202.言えなかった言葉
アラタが世界を救ったのは二百と十七回目になる。
エンディングのスタッフロールが流れたりはしない。
場所も狭苦しい六畳間だ。
木製のローテーブルの上にはカップ麺のカップが置きっぱなしで、布団の周りには紙製のマンガが雑多に転がり、部屋の隅にはインテリアでしかないブラウン管のテレビジョンがこの部屋の主面をしている。
アラタの個人領域である。
外のシチュエーションは真夏の夕方で、セミの鳴き声にカラスの鳴き声が混じって聞こえる。
そんな領域で、アラタは布団の上で大の字になって横になっていた。
城下町のパレードはなかったが、その代わりに色々なことがあった。
最たるものはうんざりするくらいの取り調べに、メディアからの質問の山だ。
英雄の凱旋は期待していなかったが、まさか犯罪者と珍獣を足して割ったような扱いをされるとは思わなかった。
それも事件の評価が落ち着いた今は鳴りを潜め、アラタは一応世界を救った英雄ということになっている。
あの事件から二月が過ぎようとしていた。
初めの一ヶ月はもうめちゃくちゃにいそがしかった。
メディアの質問はともかく保安委員会の呼び出しはシャンバラの住人である以上応えないわけにはいかない。
日中はだいたい呼び出しの嵐で、それこそプレイベートもクソもあったものではなかった。
追想を見て判断すればいいのに、保安委員会の連中はそれでは満足できないらしい。
結局あの事件以来、シャンバラとエデンは断絶することになった。
保安委員会が事件の全貌を知った時、誰もが戦慄していた。
なにせ、シャンバラが消滅する寸前だったのだ。
そうでなくとも被害は甚大だった。
アラタ達がアルカディアに閉じ込められていた間、シャンバラでも転移ができなくなっていたそうなのだ。
暴動、パニック、領域によって様々だったが、それによって肉体ないし精神に傷を負った人間は億を軽く越えた。
アルカディアでの見世物を邪魔されないために、シャンバラ全体に障害を起こすなど正気の沙汰ではない。
そして、それが実際にできてしまうというのも、保安委員会からすれば信じられない事態であった。
これにより、シャンバラはエデンと関係を断つことにした。
今後はシャンバラで生きるのに満足した人間がエデンに行くことはないし、エデン側が作った領域を受け入れることもない。
シャンバラ人にとっての終わりはエデンへの旅立ちではなく、休眠施設での休眠となったのだ。
では、そんなシャンバラの消滅を救った英雄様が何をしているのかと言えば、実のところ何もしていないのだ。
あの一連の事件によってアラタは取り返しのつかない精神的外傷を負って動くことができずに、みたいな悲劇的な話ではない。
ただ、まったくの無傷というわけでもなかった。
燃え尽き症候群というやつだ。
ここ一月近くは単にやる気なく個人領域でだらだらとする日々を過ごしていた。
こんなザマをヴァンが見たら呆れるかもしれない。
そんなアラタの個人領域にいきなりピンポーン、という間の抜けた音が部屋に響いた。
訪問の合図だ。
アラタは起き上がってあぐらに座り直す。
システムにコマンドして領域へのアクセス許可を求めている者のリストを呼び出す。
そこにはユキナ・カグラザカの名前があった。
アラタは慌てて部屋に片付けをコマンド。
置きっぱなしのカップ麺も、散らかしっぱなしのマンガも、怪しいセンスのインテリアも全てが消え去り、部屋には木製のローテーブルと布団だけが残される。
YUKINA-RES:おーーーーい!! 開けてーーーー!!
他にしなければならないことは何かあったか、アラタは焦りながら確認する。
あった。
アラタの今の格好はタンクトップとブリーフだ。致命的だ。気付いて良かった。
アラタはシステムにコマンドして無難な部屋着に着替える。
それからようやくユキナへアクセス許可を出した。
アラタの狭い6畳間にいきなりとんでもない着物美人が現れる。
「遅いわー。なに? 寝てたん?」
「そんなところです」
ユキナはアラタの正面に優雅に正座をした。
相変わらず場違い感が凄まじい。
ユキナはまったく気にしていないようだが、ユキナが来ると部屋全体がとてつもなくみすぼらしく見えてアラタとしてはいたたまれない気持ちになる。
アラタが引きこもってから、ユキナはたびたびアラタの領域を訪れていた。
特に用があってのことではない。たぶん、心配してくれているのだと思う。
正直ありがたい話だった。
何もやる気が起きないのだが、そうして一人でいると時々どうしようもなく心細くなる時があった。
そういう時に、なぜかユキナは狙ったようにやってくるのだ。
来て何かをするわけではなく、ユキナ自身の近況を話したり、アルカディアにいたみんなの近況を話してくれたりがほとんどだった。
一度だけ一緒に外の領域に遊びに行ったこともある。
途中でアラタが特定されてちょっとした騒ぎになり散々だったが、それでもなかなか楽しかった。
「いい加減しゃんとしいや」
「しますって。そろそろやる気が出て来ました」
「それ、前回も言ってたやん」
確かに言っていた。
が、今度は割と本気だった。
さすがに一月何もせずにいると飽きる。
アルカディアでの追想によって一生栄誉に困らない身となったが、いつまでも何もしないでいる気にはなれない。
「それで、今回はどんな面白い話を持ってきてくれたんですか?」
「それよそれ! 前にHOPE WORLDの話したやろ?」
「メイリィと遊んでるんでしたっけ?」
HOPE WORLDは新しくできた遊戯領域だ。もちろんエデン製ではないシャンバラ製のごく普通の遊技領域。
ユキナがしばらく前からハマっていて、かなり出来のいい遊技領域という噂を聞いていた。
「そこにな、メイヤちゃんも来てくれたんよ!!」
「あれ、仕事は?」
「もちろんめっちゃ忙しいみたいや。けど合間合間にインしては遊んでるんよ」
「へえ」
「それにな、ヤンも来とる」
「あれ? ヤンさんは別の領域の追想を出してませんでしたっけ?」
「思ったよりもHOPE WORLDの人気が出てるから鞍替えするって。まったく現金な奴や」
「じゃあロンもいるし、アルカディアにいた面子が揃ってるんですね」
「そうなんよ、せっかくだからってクランを作って次のアップデート待ちってところや」
何が言いたいかはすぐにわかった。
誘っているのだ、アラタを。
自惚れではないと思う。アラタの直感がそう言っている。
正直、魅かれていた。
そろそろ怠惰な生活にも飽きたところだし、刺激が欲しかった。
それに見知った仲間がいるとなれば、行きたくならない方がおかしい。
それでもユキナは直接は誘わない。
気を使っているのだと思う。
遊技領域内ではめちゃくちゃな誘い方をしたりするのに、相手が嫌がっていたり、本当に大事なところでは絶対に誘ったりはしないのだ。
ユキナはそういう子だ。それなりの時間を一緒に過ごして、アラタはそれを理解していた。
アラタは心の中で大きく深呼吸をした。
断られることが絶対にないとわかっていても、自分から入れてと言うのはとてつもなく緊張する。
「面白そうですね。もしよかったら僕もそのクランに入れてくれませんか?」
正直言って、ヴァンと戦う直前より緊張した。
出来るだけ何気なく言ったつもりだったが、声が少し震えていた気もする。
ユキナが目をまんまるにしていた。
そこからだんだんと笑顔になっていく。
ユキナの頭の上、今はなきウサギ耳が、喜びにピンと立っているのが見えた気がした。
ユキナの返事は、アラタが予想していた通りのものだった。
ようやく、うまく言えたと思う。
***
これで僕のアルカディアでの追想は終わりです。
このあとどうしたかは、他に追想を上げてるのでそちらを見てください。
それと意外なほど質問の念信が来るので一応言っておきますが、プライベートなことに関してはあまり答えられません。
僕の名前が来月からアラタ・カグラザカになるということで察して欲しいと思います。
これがいつの間にかEDENS GIFTなんて呼ばれるようになった事件の顛末です。
追想者の皆さんは、最後まで追ってくれてありがとうございます。
良ければ別の追想でお会いしましょう。
それでは、また。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
もし良ければ評価・感想などいただけると嬉しいです。
次はよくある転生モノみたいなのを書いてみたいと思ってるので、縁があれば読んでいただけると幸いです。




