77.フレンド
まずは耳の治療から入った。
遊戯領域での治療とは実にあっさりしたもので、回復薬をかけるだけで耳はすぐに治った。
薬をかけると薄っすらと半透明な耳が現れ、それはすぐに実体を伴ったものになった。
アラタには耳が千切れようが腕が千切れようが、回復薬をかけるだけで治るというのは実に奇妙に思える。
ここらへんは反応が分かれるところで、プレイヤーによっては違和感を感じないものも多い。
ユキナは気にしない派らしく、当然のように治して、治った耳をピョコピョコ動かしていた。
ちょっと身体流させて、といったのはユキナだ。
さすがに血まみれの姿で話すわけにもいかず、ユキナは裏庭の井戸で血を洗い流していた。
アラタはその間、部屋で待っていた。
エデン人が関わっていなくて良かったと思う。
今回の件は単なる不運で、その不運をアラタが打ち払えたことに安堵する。
しばらく待っていると、ユキナが戻ってきた。
「お待ちどうさん、スッキリしたわぁ」
ユキナは長い髪をまとめ上げ、タオルで巻いていた。
タオルの上から兎耳だけがピョコンと飛び出ている。
「それで? 話ってなんですか?」
ユキナは少しおかしそうにして、
「いきなりそれ? もっとなんかないん?」
「もっと、とは?」
「ほら、ウチが襲われてて助けてくれたやろ?」
「まあそうですけど」
「その話は?」
「話って言われても…… がんばって勝ちました」
ユキナはそんなアラタの反応を見てクスクスと笑う。
一体何が面白いのかアラタにはわからない。
「せやんねぇ、ウチのためにがんばってくれたんや。ほんまおおきに、ありがとうな」
面と向かって言われると、すごく照れる。
アラタはなんとなく居心地が悪くなって今すぐ逃げ出したくなった。
「礼には及びませんよ。僕のクエストを手伝ってもらって反撃能力がなくなったんですから。助けて当然です」
「まあそういうことにしとこか」
ユキナは部屋を横切ってベッドに腰掛けた。
「それで? 聞きたいことはなんですか」
「まあ色々あるんやけどね、一言で言えば――――何が起きてるん?」
「何がとは?」
「それを聞きたいんよ。昨日のクエストは? 誰かと話してるような独り言を言ってたのは? その眼に浮かんでる文様は?」
アラタの予想通りではあった。
まああれだけはっきりと巻き込まれたならば知りたいと考えるのは当然だろう。
どこから話すべきかアラタが思案していると、
「ああ、言いたくなかったら言わんでもいいよ。一応競争相手かもしれんしね。ゲームを有利にすすめる企業秘密があるんなら無理に言わんでも」
「いえ、そういうことはないです」
「なら聞かせてくれる?」
話すのは苦手だ。
アラタは悩んだ挙げ句、いきなり核心から話すことにした。
「僕はこの領域から出られません」
「出られない? どゆこと?」
「言葉通り、この遊戯領域から出られないんですよ。ログアウトしてシャンバラや他領域に移動ができないわけです」
ユキナはしばし考えるような素振りを見せ、
「それってバグってこと? ログアウトができない場合っていくつかあるけど、例えば代表的なのだと戦闘中判定になってる場合とか。そういう系でなんかおかしなことになってたり?」
「いえ、違うと思います」
もしくは、それを利用している可能性はあるかもしれない。
他の領域でも、きちんと設定していれば一時的に移動を封じることはできる。
アラタが移動できないのも、エデン人がそういった何かを悪用している可能性はなくはない。
保安委員会のチェックを通した遊戯領域である以上、完全に好き放題にはできないはずだから。
「このゲームはエデン製ですよね?」
「なにをいまさら?」
「僕はエデン人に移動を封じられているんですよ」
それを聞いたユキナは眉を寄せた。
「思ったより楽しくなさそうな話やね」
「楽しくないですよ」
「根拠はあるん?」
「エデン人の複製体を名乗る人物と直接やり取りをしてますからね」
ユキナの耳が何かに気付いたようにピンと立った。
「じゃあ独り言を言ってたように見えたのは、もしかしてエデン人と話してたん?」
「そうです。おそらくですがそいつが僕の移動を封じています」
「それって完全に通報案件なんとちゃう?」
「だと思いますよ」
「じゃあ何してるん?」
「ゲームですよ」
ユキナは心底呆れたような顔をした。
「あのなぁ、睡眠時間削ってやりまくってるウチが言うのもアレやけど、それはアカンやろ。ゲームに夢中になって出られないけど構わんって」
「構いますよ。だからやってるんです。ゲーム、というのはそのエデン人と僕とのゲームです。そのエデン人は、僕が試練を超えたらログアウトできるようにする、と言ってました」
「試練?」
「今わかっているのは、設定されたランク以上のボスを倒すことですね。ほら、僕の眼を見てください」
アラタは文様が見えるように右目を大きく見開いた。
「今、薄っすらと四つの点があるでしょ? この点はボスを倒す毎に濃くなって、たぶんですが六体倒したところで開放に繋がる何かがあるわけです」
「それがゲーム? エデン人との?」
「僕は売られた喧嘩だと思っています」
「そんなの無視して通報しちゃえばええんやないの? って移動できないんか。じゃあウチが代わりにしよか?」
「いや、いいです」
「どうして?」
「悔しいじゃないですか、逃げたみたいで」
ユキナはそこでいきなり吹き出した。
「何がおかしいんですか?」
「いや、どんだけ負けず嫌いやねんって思ってな」
「負けるのが好きな人なんていないでしょ?」
「そらそうやけどね、度ってもんがあるやん。まあでもウチが見てきた感じ、遊戯領域のトップ層って割とそういうとこあるけどな」
「加えて言えば、もし保安委員会が動けばこの領域自体が停止になると思います。何万人もが遊んでいる新作領域を潰すのもどうかと思いまして」
「でもそれは後付の理由やろ?」
「まあ、そうですね。本音を言えば、エデン人がムカつくので逃げたくないだけですよ」
それを聞いたユキナは、なんだか嬉しそうにしている。
「だいたいわかったわ。クエスト探す時にボスがーって言ってたのもその試練とやらのためなのね?」
「そうです」
「なるほど、色々腑に落ちたわ」
この様子だと、ユキナもアラタを止めることはないようだった。
そこでアラタは、もう一歩踏み込んで言ってみた。
「そこで相談なんですが、協力してもらえませんか?」
「試練とやらを?」
「そうなりますね。僕はどうやらお尋ね者でパーティーが組みにくいし、クエストを進める上でパーティメンバーが必要です。それに、ユキナは職人としてもこのミラーではトップですし、その点でも頼りたいところがあります」
ユキナの表情は読めなかった。
返事をしないところ見ると、アラタの言葉の続きを待っているのか。
それとも協力にあたって自分に有利な条件を提示させるための、商人なりの交渉術なのかもしれない。
「幸い僕の理念は通常起きにくいイベントを起こすものです。手伝ってくれれば、昨日の紅玉のようなレアアイテムも渡せるかもしれません」
ユキナの顔色を伺うが、相変わらず表情が読めない。
これだけではリスクとメリットが釣り合わないだろうか。
「どうでしょう?」
ユキナはそこでようやく笑った。
その笑みは、幼子が拙い何かをしているのを微笑ましく見ているようなものだった。
「口説き文句が下手やねぇ」
アラタはその言葉にちょっとムッとした。
アラタなりに真摯に協力を願い出たものだったのだが、商人相手には魅力が足りなかったのかもしれない。
「ウチはさ、他にもう手段がないから、アラタに助けてって念信したんよ。正直、来てくれなくてもおかしくないかと思ったわ。なんで来てくれたん?」
「それは、短い付き合いでもフレンドですし」
ユキナはうんうんと頷いた。
「ならそれだけでええんちゃう?」
「どういうことですか?」
「ウチとアラタはもうフレンドなんやから」
言って、ユキナは何かを期待するような眼差しでアラタを見ていた。
さすがのアラタでも、何を期待されているのかはわかったと思う。
「助けてください」
用意していたかのように返事はすぐだった。
「もちろんええよ! 恩返しにもなるしな!」
ユキナはそこでわざとらしく口を抑え、
「あっ、でもさっきのレアアイテムのことも忘れんといてな?」
アラタは苦笑した。
友達だから助ける。
アラタは意識したことはなかったが、それが普通の感覚なのかもしれない。
パララメイヤは、アラタを憧れのEバイヤーだから手伝ってくれると言っていた。
ユキナは、フレンドだから助けると言ってくれた。
純粋な善意。
このゲームを始めてすぐにエデン人の罠にはめられ、冤罪でPK魔だと勘違いされた。
そんな自分に純粋な善意が向けられるなど、アラタは思いもしなかった。
しかし、こうしてそんな事態に直面するとどうだろう。
少しむず痒い気もするし、自分に善意が向けられていいのだろうかと妙な自虐心が芽生えたりもする。
それらを無視してアラタの気持ちを言葉にすれば、
嬉しい。
心にあったのは、そんな気持ちだけであった。




