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196.男の約束


 神威が始まってから8秒の時点で、ヴァンに限界が訪れた。

 どう考えても避けきれない、そういった軌道の貫手が来た。

 全力で回避行動をとっても首を掠めるのは間違いなく、アラタがその機を逃すとは思えなかった。


 そうして、当然のようにアラタはその機を逃さなかった。

 貫手が首にかすっただけで、ヴァンの頸動脈は破られた。

 絶対に助かるとは思えない出血。

 威力からしてアラタが攻撃を強化する類のスキルを使ったのは確実だが、そんなことがわかったところで何も変わりはしない。

 これだけでもう敗北は決定的だ。


 それでもヴァンは動く。

 せめて相打ちを狙う。

 出血とは要するにスリップダメージであり、その前に一撃で決めればまだ勝ちの目だってある。

 ヴァンは貫手を前のめりに避けることでアラタの懐に入り込んだ。

 密着状態になれば速度差をいくらか打ち消すことはできる。


 そう考えての動きだったが、速度の差はどこまでも無慈悲で、どこまでも絶望的だった。

 ヴァンが踏み込んだその先には、アラタの右肘が待ち構えていた。


――――クソ。


 アラタの右肘が、ヴァンの身体の真芯に打ち込まれる。



***



 どこまで意識があったのか、どこから意識があったのか、アラタはそれすらわからなかった。

 そんなアラタの意識は、右肘に伝わる衝撃で覚醒した。


 クリーンヒットどころかクリティカルヒットなのは疑いなく、右肘には勝負を決めた確かな感触があった。

 直撃を受けたヴァンの身体が吹き飛び、地面に着地してそのまま仰向けに倒れた。


 これで決着なのか。

 信じられない気持ちにアラタは立ち尽くしたが、すぐに頭を切り替えた。

 ここは遊技領域だ。アイテムやスキルによる回復という概念が存在する。

 

 アラタは縮地を切って即座に距離を詰めた。

 早くトドメを、そう考えて動いたが、ヴァンの側に動きは見られなかった。


 ただ仰向けに倒れて空を見上げている。

 右の首筋からはおびただしい量の出血。

 このまま放置すれば間違いなくデスするが、それでもヴァンはなんのアクションも取らなかった。


「安心しろ。いきなり第二形態になって立ち上がったりはしねーよ」


 ヴァンは空を見上げたままそう言った。

 その姿からは戦意を感じられず、その声にはかつて冗談を言っていた時と変わらない響きがあった。


「僕の……勝ちということですか?」

「ああ、お前の勝ちだ」


 ヴァンの返事に迷いはなかった。


 そう言われて、アラタは突然何をすべきかわからなくなってしまった。

 宿願だったはずの勝利がいきなり舞い込んで、勝ちだと言われてもそれを信じきれない。

 何を言っていいかわからず、何をすべきかもわからず、結局アラタの口から出たのはずっと気になっていた疑問だった。


「どうして……どうしてシャンバラを消そうなんて思ったんですか?」

「ようやく聞くのか」


 ヴァンの声には苦笑いが混じっているように聞こえた。


「前々から電脳世界はどこか気に入らなかったからな。それでエデン人の頼みを聞いてやる気になったのさ」


 それを聞いて思い出す。

 アラタをアルカディアに招き入れたのは、ヴァンによるリクエストだと言っていたことを。


「ではなぜ僕をこのアルカディアに呼んだんですか?」


 ヴァンの答えには、間があった。

 それからヴァンは勝ち誇るように言った。


「言ったろ? 男の約束だって」


 初めはヴァンが何を言っているのかわからなかった。

 約束、約束、引っかかる言葉ではある。


「おいおい、まさか忘れたってのか!?」


 ヴァンが倒れたまま顔だけでアラタの方を向いた。

 

 ヴァン、約束、そこまで来てようやく思い出した。


――――男の約束だ。ウチに来ればお前を俺に勝てるくらい強くしてやるよ。


 ヴァンと出会って間もない頃の、エバーファンタジー時代の記憶。

 アラタがネハンに加入する時、ヴァンは確かにそう言っていた。


「10年以上前の話だから、思い出すのに時間がかかっただけですよ」

「勘弁しろよ。こっちは律儀に約束を守ったっていうのによ」


 確かにアラタはヴァンに勝った。

 しかし、そう言われると気になるところもある。


「わざと負けたんですか?」

「バカ言うな。本気でやったさ。それとも俺が手加減しているように感じたか?」


 感じなかった。

 素手での戦いになってからは特にだ。


「どうしてそんな……」


 アラタは自分の中の感情をどう言葉にしていいかわからなかった。

 そんなアラタの疑問に、ヴァンは正確に答えた。


「どっちでも良かったのさ。シャンバラが滅びても、約束を守ってもな。だから最初から俺の勝ちは決まってたわけよ。ハッハッハ!」


 わざとらしい笑いだった。

 どこか寂しい感じのする笑いだった。


「そんなことしてるから、僕なんかに負けるんですよ」

「あん?」

「僕の尊敬する人が言っていました。負けた時のことなんか考えてるから負けるんだって」

「は、違いねぇな!」


 言ってヴァンは大の字になった。

 治療をする様子がない以上、話していられる時間はほとんど残っていないはずだった。


 そんな状況になって、アラタはもっと話がしたい気がした。

 アラタもそれを望んでいたし、なぜかヴァンもそれを望んでいる気がした。


 それでも、ヴァンはそれ以上話すつもりはないようだった。


「アラタ、圧勝しろ」

「なんの話ですか?」

「なんのって、最後の試練だよ」


 完全に忘れていた。

 ヴァンに勝てば全てが終わると思っていたのだ。


「忘れてました」


 アラタは正直に言った。


「おいおいおい、しっかりしろよ」

「でも、師匠を倒した以上、シャンバラを滅ぼす願いは叶わないでしょう?」

「師匠……か。確かにお前が願わない限りそうはならんな。ここから先はウイニングランに近い。だからこそ圧勝しろ、師匠命令だ」


 つい師匠と呼んでしまったが、それを聞いたヴァンは嬉しそうだった。

 血を流し、今にも消えてしまいそうなのに、その顔は笑っている。


「わかりましたよ。言われなくてもそうするつもりです」

「俺を失望させるなよ」


 ヴァンが再び空を見上げた。


「しかし、負けるってなぁ悔しいもんだなぁ……」


 そう言って、唐突にヴァンの姿が消えた。

 蘇生待機を即キャンセルしたのか、それともこの領域や状況がそうさせたのかはわからない。

 とにかく、目の前からこつ然と消えてしまったのだ。

 血のあとだけが、ヴァンが存在していた証明をしていた。


 ここから何が起こるのか、アラタがそう考えて意識を緩めたのは一瞬だった。

 それなのに、気付かないうちに目の前に黒い扉が現れていた。

 ヴァンがいた位置に、扉が立っているのだ。

 

 表から見ても裏から見ても一枚の扉で、その様は一見ハリボテのようにも見えるが、扉を開けると中にはしっかりと暗黒が詰まっていた。

 これが最後の試練への扉なのだろう。


 アラタは扉に足を踏み入れる時、誰にともなしにこう言った。


「行ってきます」

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