182.伝説
アラタの放った特大の雷光が世界を白く染め上げた。
閃光で何も見えないが、直撃コースだったのは間違いない。
しかし攻撃を放った側のアラタも、その威力に吹き飛ばされていた。
それでもこれだけ馬鹿げた威力の攻撃を食らえば反撃もクソもないだろう。
コウモリの気配はないが、アラタは万が一に備えて体勢を立て直す。
勘で石柱の側面を捉え、足場として使い石柱の上へと戻る。
視界が開ける。
そこには何もいなかった。
灰色の空に無限の荒野だけで、巨大なコウモリの姿は跡形もない。
アラタは背後まで振り返るが、アラタ以外の存在は皆無に見える。
消し飛んだか、それとも転移のようなスキルがあって回避したのか。
その答えは、数秒でわかった。
初めに見えたのは、黒い霧のようなものだった。
その霧がどんどんと濃くなり世界が黒く染まっていく。
それと同時に、奇妙な浮遊感があった。
石柱の上に立っているはずなのに、まるでエレベーターで上へと上がっているような感覚。
世界の黒はとどまることを知らず、大した時間もかけずに世界は暗黒で満たされた。
無限の暗黒、足場が見えないのに足場のある感覚。見慣れたくはないのに見慣れてしまった光景だった。
ということは、いよいよ本番ということなのだろう。
虎の時は次なる形態があった。
このコウモリも、おそらくはそれだ。
アラタの推測は当たった。
少し離れた空間に、白い靄のようなものが浮かんでいた。
白い靄は、なんの前触れもなく晴れた。
そうしてそこには、一人の青年の姿があった。
暗黒であるのに、やはり物体は光に照らされているようにはっきりと見えた。
見た目は人間に見える。
短髪のツンツン頭で、髪の色は黒だった。
顔付きは快活な青年といった感じで、顔を見ただけで人柄の明るさが伝わってくる。
服装は奇妙なもので、タキシードのような服に裏地が真っ赤なマントをつけている。
青年はアラタの方を見ずに、何やらマントを気にしていた。
先制攻撃を仕掛けるべきかアラタは迷ったが、気になる点がひとつだけあった。
どこかで見たことのある顔だったのだ。
アラタが知っている顔といえば相当狭い。
遊技領域のキャラクター以外だったら一部の有名人だけだ。
「邪魔だな、このマント」
青年はごく普通に話している。アラタはそのことにいくらか驚きを覚えた。
愚痴を言いながら青年はマントと格闘し、どうにかマントを外し終えた。
「ごめんね、待たせちゃって」
調子の狂う相手だ。
そう言えば、と虎の時を思い出した。
最後、虎が獣人形態になった時はエデンに旅立った人間が操作していたのだ。
アラタは知らない相手だったが、かつてはシャンバラで名を馳せた人間だと言っていた。
つまり、この青年もエデン人の複製体ということか。
「ようやく人型になれたと思ったらまったく酷い服装だ」
「ようやく?」
「コウモリで負けないとこの姿にはなれないからね。約束とはいえ面倒なことだよ」
これで違和感の謎が解けた。
わざと負けたのだ。コウモリ形態の時は。
通りで手応えがなかったわけだ。
「なぜ手を抜いたんですか?」
「あんな化け物の身体じゃ戦ってもつまらないからね」
言って青年は微笑んでいる。
やはり知っている相手だ。
遊技領域関係だと思うのだが、それがどこの誰だったかが思い出せない。
「どこかで見た顔ですが、アナタもシャンバラにいた時は遊技領域で有名だったプレイヤーですか?」
「へえ、そんなことも知ってるんだ。ということはパトリックは名乗ったんだね」
「パト……誰でしたっけ?」
それを聞いて、青年は笑い出した。
本当に愉快そうに、青年というよりも少年のように笑っている。
「パトリックに聞かせたかったよ。パトリックっていうのはあれさ、第一の試練で戦っただろ?」
言われてみればそういった名前だった気もする。
「すいません、興味がないことはあまり覚えられない質で」
「いいよ、ぼくには関係ないし。ぼくも似たようなものだしね」
不思議な相手だ。
青年からは戦意も気迫も感じられない。
「ところで、僕らは殺り合うんですよね?」
「そうだよ。でもまあ自己紹介くらいさせてよ。こうやってわざわざ複製体まで作ったんだからさ。複製体のぼくとしては勝っても負けてもこの戦いが終わったら消滅だからね」
消滅、そのことについて興味はあったが、聞かない方がいい気はした。
戦いのノイズになりかねないからだ。
「ぼくの名前はイオリ・トドロキ。十年くらい前かな? アクション系の遊技領域ではそこそこ有名なプレイヤーだったと思うよ」
「驚いた。レジェンドだ」
記憶と青年の顔が繋がった。
シャンバラ時代とは若干違うが、確かに面影は感じる。
イオリ・トドロキ。そこそこ有名どころではない。
アラタが生まれて以降では、最も有名なプレイヤーだろう。
イオリのエピソードはどこか物語じみていて、表舞台に姿を現した時から衝撃的だった。
当時はダニエル・ケインズというプレイヤーがアクション界隈では最強とされていて、ダニエルが20分間の勝ち抜き戦で何人倒せるかという企画が持ち上がったのだ。
ダニエルが時間内に何人倒せるかは賭けの対象になり、遊技領域全体の注目を浴びた。
それが行われたのはノーファイト・ノーライフという遊技領域だった。
「20人以下には賭けない方がいいと思うよ」
ダニエルはそう言ったが、誰もそれをビッグマウスだとは思わなかった。
当時のダニエルはそれほど強いとされていたのだ。
企画が始まり、ダニエルは1人目を51秒で倒し、2人目を44秒で倒した。
予想以上の速度に実況は大盛りあがりを見せ、遊技領域関係の視聴数は過去最高記録を更新していた。
そして、3人目との戦いは37秒で終わった。
ダニエル・ケインズの敗北という形で。
その相手こそが、イオリ・トドロキだった。
無名だった青年が当時最強だったプレイヤーを倒した。
そこからイオリの伝説は始まったのだ。
たぶん、ゲーマーならば誰でも知っている話だ。
アラタですら知っている。
しかし、イオリ・トドロキの名前はその伝説以上の意味があった。
「知っていてくれて嬉しいね」
「僕もツウシンカラテ十段、最初の一人に会えて光栄ですよ」
イオリの顔がパッと輝いた。
「あの領域を知ってるのかい!?」
「やり込みましたよ。開発者がすり寄ってくる程度には」
「すごいなそれは。ということはキミも十段を?」
「四人目ですけどね」
「それは楽しみだな!」
目の前のイオリの反応は、追想で見たままだった。
アラタはイオリの追想を体験したことがある。
それこそ、ツウシンカラテの追想だ。
ツウシンカラテで十段試験にどうしても勝てなかったアラタは、参考にするためにイオリの追想を見たのだ。
しかし、気になることもあった。
「アナタがなぜエデン人の企みに関与しているんですか?」
「どういうことだい?」
「試練を全てクリアしたものは願いが叶う。僕以外の星を追うものはシャンバラを滅ぼそうとしている。それはご存知ですか?」
「知ってるよ、そういうシナリオだからね」
意外すぎる言葉だった。
もしかしたらイオリは、勝ったものが願いを叶えるという部分しか知らないのではと思ったのだ。
そうでなければこの快活な態度は説明がつかない気がした。
シャンバラの消滅を阻もうとするアラタと相対しているのだから。
「どうしてそんなことを」
「どうしてって言われてもな。興味ないからじゃないかな。エデンに行くっていうのはそういうことなんだよ。キミも来ればわかる」
「生涯行くことはないでしょうね。もし休みたくなったら、僕は休眠領域にでも行きますよ」
「いいところなんだけどね」
イオリは変わらず飄々とした態度で戦意を感じさせない。
それでも、この相手は間違いなく敵なのだ。
「もう話しても無駄だということはわかりました。さっさとやるとしましょう」
「いいけど、随分と落ち着いてるんだね」
「戦うなら平常心の方がいいでしょう。それとももっと興奮してるのがお好みですか?」
「いいや、いいんだけどね。でもキミはぼくのことをレジェンドと言った。なのにそれだけ落ち着いてるのは不思議な感じがしてね」
アラタの口角が持ち上がった。
ごく自然に出た笑いだった。
「世界の滅亡がかかってる時に、レジェンド程度でビビるわけにはいきませんから」




