188.世界を救うボタン
アラタが扉を抜けた先は、いつもと変わらぬ無限の暗黒であった。
こう何度も似たような場所に連れてこられるとさすがに慣れてもくる。
アラタは落ち着いて周囲の様子を伺うが、しばらく待ってもイベントが起こる様子はなかった。
それはアラタの予想とはだいぶ違っていた。
最低でもあの老人が突然出てくるくらいはあると思っていたのだ。
それがいつまで経ってもアラタ以外にはなんの存在もあるようには見えなかった。
見える範囲は一面の暗黒で何を目指すもないのだが、とりあえずアラタは適当な方向に歩き初めてみる。
動くことがなにかのトリガーになっている可能性があるからだ。
黒い扉に入ってなにも起こらないなどということはありえない。
確実になにかが起こる。
最後の試練とやらを先にやらされるのか、それともヴァンとの対峙が先なのか。
それはわからないが、これから先に重大ななにかが待ち受けているのは疑いない。
いつ変化したのか気付けなかった。
気付いた時には、アラタは鬱蒼とした森の中を歩いていた。
薄暗い森を微かな木漏れ日だけが照らしている。
アラタが背後を振り返ると、そこには暗黒ではなく延々と森が続いていた。
まるで初めから森の中を歩いていたかのように。
その森はどこか見覚えのある景色だった。
追想などで見たことがあるというよりも、どこか懐かしい感じのする気配。
歩くたびに葉を踏む音が鳴り、遠くからは動物の鳴き声らしきものが聞こえてくる。
この場所で試練をするのだとしたら、やはりなにかと戦わされるのだろうな。
アラタがそう思った時に、この景色の正体を突然理解した。
影の森だ。
かつて遊んでいたエバーファンタジーの、アラタが人狩りをしていた場所だ。
それはヴァン・アッシュと初めて会った場所でもある。
ということはつまり、試練ではなくヴァンと戦わされるのだろう。
エデン人はいかにもそういった演出をしそうだ。
そのことに気付いても、アラタは無心で森の中を歩いた。
森の中はどこも同じような景色で、果ては全く見えない。
変化があるまでには、そう長い時間はかからなかったと思う。
次第に焚き火らしき光が見えてきたのだ。
アラタは光に向かって歩いた。
やはり焚き火だ。
そして、焚き火の近くには誰かが座りこんでいた。
アラタが立ち止まると、足元を鳴らしていた葉音が止んだ。
座り込んでいた人物がアラタの方を向いて口を開く。
「おう、ようやく来たか」
ヴァンだった。
白髪交じりの髪の毛に無精ひげで、アラタとは反対の左目に薄っすらとした星の紋様がある。
ヴァンは焚き火の近くからアラタを見上げ、何事もなかったかのような様子でそう言った。
「座るか?」
「遠慮しておきます」
ヴァンが苦笑した。
「積もる話くらいあるんじゃないのか?」
「ないとは言いませんが、そういうノリで来たわけじゃないんで」
「じゃあどういうノリで来たんだ?」
「アナタを倒しに来ました」
アラタははっきりと宣言した。
「ほう、世界を救いに来たわけじゃないのか」
「アナタを倒しに来ました。世界はまあ、結果としてついて来るでしょうし」
「世界はオマケか?」
「オマケではないです」
「じゃあなんだ?」
アラタは自分の中に渦巻く感情を言葉にしようと考えた。
「例えば僕の目の前に世界を救うボタンがあるとします」
「いきなり突然面白い話が始まったな」
「そうしたら僕はまずそのボタンを押して……」
「押すのかよ」
「それから結局アナタを倒します。僕にはよくわからない事情で世界の滅亡とアナタが繋がっているようですが、僕としては別件で、なにがあっても僕はアナタを倒しますよ」
それを聞いたヴァンは、声を出して笑った。
「えらく恨まれたもんだな」
「? 恨んじゃいませんよ」
「ほう?」
「アナタを倒すのは、僕の昔からの目標です。十年以上前にこの森と似た場所でボコボコにされた時からずっと、それは僕の目標でした」
アラタはそう考えることにしていた。
難しいしがらみは考えない。
ただ倒すことだけを考える。
留意すべきは次がないということだけ。
ヴァン・アッシュに一矢報いる、正真正銘ラストチャンスだ。
「悪くない目はしている。前回よりは期待できそうだな」
ヴァンはどっこらしょ、といった感じで立ち上がった。
「じゃあまあ、やるか」
「やりましょう」
世界の存亡を決める一戦は、そんなやる気があるようには思えないやり取りを皮切りに始まった。
お互いがまだ構えてはいない。
焚き火を挟んで対峙している。
ヴァンの右手が上がり、その手に大剣が現れる。
アラタも合わせて流星刀を抜刀。
ヴァンの大剣が下から上へと跳ねた。
狙ったのは焚き火の炎。
火を帯びた葉が舞い散ってアラタへと向かう。
それをアラタは無視して突っ込んだ。こんな程度でダメージがあるはずはない。
なにが狙いかわからないが、アラタがやるべきことは近づいてその身体に刃を叩き込むのみ。
どんな過程を踏むにせよ、対手に攻撃を命中させるのだけが確実な答えだ。
最速の動きでヴァンの喉を狙う。
縮地を切ろうとしたその時、異変に気付いた。
ヴァンの切った地面に、黒いオーラのようなものが蠢いているのだ。
アラタは縮地を切った。
ヴァンへと迫るためではなく、無理やり軌道を変えるために。
黒いオーラは柱のように伸びて奔った。
その軌道は、アラタがそのまま進んでいれば激突していたものだった。
飛ぶ斬撃のようなもの。しかもディレイで発動する。
ヴァンが距離を取った。
宙を大剣で切るとそこには黒い傷のようなものが現れ、一拍遅れてそこから黒い刃が発射されるのだ。
アラタにはそれが意外だった。
スキルによる遠距離攻撃だ。
てっきりガチガチの肉弾戦をすると思っていたのだ。
黒い刃がアラタに襲いかかる。
速く、狙いも適切だがそれ単独では怖いものには見えない。
二つの刃を躱して速度と範囲を把握し、アラタは距離を詰めにかかる。
ARATA-RES:らしくないですね。体調でも悪いんですか?
アラタの念信を受け、ヴァンの口端が持ち上がっているのが見えた。
VAN-RES:この前みたいにすぐ終わっちゃつまらんからな。それにこれはこう使う。
ヴァンが宙を斬り二つの傷が現れた。
そして、そこからヴァンがいきなり突撃してきた。
遅れて傷から刃が現れる。
ヴァンの後ろを追いかける形で飛ぶ斬撃が発生する。
神威を切るか一瞬だけ迷ったが、温存することにした。
神威を切るのはヴァンの加速スキルに合わせる時か、それとも使えば絶対に勝てるという時にすべきだ。
アラタはヴァンと黒い刃の激突コースに躊躇なく突っ込んだ。




