32.協力者
部屋に戻ると、パララメイヤの姿が見当たらなかった。
テーブルの上にはまだデザートは来ておらず、皿だけが下げられている。
歌が、聞こえていた。
耳をすませてようやく聞こえるような小さな声で、歌はバルコニーの方から聞こえていた。
歌を追ってバルコニーを見ると、パララメイヤの姿が見えた。
パララメイヤはバルコニーから眼下の夜景を臨んで、歌をうたっていた。
アラタの知っている曲だった。
アラタの好きな曲だった。
アラタは歌に誘われるようにバルコニーに出た。
パララメイヤはアラタに気付きもせずに、口ずさむように歌っていた。
その声は美しく、心底の心地よさからのみ奏でられる響きを持っていた。
声をかけないのはパララメイヤに悪いのでは、とも思ったが、アラタはいつまでも聞いていたい気分になっていた。
一曲を歌い終えたところで、パララメイヤはようやくアラタに気付いた。
「アラタさん!? いつからいたんですか!??」
パララメイヤは振り返って飛び上がらんばかりに驚いた。
アラタはパララメイヤの問には答えずに、その隣に移動する。
目をパチクリさせるパララメイヤには目を向けず、眼下の街を見た。
バルコニーから見る夜景は、売り文句にするだけはあった。
月明かりの元、まばらに見える街の明かりが美しい。
見ているとどこか寂しくなるような、それでいて心地よいような、そんな光景だ。
「月花、ですよね。僕も好きな曲です」
その言葉に、パララメイヤはさらなる驚きの表情を見せた。
あるいは、驚きを通り越して呆然としている、とまで言っていいかもしれない。
「知ってるんですか……?」
「もちろん。Beginner visionの大ファンですよ僕は。月花は中でもかなり好きな曲です」
パララメイヤは未だに驚きを隠せない様子でアラタを見ている。
「そうかなとは思っていましたが、パララメイヤもファンなんですよね?」
「え!? え!?」
「その姿ですよ、一発でわかりました」
「どういうことですか?」
「鵯ですよね。Beginner visionの。まんまだとさすがにアレなので、ちょっと成長した姿をイメージしてキャラクリしてみたって感じだと思うんですが。 どうです? 当たってます?」
「え、いや、その、まあ、はい、当たりです」
パララメイヤの様子はいつになくおかしいように見えた。
「すごい偶然ですね。この広いシャンバラで同じアイドルが好きなんて。いや、ゲーム好きならありえるのかな? 世間のBeginner visionの評価ってどうなんでしょうね」
アラタは自分でも微かに興奮してるのを感じた。
オタクが同じ趣味の仲間を偶然発見してしまった時のテンションで、ちょっと早口になっている。
「ア、アラタさんは本当にBeginner visionのファンなんですか?」
「個人領域にいる時は延々リピートしてますよ。月花と薄明は特に大好きで。何度かライブに行こうとはしたんですが、抽選で負け続けたのでまだ行けてないんですけどね」
アラタは突然思った。
もしログアウト出来たら、パララメイヤとBeginner visionのライブに行くというのはどうだろうか。
それはかなり楽しそうな考えに思えた。
そこまで考えたところで、アラタはここがマスカレイド領域だということをようやく思い出した。
この領域でのパララメイヤの姿は、作られたものなのだ。
本物のパララメイヤはオークのようなオバサンかもしれないし、繁殖力の強そうなおっさんかもしれないし、筋肉ムキムキで色黒な青年かもしれないのだ。
パララメイヤはなんだかソワソワしているように見えた。
何かを言おうとしているが迷っているような、そんな雰囲気だ。
「あ、デザート、来たみたいですよ」
部屋の方を見ると、給仕が最後の一皿を持ってきていた。
二人が部屋に戻ったことを感知したのだろう。
「それじゃあ戻りますか」
アラタとパララメイヤは部屋へと戻りテーブルについた。
そこには、素朴ながらも美味しそうなケーキが置かれていた。
ケーキを食べている間もアラタはBeginner visionの話をしようとしたのだが、パララメイヤはどこか乗り気ではないようだった。
もしかしたら、遊戯領域内で外界の話はあまりしたくないタイプなのかもしれない。
アラタはケーキを食べ終え、満足の吐息を漏らす。
パララメイヤも満足げな微笑を見せていた。
「今日は本当にありがとうございました! とっても美味しかったです! このお礼はいつかさせてください!」
「何を言ってるんですか、詫びですよ、これは」
「アラタさんが納得しなさそうなので甘えましたけど、ここはわたしも譲りませんよ。助けが必要な時はいつでも言ってくださいね。わたしはきっと、アラタさんのファン一号ですから!」
助けが必要な時。
どうしてそんなことを言う気になったのかわからない。
これ以上信頼できそうな相手はいなさそうな気がしたし、共通の趣味を持つ友人として特殊な感情が芽生えていたのかもしれない。
気付けば、アラタは口を開いて声に出していた。
「では今ですね」
「今?」
言ってから、アラタは自分の口から出た言葉に理由をつけようとしていた。
何にせよ、協力者は必要なのだ。
シャンバラでの情報は知りたいし、アルカディア内でも協力者が必要だ。
パララメイヤなら正直に話しても信じてくれそうに思えた。
もしそれでパララメイヤが保安委員会に通報するなら、それはそれでいいという気がした。
「出られないんですよ、アルカディアから」
パララメイヤは、アラタの言葉を噛み砕けないでいるようだった。
「この領域からの移動ができないんです。たぶんエデン人が仕込んだ何かだと思います」
パララメイヤの雰囲気が変わった気がした。
困惑や憐憫といった感情を見せたのは一瞬だけで、すぐにパララメイヤはまだ見せたことのない、驚くほど冷静な顔つきを見せた。
右耳をいじりながら、アラタの方を見ながらもどこも見ていない、そんな目をしている。
「冗談ではないんですよね?」
「誓って」
「切り出し方から、代わりに通報してくれ、というわけではなさそうですね」
「仰るとおりです」
「さきほどオープニングの話をしたのは、その話に関係がありますか?」
「すごいですね、その通りですよ」
パララメイヤは右耳をいじりながら難しい顔をしている。
「通報を望まないってことは、解決手段もわかっていそうですよね? オープニングで、この領域に縛られることを告げられ、開放の条件も教えられている、そんなところですか?」
「ヒントだけ、って感じですけどね」
「わかっていることはあるんですか?」
「おそらく、一定体数のボス撃破が条件、というのが有力ですね。一応確認しますが、パララメイヤにはボスを撃破した時、その光が右目に吸い込まれる演出はないですよね?」
「ないです。ボスでも経験値に変換される時の演出は普通の敵と変わりません」
パララメイヤの答えで、アラタは推測に確信を持った。
「とりあえず今の僕はこの領域外の情報が手に入れられませんし、不運なことに仲間も作りにくい状況だ。ですから、メイヤに協力をお願いしたいという話ですね」
真面目な顔をしていたパララメイヤだったが、そこでにへら、と気の抜けた笑みを見せた。
「どうしました?」
「いえ、その、アラタさんに頼られたことが嬉しくって」
「では?」
「喜んで協力させてください! 本当はイケナイんでしょうけど、この領域を閉鎖させてしまうのはもったいないですし。それにアラタさんの活躍も近くで見たいですし……」
言ってから、パララメイヤは恥ずかしそうにアラタから視線を逸した。
「とにかく! わたしに出来ることならなんでもさせてください!」
「助かります」
不思議な安堵感があった。
今のパララメイヤを見ていると、絶対に裏切られることはないという確信が持てる。
一度は疑ったのが申し訳なくなるほどだ。
「でも、一つだけ条件があります」
アラタとしては協力が得られるなら別になんでも構わなかった。
シャンバラに戻っての栄誉だろうと、アルカディア内での何かであろうと、何を引き換えにしても釣り合いが取れる。
パララメイヤは、子供がいたずらをする時に浮かべる笑みを湛えて言った。
「もしアラタさんがシャンバラに戻れたら、その体験は誰よりも先に、わたしに追想させてくださいね」




