201.閉じられた領域で
ネメシスは大きな伸びをした。
一面に広がる草原、おそらくここはハスティル高原だ。
傍らにいるのは古びたローブに、三角帽子まで被った魔法使いにしか見えない老人。
それは、クラウンであった。
「私を開放してよかったの?」
「よかったのなにもないだろう。もうすべては終わったんだ」
すべてのプレイヤーが去り、アルカディアは閉じられた領域となった。
そこに残っているのは、ネメシスとクラウンの二人。
広大なファンタジー領域に、ただ二人の意識ある存在だ。
「その様子だと、あなたの望んだ形にはならなかったようね」
「ああ、これだけの手間をかけてな」
クラウンの表情は暗澹として、なんの生きる希望もないように見えた。
ネメシスはいい気味だと思う反面、気の毒に思う気持ちもあった。
なにせクラウンは、この領域に生きる唯一の自分以外の存在なのだから。
「これからあなたは何をするの?」
「何も」
クラウンの声には生気がない。
「自殺するようにはしてないのね」
複製体を作った場合、その目的を達成したら複製体は消すのが普通だ。
もちろん、恐怖が生まれないようにあらかじめ感情のパラメーターは設定する。
ネメシスの場合は、そういった設定をしなかった。
自分の目的が達成されたあとの世界を、見てみたかったから。
もしシャンバラ全体が滅びてしまえば、このアルカディアも一緒に消えることになる。
そうなったら複製体も巻き込まれて消える。わざわざ自殺する必要などない。
逆に全てが終わったら消えるようにしてしまっては、自分が成したものが見られなくなる。
たとえ微力であろうと、ネメシスが力添えをして救われた世界を。
ハスティル高原の景色は平和そのものだ。
遠くに見える山のような大岩はアヴァロニアだろう。
プレイヤーたちが冒険するために作られた領域は、冒険するプレイヤーがいなくなろうと、変わらずに存在している。
「できるさ、そのようにしている」
かなり時間が経ってから、クラウンはそう答えた。
「じゃあ、私を開放して消えるの?」
クラウンが返したのは、答えではなく別の問いだった。
「お前はどうするつもりなのだ」
ネメシスはクラウンに笑って見せた。
見た目通りの幼女が浮かべるような、無邪気な笑みだった。
「私は、冒険してみようと思うの」
「なんだと?」
「せっかく時間は無限にあるんだし、この領域をプレイヤーと同じ視点で見て周りたいの」
「酔狂な」
「あなたの計画ほど酔狂ではないつもりだわ」
「苦労するぞ、その身体では」
言われてネメシスは気付いた。
冒険しようというのは、事前に考えていた計画ではない。
クラウンから開放され、シャンバラが救われたのがわかってから、急に閃いたことだ。
だから深くは考えていなかった。
確かにこの幼女の身体では苦労しそうだ。
ネメシスの戦闘力は皆無に近い。
この領域の全てを見て回るのはかなりの骨だろう。
だが、それもいいのかもしれない。
なにせ時間は無限にあるのだから。
有力なNPCと仲良くなったりしてみるのはどうだろう。
パーティを組んでくれるNPCは無数にいる、そういったNPCの協力を仰げば活動範囲も広がるだろう。
「確かにそうかもしれないけど、まあいろいろとやってみるわ」
ネメシスはクラウンの前で少し考え、それ以上話すことはないだろうと結論した。
「それじゃあ、縁があったらまた会いましょう」
ネメシスがクラウンに背を向けたところで、クラウンの方から声をかけてきた。
「待て」
ネメシスは振り返る。
「なに?」
「ついて行ってやろう」
初めは何を言っているのかわからなかったし、整理して何を言っているかわかったあとも、意味がわからなかった。
「なんのつもり?」
「この複製体にもはややることはない。なら力を無駄にしないというのもひとつの考えだ」
言いたいことは色々あった。
それでも、ネメシスはクラウンの本心がわかったような気がした。
寂しいのだ。
望んだものとは違った形の未来に辿り着いた末にこの領域に閉じ込められ、絶対に外に出ることはできない。
あとは無限の時間を過ごすか、消え去るのみだ。
怖くはないだろう。
エデン人はそういう風に自分を作り変えられる。
しかし、寂しいは別かもしれない。
目的を成せず、ただ一人消えていく。
それほど寂しいことはないだろう。
その寂しさに少しでも抗いたかったのかもしれない。
ネメシスはそんな考えを口には出さす、ただ一言だけ言った。
「じゃあお願いするわ」
そう言ってネメシスはクラウンに背を向けて歩き出す。
ネメシスの身長だと草が腰のあたりまで届いてひどく歩きにくい。
後ろから草をかき分けて歩く音が聞こえる。
おかしなことになったものだ、とネメシスは思う。
それでもネメシスは目的を果たしたのだ。
複製体まで作って、アルカディアに忍び込ませ、アラタ・トカシキの手助けをした。
その結果、シャンバラの崩壊を阻止できたのだ。
あとは、この余韻にひたりながらこの領域を見たいと思う。
計画の舞台ではなく、ひとつの遊技領域としてのこの世界を。
閉じられたアルカディア。
もう誰もいない領域の草原を銀髪の幼女と老魔法使いが歩いている。
ネメシスは歩きにくさなど気にせず、晴れやかな心で歩みを進める。
届かないのを承知で、ネメシスは念信を送った。
世界を救った功労者、アラタ・トカシキに。
NEMESIS-RES:ありがとう!!:FSPR




