、アラタを恐怖の目で見据えていた。
アラタは自分の状況がどう映るか考えてみる。
数多のプレイヤーの死体の中にいる、唯一の生存者。
その死体を作り出したメイリィは、ログアウトしてもういない。
さて、この惨状の犯人に見えるのは一体誰なのか。
答えは簡単だ。
「いや、ちょっとちが、これは……」
説明する間もなく、妖精族のプレイヤーの姿はかき消えた。
ログアウトだろう。
確か戦闘中、及び近くで戦闘が行われている状態ではログアウトできないはずなので、危険を察知して真っ先にログアウトするのはそう悪い手ではない。
弁明の機会すら与えてもらえなかったのは、アラタとしては不本意ではあるが。
残ったプレイヤーの死体も消え、洞窟には静寂だけがあった。
とにかく、先行プレイヤーから情報を得る、という当初の目論見は外れた。
対人戦で動きを確認できた、それなりにやれるとわかったのは収穫ではあったが、探索を進めたりする上では全くの振り出しである。
とりあえず、アラタも一旦ログアウトして情報を集めるのがいいだろう。
そう考えてシステムにログアウトを命じた時だった。
視界に真っ赤な文字が現れる。
その文字は、こう告げていた。
無効なコマンドです。
「いやいやいやいや」
どういう冗談か。
ログアウトができない。
アラタはあの手この手でログアウトを試みたが、アルカディア外の領域に移動することはできなかった。
本当に出られない。
意味がわからない。
たった今、眼の前で妖精族のプレイヤーがログアウトしていったではないか。
オープニングで出会った老人の言葉が、アラタの脳裏に蘇った。
――――汝に戒めを与える。
「うそでしょ……」
現代では、世界は三つに分類できる。
一つ目はプライマル。物質界とも呼ばれる場所だ。
今の地球の総人口はもはや十万人程度で、肉体を持った人間はほとんど存在していない。
アンドロイドに介護されて生きる、衰退した人間の世界だ。
物質人でも見かけたか? は驚いている相手によく使うジョークにまでなっている。
二つ目はシャンバラ。
アラタが生きる、データネットワーク上の世界だ。
ここには、あらゆる領域が存在する。
各国の各時代を模した領域、想像できる限りの楽園を実現したバカンス領域、映画や物語の世界を再現した領域。
そして娯楽として最も人気のある、ゲームの世界に入って直接その世界を体験する遊戯領域。
シャンバラでは、五百億を超える人間が各々好きな領域で暮らしている。
最後にエデン。
ここは、死者の行き着く彼岸だ。
無論、死んだら自動的に送られる本当の天国ではない。シャンバラと同じデータネットワーク上の世界だ。
しかし、天国に近しいものではある。
物質人は死ぬ直前にエデンへの移住を選択できる。
シャンバラ人は若返り処置を拒否し、生きることに満足したらエデンへと移る。
同じデータネットワーク上の世界でも、シャンバラとエデンは大きく異なる。
シャンバラは、あくまでプライマルのエミュレートを基礎としている。
物理法則も同じならば、人間だって現実の通りだ。腹も減れば歳も取る。睡眠だって必要だし、鍛えれば肉体は強くなり、怠ければその分だけ弱くなる。
一部遊戯領域では最後の部分は領域独自のものになるが、体感上はプライマルと全く同じだと考えていい。
エデンは、違う。
自己の改変から領域の改変まで、完全に好きにしてよい世界だ。
自分の肉体、精神に至るまで全てを好きに変えられるし、自分の理想の世界だって作れる。
そのために、エデンへの移住は一方通行となる。あまりにも世界が変わってしまうからだ。
だから、実質的な彼岸になっている。
エデンからシャンバラへの繋がりは、作品だけだ。
芸術作品、娯楽作品、そういった創作物だけが、エデンから贈られてくる物だ。
誰もがその分野の天才になれる世界から贈られてくるものの質は当然ながら高い。
しかし、いいものだけが贈られてくるとも限らないのだ。
その昔、人間がデータネットワーク上で生きるようになってまだそれほど経っていない頃、エデンからの贈り物にとんでもないウィルスが仕込まれ、三つの領域と百万以上の人間が消失する大災害が起きたことがある。
エデン側でもこれは想定外の事態であり、一人の狂人が行った凶行であった。
具体的にどうしたかはシャンバラ側には伝わっていないが、犯人は無事『処理』されたらしい。
それからしばらくは、エデンからの贈り物は受け取らないことになった。
当たり前な話だ。たかだか芸術や娯楽のために、世界の危機のリスクなど受け入れられない。
けれど、時間は全てを風化させる。
エデンからの恐怖もまた、次第に風化していった。
かなりの時間が経過し、最近になってようやくエデン製のものを受け入れるようになった。もちろん、極めて厳密な検査の上で。
かつての伝説の通りエデン製のものは質が高く、今では再びシャンバラの人々を大いに楽しませている。
そして、アルカディアはエデン製の遊戯領域だ。
アラタはおそらくかなりの面倒事に巻き込まれている。
理由なしに領域移動を妨げるなど、人権の侵害である。
アラタは再度ログアウトを試みたが網膜上に表示されるのは先程と同じ、
無効なコマンドです。
という真っ赤な文字だけだった。
ここでアラタには、二つの選択肢がある。
一つは他プレイヤーを通じて保全委員会に通報してもらい、アルカディアを停止してもらうことだ。
プレイヤーをログアウトさせないなどまともではない。シャンバラの基準に反した明確な違反行為だ。
保全委員会の手を借りれば、さすがにアラタのログアウトも叶うだろう。
この場合、アルカディアはサービス停止し、エデンとシャンバラはまたひと悶着あるだろう。
そしてアラタには、もう一つの選択肢もある。
それは、このままゲームを続けてしまうことだ。
あの老人は戒めを与えると言っていた。
だが、言っていたのはそれだけではない。
――――戒めから開放されたくば、星の試練に挑む力を見せよ。
つまり、永遠にログアウト出来ないわけではない。
条件を満たせば開放すると言っていたのだ。
星の試練に挑む力を見せる、とやらが一体何を指しているのか検討もつかないが、とにかくそれを達成すればログアウトは叶うはずだ。
「じゃあやりますよ」
アラタは一人呟いた。
ソロゲーマーは独り言が多いとされるが、アラタも例に漏れずその通りだ。
要するに、これはエデンからの挑戦だ。
アラタは一人笑う。
アラタは売られた喧嘩は買う主義だ。