3.奇妙な幕開け
闇の中で、落ちていることだけがわかる。
データ上に生きることで人間は死から開放された。
それでも、怖いものは怖い。
落下という原初の恐怖が、アラタに襲いかかった。
「ああああああああああああああああ!!!!」
絶叫しながら落下する。
一刻も早くこの恐怖から逃れたかったが、その終わりが地面への激突だとしたら一考の余地がある。
いずれにせよ、アラタには何の自由もないのだが。
ただひたすら落下が続く。
この不可思議な現象が物理法則に従っているとしたら、既にとんでもない速度になっているはずだった。
いったいいつまで落下が続くのか。
終わりは、思いのほか早く来た。
一瞬の浮遊感のあと、体が突然宙に静止した。
そうして、柔らかい何かに四肢を拘束される感触。
アラタは肉せんべいにならなかったことに安堵したが、事態がいまだにろくでもないのは間違いなさそうだった。
身体が動かせない。
アラタは宙に縛り付けられたように浮かんでいる。
どこまでも果てのない暗黒の中で。
次は何が起こるのか、と視線を闇の中にさまよわせていると、目の前の闇が凝縮し、人の形をとった。
その姿は、闇の中でもまるで明かりの中で見るかのようにはっきりと見えた。
老人だ。しわくちゃの枯れ木のような老人だが、その目には威厳がある。
身の丈に近い杖を持ち、灰色のローブに、ファンタジー世界の魔法使いらしい先の折れた帽子まで被っている。
「女神の次はいったい何者ですか? ガンダルフ? ダンブルドア? それともエルミンスターですか? これでも古典には詳しいんです」
老人は笑いもせず、何者かという部分だけに答えた。
「試練の管理者、とでも言っておこう」
老人の口調は、どこか芝居じみていた。
アルカディアは、ファンタジー世界で自由に冒険、生活を楽しめる遊戯領域なはずだ。
もしこれがゲームのオープニングなら、それにふさわしいものではない気がした。
「で? 次にはいったい何が起こるんです?」
「汝に戒めを与える」
老人の声は厳かで有無を言わせぬ響きがあった。
「いりませんよ。ただでさえ動けないんです。おかわりなんて結構」
それでもアラタは言った。
やりたい放題されて黙って従うほどアラタは丸くはない。
「星を追う者よ、これは最初の試練だ」
わかっていたことだが、老人はまともに取り合うつもりなどないようであった。
老人が杖を掲げると、その先端が赤熱した。
見ているだけで、それが非常な高熱のせいだとわかる。
アラタは嫌な予感がした。
「待ってください、その物騒なものをどうするつもりですか?」
老人が、アラタのメガネを外した。
赤熱した杖がアラタの眼に近づく。
「戒めから開放されたくば、星の試練に挑む力を見せよ」
そこで気づいた。
アラタの右の目が、何らかの力で無理やり開かれていることを。
まぶたを閉じようと思っても閉じることができない。
遊戯領域の中だから痛みはないのではないかと思うかもしれないがそんなことはない。
アルカディアはかなり薄められてこそすれ、痛覚がしっかりとあるゲームだ。
領域に入る時、アラタはその点に関してもしっかり了承をしている。
つまり、現実では耐え難いような苦痛に襲われた時は、普通にめっちゃ痛い。
「待って待って待って目はマズイ目は無理あああああああ!!!!」
赤熱した杖がアラタの右目へと近づき、
「いずれまた見えよう、星を追うものよ」
そこで飛び起きた。
青空がまず目に入った。
牧歌的とも言える街道に、照りつける太陽。
闇などはどこにもなく、アラタにサディスティックな行為をしようとする老人もいない。
「兄ちゃん! どうしたんだい? だいぶうなされていたが」
気づけば、体に振動を感じていた。
荷馬車の快適とは言い難い揺れがアラタを揺らしている。
御者をしている中年の商人らしき男が、心配そうにアラタの顔を見ていた。
「いや、えーと、ここはどこです?」
商人は呆れたような顔をし、
「なんだい、兄ちゃん寝ぼけてるのかい? もうあと少しでアルパの街だよ」
そこで記憶が挿入される感覚があった。
アラタは新米の冒険者で、ついでとしてこの荷馬車に乗せてもらうことになったのだ。
突然の出来事に、まだ頭が切り替えきれていなかった。
落ち着かない心地で、アラタは荷馬車からの景色を見る。
夢、にしてはあまりにも生々し過ぎた。
額の汗を拭い、アラタは大きく深呼吸をした。
先程の闇は、ゲームのオープニングの一部に違いない。
それにしても悪趣味だった。エデン人の感性を疑う。
アラタはマルチプレイヤーのゲームのストーリーには拘らないタイプだ。
それであんな思いをさせられてはたまったものではない。
とにかく、眼球に赤熱した杖を押し付けられなかったことに安堵する。
アルカディアの空気は心地よく、風が気持ち良い。
微かな草の匂いが鼻孔をくすぐる。
そんな穏やかな空気に、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
移動時間にやることもなかったので。荷馬車に揺られながら、自身のステータスをチェックした。
網膜上にデータが表示される。
アラタ・トカシキ
クラス:忍者
理念 :星を追うもの
HP :20/20
MP : 6/6
筋力 :12
敏捷力 :18
体力 :10
魔力 : 6
精神 : 8
魅力 :10
なるほど、何もわからない。
敏捷力に優れていることはわかるが、見ただけでそれがどれくらいのものなのかはまったく判断できない。
まあそこらへんは追々実際に身体を動かしてみればわかるだろう。
それよりも見逃せない一文があった。
理念:星を追うもの
このゲームには理念というものがある。
これは、その人物がこの世界で何を目的に生きるかを示すものであり、それによって得られる恩恵があるらしい。
最初の女神の質問は、その理念を決めるためのものだったわけだ。
――――星の秘密を探しに来ました。
アラタはそう答えた。
あまりに漠然とした答えであり、意味のわからない言葉ではある。
しかし、ゲームはそれを明確な答えとして認識したわけだ。
そう答えるように言ったフューレン・トラオムは何かを知っていたに違いない。
星を追うものの部分に視点を合わせ、説明を表示させる。
星を追うもの
偶発的なイベントの発生率を上げる。
また、特定のイベントの発生率を大幅に上げる。
わからない、わからないが、かなり良さそうには見える。
ゲームにおいて運頼みの要素を優位に進められるものはだいたい良いものだ。
となると、単にアラタが有利にゲームを進められるように取り計らっただけなのかもしれない。
そこで、御者の商人が声を上げた。
「兄ちゃん、ついたよ! ここがアルパの街だ!」
アラタは荷馬車から降りた。
「ありがとうございます」
「なに、いいってことよ! 将来、俺が乗せたことを自慢できるような冒険者になってくれよな!!」
荷馬車が街の中へと進んでいく。
アラタは街の入り口に立ち尽くしている。
オープニングでケチがついた気もするが、アラタはようやくスタート地点に立ったのだ。
誰もが羨むエデン製の新作遊戯領域。
どうか神ゲーであってくれ。
そう祈りながら、アラタはアルパの街の門をくぐった。




