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54.野良の怪物


 ヤン・イェンシーは、必殺が凌がれたことを未だに信じられないでいた。

 呂呂終曲の効果時間である一分が終わり、刃はすべて消えていた。


YANG-RES:化け物め。


 言わずには、いられなかった。

 それを聞いたアラタ・トカシキは余裕の笑みを見せて念信を返してくる。


ARATA-RES:失礼ですね。手も足も二本で、尻尾も生えていなければ長い耳も生えていない。どこからどうみても真っ当な人間ですよ。


 真っ当な人間があれだけの動きをできてたまるか。

 確実に迫っている敗北に、ヤンは苛立ちを抑えきれなかった。


 こういうプレイヤーはたまにいる。

 ほとんど名前が知られていないか、あるいは全くの無名であるのに、どうして今まで無名でいられたかわからないような怪物が。


 思い返すほど信じられない。

 どの攻撃も紙一重で避けていた。

 全てを予知しているかのように動きを変え、細かな体捌きから、刀でのパリィ、どれも最小限の動きで最善手をうっていた。

 今の一幕を見た人間は、予め全てのやりとりが定められた演舞だと勘違いしてもおかしくはない。

 それほどまでに完璧な動きだった。

 だが、それ以上に不気味だったのはアラタ・トカシキが途中から薄っすらと笑みを浮かべていたことだ。

 自然に口角が上がってしまっているような笑みを、一時の油断も許されない死地の中で。


 ヤンは冷や汗が出ているのを感じる。

 目の前にいるのはどこにでもいそうなメガネの青年であるのに、別の何かがその中に潜んでいそうな気がする。

 実際にそうなのかもしれない。

 リアルなアラタ・トカシキは目の前にいるアバターとは似ても似つかない化け物なのかもしれない。


 必殺で仕留めきれなかった以上、ヤンに勝ち目はなかった。

 切り札を切ってしまった上に、細かいスキルもメイリィ・メイリィ・ウォープルーフとの戦いで全て吐き出してしまっている。

 ヤンのクラスである陰陽師は、万能のクラスだが、悪く言えば器用貧乏とも言える。

 トップクラスの敏捷性を持つ忍者で、しかも使い手が野良の怪物相手では一分の勝ち目もあるとは思えなかった。


ARATA-RES:じゃあ切り合いましょうか、お互い刀同士ですしね。


 アラタはだらりと垂らした左手に忍者刀を持ち、右手は腰に当ててヤンに接近して来る。

 しめた、とヤンは思った。


 相手は切り合いを望んでいる。

 この手のプレイヤーによくいる戦闘狂だからだろう。

 同種の武器を持っていた場合、腕比べをしたがる手合はいるものだ。


 それならばまだ勝ち目はゼロではない。

 今最もヤンがされたくないのは、忍者の敏捷性をフルに使って一方的に攻められることだ。

 

 密接距離クロスレンジでの戦いであれば、敏捷性の差は影響が少なくなる。

 刀の腕には自信がないわけではないし、アラタ・トカシキはこちらを舐めているとしか見えない接近の仕方をしている。


YANG-RES:望むところだね。剣に自信は?

ARATA-RES:実のところ、そこまで得意ではありません。


 おかしな奴だと思った。

 メイリィのようなイカれた手合なのかもしれない。


 ヤンは仕掛けるのを待った。

 アラタはゆっくりとヤンに近づいている。

 これなら下手なことをせず、相手から仕掛けさせて後の先を取った方が有利になると考えた。


YANG-RES:ではなぜ切り合いなど?


 気付いた時にはもう遅かった。

 アラタの右手が顕になり、それは銃を模るような構えを取っていた。


 言葉と念信は同時に発せられた。


ARATA-RES:単に近づきたかっただけですよ。


「雷神」


 ヤンは咄嗟に後ろに跳び直撃を避けたが、HPの半分以上を削り取られ、おまけに麻痺までもらった。

 痺れで次の行動が起こせない。


 そして、そんな隙を目の前の死神が逃すはずはなかった。


 胸に刃が滑り込む嫌な感触。


 そこでヤンの視界がブラックアウトした。


***


「勝者!! チームミダース!!!!」


 勝利が高らかに宣言され、会場のボルテージは最高潮に達した。

 無論、NPCによる演出でしかないのだが。


 時間が経ち、多くのプレイヤーがこの武闘会に参加できるようになった頃には、そこには演出ではない本物の熱狂があるかもしれない。


 アラタはそんなことを考えながら控えの席まで戻った。


 真っ先に出迎えに出たのはメイリィだった。

 控え席の入口まで来て、両手を前に出している。

 どこかで見たことのある構えだ。


「なんですかそれ」

「勝ったらチームメイト同士喜ぶべきでしょ? ほらほらハイタッチ、いぇい!!」


 メイリィにおざなりなハイタッチを合わせる。

 まったくフザけた奴だ。


「どこかの誰かが相手十分な状況で降参しなければ、もっと楽だったと思いますけどね」


 アラタの皮肉にも、メイリィは嬉しそうに笑う。


「でも面白くなったでしょ?」


 確かに興奮しなかったとは言い切れない。

 けれど、それを認めるのは癪だった。


「ええ、バイオレンス2ndと同じくらい面白かったですよ」


 バイオレンス2ndとはゲーム性、ストーリー、プレイフィーリング、全ての面で最悪の最悪を体現した遊技領域で、作られてから二十年以上の時が経っても未だに語られ続けている伝説のクソゲーである。

 アラタも怖いもの見たさにプレイしたことがあるが、プレイ開始から十七分で投げた。

 一時間もプレイしていたら精神が崩壊していたことだろう。


「ごめんって、お詫びにハグでもしてあげようか?」


 そう言ってメイリィは両手を広げる。

 アラタの目に映っているのは、薄っすらとした赤髪の美少女が自分を抱きしめようと手を広げている姿だ。


 リアルではオーク。

 リアルではオーク。

 リアルではオーク。


 アラタは心の中で三度同じ言葉を唱えてから、


「いりませんよ、そんなの」


 メイリィを無視して控えの席へと入る。

 控えには若干不満そうなロンと、どこかボーっとしたユキナがいる。


「勝ってきましたよ、普通に」


 ユキナが我に返ったようにアラタに視線を向け、


「あっ、ああ、お疲れさん」


 ユキナはどこか上の空に見えた。

 これで希少な素材が手に入るというのに、それに喜んでいるようには見えない。


「これで優勝で、クエストは完了なんですよね?」

「そのはずや、じき表彰式に呼ばれるやろ」

「忘れないでくださいよ、武器の件」

「わかっとる。ウチは取引の約束は絶対に守る」

「それに優勝したら報酬に色をつけてくれるって話もね。ハグでもしてもらいましょうか」


 予想外の反応があった。

 アラタとしては冗談のつもりであった。

 反応としては、ユキナも冗談でハリセンを出すくらいのことはするだろうと思っていたのだ。

 なのにユキナは、


「えっ……」


 顔を赤らめ、まるで乙女のような顔をしている。

 それに誰よりも反応したのはロンだった。


「お嬢!? なんですかその顔は!? お前ェ!!」


 ロンはアラタに掴みかかってきそうな勢いだった。


「冗談ですよ、もちろん」

「お嬢!?」


 ロンはユキナに向き直る。


「ウチも冗談に決まっとるやろ」

 

 その頃にはもう、ユキナはすっかり普段の顔に戻っていた。


「でもお嬢、お嬢のそんな顔……」


 そこから先を言うことは叶わなかった。

 いつの間にか、ユキナの右手にはごっついハリセンが握られている。


「でももクソもあるかい!! わけわからん勘違いしとるんやないわ!!」


 ロンの弁髪に、素晴らしい一撃が命中する。


 闘技場の喧騒の中に、ハリセンのいい音が響く。

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