184.融通無碍
「その強がりが本物であることを祈るよ」
イオリの踏み込みは、ぬるりとしていた。
意思を持った液体が横移動するような、直感に反した動き。
気付けば、間合いに入られていた。
アラタの攻め手よりもイオリの方が速い。
先ほどとは正反対の展開。
イオリの鬼神が如き攻めがアラタを襲った。
イオリの速度が上回る以上、アラタは防戦一方だった。
手業が多い。拳、抜手、鉄槌、下段蹴りの入り混じった攻撃。
反撃をされないように動きはコンパクトにまとめられ、隙がまったく見いだせない。
それどころか、アラタは凌ぐだけで精一杯だった。
イオリの拳がところどころにかすって体表が傷つき血が流れていく。
アラタはどうにか攻撃をかすらせるだけに留める。
単発で見れば完全な回避も難しくないが、連続した動きとして見ると大きくは躱せない。
ここまでクリーンヒットがないのが逆に奇跡にすら思えた。
イオリの猛烈な攻めが、アラタを着実に追い詰めていた。
イオリはスキルを使えといったが、使う暇など微塵もなかった。
あるいはそういうつもりで言った言葉だったのかもしれない。
同時にイオリ側も特殊能力を使っているような様子がなかった。
身体の一部を靄にするのは制約や条件があって使いにくいのかもしれない。
それか正々堂々とした戦いをしたいのか。
身体能力に物を言わせた拳が風を切りアラタに迫る。
防御をするのもかなり危険で、アラタは体捌きを中心にイオリの攻撃を避ける。
防御ではなく回避に専念すると、どうしても動きが大きくなってしまい反撃の機会が作りにくい。
しかし、そんなことを言っている場合ではなかった。
とにかく死なないことしか考えられない。
エルダーヴァンパイアの膂力を用いた連撃はド級の嵐としか言えず、その暴力はアラタの命を吹き飛ばさんと吹き荒れていた。
反撃の糸口が作れない。考える暇すらない。
アラタはギリギリの防戦を続けた。
どれくらいそうしたかもわからない。
考えるための力があるなら、そんな力は回避のために回している。
繧ィ繝ォ繝?繝シ繝エ繧。繝ウ繝代う繧「-RES:すごいすごいすごいよ!! こんなに当たらないなんて信じられないな!!
イオリの念信についても、考えている暇が無い。
どう捌くか、どう避けるか、どう防ぐか、思考がそれ一色に染まる。
だが、反応はできている。
自分より上回る身体能力を持った相手に。
その乗り手が伝説的なプレイヤーでも。
マヒロ・コバヤシとの特訓が、明確に成果を示していた。
単なるサディストではないかと疑うような修行の時間が、アラタの今の反応に繋がっていた。
何も考えずに動く。
アラタは暴風の中で、その力に飲まれず懸命に動いていた。
一切の無駄がない動き、そうでなければ死ぬ。
イオリの攻めが始まって十分以上が経過しようとしていたが、アラタはそのことに気付いてさえいない。
ただ、避け続けている。
これだけの時間をイオリの暴力に晒され続けてなお、未だにクリーンヒットを許していない。
次第に、アラタの中で不思議な感覚が芽生えてきた。
楽しいのだ。
信じられないことに、アラタはそう感じ始めていた。
自分が避けられる限界ギリギリの攻撃が延々と続く。
そしてアラタはギリギリの要求を一度だって失敗はしなかった。
それが心地良い。
高難易度の課題をこなした達成感が無限に続くような感覚。
これだけの攻撃を前にしてなお、なぜか失敗する気がしない。
ずっとこの戦いが続いてもいいような気がした。
イオリが念信を飛ばしても、アラタはもう気付かない。
極限の集中がアラタを繰り動かしていた。
どこまでも終わらないかと思われた嵐は、唐突に終わりを告げることになった。
初めに芽生えたのは、アラタの「あれ?」という感覚だった。
イオリの蹴り足の戻しが鈍い。
アラタの全身が「それはぬるいのでは?」と疑問を持っていた。
考える間もなく身体が動いた。
蹴り足の戻しに対して踏み込み、迎撃に来た腕を捌き、するりとアラタの目打ちがイオリの顔面に命中した。
あまりにも呆気なく入った。
戦いが始まって初めてのクリーンヒットは、まさかのアラタ側の攻撃であった。
イオリが距離を取らせるために両手でアラタを突き放そうとした時には、アラタの上段蹴りがその手を巻き込むように襲っていた。
当然のようにブロックされるが、アラタはそれを読んでいる。
イオリだってそれはわかっているはずだ。
蹴りの防御で体勢が大きく揺らいでしまうことも、続く崩しが避けられなくなることもわかっているはずだ。
しかしどうしようもないのだ。
イオリが上段蹴りを受け体勢が僅かに傾いだ。
アラタは足が地面に戻った瞬間に体当たりのようにイオリに突撃し、イオリを軽く突き飛ばした。
決定的な隙ができた。
イオリの上体がゆらぎ、腕が開かれていた。
アラタは攻めた。
神速の踏み込みでイオリに肉薄し、肘が下から上に振り上がる。
そこで、アラタは突然時間が止まったかのように動きを止めた。
イオリの身体の一部、そのまま肘を放ったならば当たったはずの部分が、白い靄のようになっているのだ。
とてつもない騒音が突如ホワイトノイズに変わったかのような、奇妙な一瞬だった。
その一瞬が、スキルを使うための時間になった。
アラタが全身の体重を乗せて、水平に肘を放った。
狙いはイオリの腹部、靄になっていない場所だ。
繧ィ繝ォ繝?繝シ繝エ繧。繝ウ繝代う繧「-RES:まいったな。
――――八重桜。
直撃だった。
イオリの身体を交通事故が可愛く思える衝撃が貫いた。
人型が水平に吹き飛び、そのまま仰向けに地面を滑って止まった。
そこでようやくアラタは正気に戻った。
肘には確かな感触。
遠くには倒れ伏すイオリ・トドロキ。
直撃を入れてから思い出した。
神威を使ってないことに。
間違っても加減をしたわけではない。
そんなことすら考えられないほど追い詰められていただけだった。
身体任せに動いて、それがそのまま会心の一撃にまで繋がってしまったのだった。
イオリはまだ仰向けに倒れている。
勝ってしまった、レジェンドに。
そう思ってアラタはすぐに気持ちを切り替えた。
イオリは倒れ伏して動かないが、まだ消えてはいなかった。
次の形態がある可能性だってないとは言い切れない。
アラタは倒れるイオリの元に走ったが、イオリが動く気配はなかった。
アラタがイオリに近づき、見下ろす形になる。
「こんなにコテンパンにやられたのは初めてだよ」
イオリの声には自嘲の響きがあった。
「結構ショックなものだね」
「負けたことがない、なんてことがあるんですか?」
「いいや、もちろんあるさ。けどね、この身体はプレイヤーがスキルを使って微不利くらいに調整されてるんだ。それがまともにスキルも使わず純粋な格闘戦で負けるなんてね」
イオリが見上げている先には暗黒しかない。
その顔は悔しいというより、どこか清々しいような気配があった。
「聞きたいんだけどさ、もう一人の星を追うものもこんなに強いのかい?」
「ついこの間、何もできずに負けたばかりですよ」
イオリの顔がアラタを向き、そこにはおどけた表情があった。
「信じられない話だな」
「信じられない話っていうのはそこら中にあるものですよ。僕はこの数ヶ月で嫌というほどそれを学びました」
「全貌を知ってる側からするよ、それはかなり説得力のある言葉だね」
イオリが笑った。
「ところで、これで終わりですか?」
「ああ、ぼくの負けだ」
「ではこれからどうすれば?」
「トドメを刺してくれ、そうすればこの空間から出られるはずだ」
アラタはその言葉を理解するのに数秒かかった。
「ああ、できるだけかっこよく倒してくれよ。出来れば必殺技がいいな」
嘘を言っている気配はなかった。
罠ということもないだろう。
「わかりました」
アラタは印を結び始める。
「しかし、シャンバラにまだ見ぬ強者がこんなにいたなんてね。これならエデンになんて行かなくてもよかったなぁ……」
イオリの言葉は後悔の念がこもっているように聞こえた。
アラタはその言葉に対しては何も言わず、終わりを告げる言葉だけを言った。
右手は銃を象り、その指はイオリを指している。
「雷神」




