33.夜の訪問者
パララメイヤがログアウトしてからも、アラタはムーンデイズの前で夜景を眺めていた。
今日は本当に色々なことがあった一日だった。
パララメイヤには申し訳ないことをしてしまったが、本人も気にしていないと言うし、雨降って地固まるという言葉もある。
アラタもこれ以上は気にしないようにするのが吉だろう。
ムーンデイズの前から眺めるフィーンドフォーンの街は美しかった。
時間が経った分だけ、さきほどよりも街の明かりが消えている。
月光が照らす町並みはどこか幻想的な雰囲気すら漂っていた。
これからアルカディア内の宿で眠らなければならないのは面倒ではあったが、ちゃんとした食事で腹が満たされている分だけ、いつもよりも気分が良かった。
周囲は静まり返っており、ムーンデイズの中から聞こえる遠くからの喧騒と、夜の森の音だけが聞こえていた。
気温は温かいが、肌寒い風が吹いている。
そろそろ宿を探さねば、そう思い街並みから視線を外すと、視界の隅に人影が移っていた。
今までここには誰も通っていなかったのに珍しい。
アラタは人影へと向き直る。
それは、少女だった。
いや、少女というよりもむしろ幼女と言った方が適切だ。身長はアラタの腰ほどしかない。
月明かりに照らされた髪は白髪なのか銀髪なのか見分けがつかないが、酷く特徴的な髪色をしていた。
何かがおかしかった。
その姿をポイントしても、プレイヤーネームが表示されない。
ということはこの幼女はNPCなはずであるが、今は夜も更けてきた頃合いだ。
NPCが通行すること事態が珍しいフィーンドフォーンの最上部に、親と一緒にいないだけで違和感を覚えるような幼女が一人でいるのはどう見ても不自然だった。
さては偶発的なイベントか。
アラタの理念は偶発的なイベントの遭遇率を上げるとあった。
そう考えれば納得がいかないわけでもない。
アラタは幼女に話しかけようと近づくと、向こうが先に口を開いた。
「ようやく見つけたわ、星を追うもの」
声は子供特有の高い声であるのに、感情が抜け落ちたような、どこまでも落ち着いた不気味な声音だった。
そしてその声は、星を追うものと言っていた。
その内容は、NPCからは発せられるはずのない理念に言及した言葉だった。
「何者ですか?」
アラタは出来るだけ落ち着いた声を出したつもりであったが、成功したかはわからない。
幼女の小さな瞳が、アラタを見つめていた。
「エデン人の部分的な複製体、と言えば伝わるかしら?」
エデン人、それはこの遊戯領域を開発したものの名だ。
「開発者だと?」
「中心ではないけれどね」
「その開発者の複製が、僕にいったいなんの用ですか?」
「あなたに教えるために、私はここに来ました」
「それは助かりますね。この領域に入ってからわからないことだらけで困ってたんですよ」
軽口を叩きながらも、アラタは状況の把握に意識を割いていた。
これはゲーム内のイベントではなくリアルに関わった出来事だ。
エデン人の複製体、本当か。
エデンではもはや個に囚われない。自分の完全なコピーを作ることだって自由と聞く。ならばこの幼女は、エデンにいる何者かの複製体なのだろう。
しかし、何のためにわざわざ領域内に自己の複製体を残したのか。
アラタが何から質問するか迷っていると、幼女の口から出たのは、場違いにすら聞こえる言葉だった。
「あなたに夢はある?」
「は?」
意味がわからず思考停止に追い込まれた。
「何か叶えたい夢はないの?」
からかっているのか。
まさかこれもエデン人のいたずらの一部か。
そもそもアラタがこの領域に囚われていることもエデン人のいたずらかもしれないのだ。
それに対しての追い打ちの一部かもしれない。
「とりあえずは、この領域から脱出することですかね」
「そういうことではなく。シャンバラに生きて、日々を過ごして、あなたが夢に描いた、叶えたい願いがなにかありませんか?」
何を言っているのだろう。
叶えたい願い。特別に思いつくものはなかった。
とてつもない栄誉持ちになりたいとは思わないし、有名人になりたくもない。
だから、アラタはこう答えた。
「別にありませんよ。僕は僕で、ただそれなりに楽しい毎日が送れれば不満はありません」
幼女は、初めて表情らしい表情を見せた。
微かなものではあるが、満足そうな笑みといったところか。
「だから私はあなたに接触しました」
「シャンバラ流で話してください。意味がわかりませんよ」
「星を追うものよ、あなたが目指す試練の果てには、願いの種子があります」
「願いの種子?」
「それはあるエデン人が仕込んだ……」
そこで幼女は口を噤んだ。
様子がおかしい。
今まで無表情に近かった幼女の目が見開かれ、そこには不安、恐怖、そういった感情が渦巻いているように見えた。
「見つかっ……」
突如、幼女が姿を消した。
文字通り、いきなり消失したのだ。
幼女がいた場所には、何も残されていない。
そして。
アラタは、何の気配も感じなかった。
自慢ではないが、アラタは人の気配の察知には相当な自信がある。
敵の察知が生死を分けるゲームで鍛えに鍛えたスキルだ。
だから街中でアラタが近づいてくる人間に気付かないはずはない。
それなのにアラタは、いつの間にかNPCに囲まれていた。
ちょうどアラタを取り囲み、崖へと突き落とそうとしているように、半円状に無数のNPCが配置されていた。
その目は虚ろで、意思があるとは思えない。
どこにでもいる老若男女が、意思なき瞳で見つめてくる分ゾンビ映画より遥かに気味が悪かった。
NPC達はただ棒立ちをしている。
危害を加えようとする気配は感じられない。
そこで唐突に、NPC達に意思が戻った。
全員が突然正気に戻り、自分たちはなぜここにいるのかと話を始める。
結局話し合いに結論は出ず、NPC達は不思議そうな顔をして去っていった。
アラタは一人、月光の元に取り残される。
星の試練、願いの種子、あのエデン人を名乗った幼女は何を言っていたのか。
アラタは新作の遊技領域に遊びに来ただけのはずだ。
それなのに領域内に閉じ込められ、意味のわからない事態に巻き込まれているような気配がある。
星を追うもの。
星の試練。
願いの種子。
何もわからないが、アラタが当初考えたより、遥かに面倒なことに巻き込まれているのかもしれない。




