174.厄災
アルカディアにインしてからは戦争だった。
全員が何かに突き動かされるように動いていた。
マルチゲーのスケジュールというものは基本運営側がコントロールしていて、大局的に見れば急いで動いても言うほどのアドバンテージが得られるわけではない。
が、ゲーマーにそんなことは関係がない。
出来るだけ早く新しい何かに触れたい。それだけが遊技領域で遊ぶものの心情なのだ。
アラタは素材集めから動いた。
ロンと組んでの実行部隊だ。
まずユキナが製作の新レシピを確認し、そこから新素材を割り出して探しに行くわけだ。
これは時間を無駄にしないための措置で、目ぼしい情報が手に入り次第そちらに移行するつもりであった。
ニルヴァーナの規模が大きくなった分だけ、情報も次々と入ってきた。
新しく追加された大型迷宮がとてつもない難易度だという話、今までなんの価値もなかった素材に突然使い道が現れ暴騰したという話。
新エリアの噂、新しいクエスト、ニルヴァーナ全体で共有する情報はそれこそ山のようにあった。
アラタたちは六時間を丸々動き続け、ようやく食事を取ろうという話が出た。
シャンバラに戻って食事を取ろうなどと考える者は、誰一人としていなかった。
アヴァロニアのエレインという店で、例によって食事はユキナの奢りだ。
アラタ、ユキナ、パララメイヤ、ロンの四人で食事を取った。
「はー美味しかった。ユキナさんありがとうございます!」
「ええって、メイヤちゃんにも色々手伝ってもらったしな」
アヴァロニアのポータルに向かう道中であった。
もう既に日は落ちて、夜空には満月が輝いていた。
明るすぎる満月がアヴァロニアの街を照らしている。
「あの、お嬢、今日は何時くらいまでやるつもりなんで?」
ロンがちょっと恐る恐るといった感じで聞く。
「せやなー、まあ三時くらいまではやるかな?」
それを聞いたロンはユキナから顔を背けた。
アラタの側からははっきり見えたが、ロンは顔がしわくちゃになりそうなくらいきつく目をつぶっていた。
「シャンバラには帰りますか?」
「うーん、ギルドハウスに泊まりでもいいけど、まだわからんかな」
「わたしは泊まろうかと思ってます」
「お、それじゃあお泊り会やる? パジャマパーティーでもしよか?」
「そういう言い方をされると、元から泊まるつもりだった僕が泊まりにくくなるんですけど」
「なんで? みんなでお泊り会楽しそうやん!」
ここまでは、アップデートの入った直後の遊技領域の雰囲気があった。
みんなどこかハイテンションで、明日のことなど考えていない気配がありありと見える。
「しかし、すごいお月さまですね。これもアップデート祝いの演出だったりするんでしょうか?」
確かに巨大な満月だった。
今までも満月の日はあったが、これほどは主張していなかった気がする。
これだけ見事な満月だというのに、夜空を見上げる人はそう多くなかった。
アラタたちの周りには食事を終えてポータルに移動するプレイヤーが幾人もいるが、みんなどこか早足で落ち着きがないように見える。
「かもしれませんね。まあ、見ている人はあんまりいなそうですが」
アヴァロニアのポータルが見え始めた時だった。
「あれ?」
近くにいたプレイヤーの誰かがそう言った。
そうしてアラタも、異変に気付いた。
光だ。
紫の光が、あたりを照らしていた。
街全体が淡い紫色に染められている。
一体何の光源が、そう思って空を見上げると、そこには紫に輝く月があった。
「なんや、あれ……」
ユキナもどこか不吉なものを感じていたのだと思う。
紫の月は輝きを増し、地上全体を濃い紫色に染め始めた。
周囲からは拍手が聞こえだす。
なにかのイベントだと思っているのだろう。
実際に何かのイベントかもしれず、アラタはそうであることを心のどこかで祈っていた。
月は輝きを増し、夜空に突然光のカーテンが現れた。
「あれって、オーロラでしたっけ……」
どう考えても異常な光景であった。
紫に輝く月に、その周囲にたなびくオーロラ。
幻想的な光景だが、何の予告もなく起きるイベントにしては大掛かりすぎるように見えた。
周りのプレイヤーは大喝采だ。
何の先入観もなしに見れば、アップデートを祝っての演出にしか見えないだろう。
オーロラが消え、月が次第に輝きを弱め、最後には元通りの夜がやってきた。
周囲のプレイヤーからは、
「きれいだったね!」
「すごかったな!」
と肯定的な言葉が聞こえていた。
――――厄災に備えよ。
老人の言葉が、アラタの脳内に渦巻いていた。
そうして、唐突に念信が飛んできた。
アヴァロニア全体に響く、広範囲のシャウトだ。
その内容は、アラタの不吉な予感が的中したことを示したものだった。
AARON-RES:誰かログインコマンドを呼び出せる人いますか!! いたら返信をお願いします!!:FAV>>SHOUT
***
いつも通り、管理センターの椅子にリタは座った。
今夜は夜勤だ。
監視という業務の都合上、常に誰かがシステムに応答できなければならないものだ。
それは深夜だろうが早朝だろうが関係ない。
というわけで、今夜はリタの番だった。
相変わらず、壮観と言えば壮観な光景だ。
全天周のモニター。
夜空の星々のような膨大な数の領域。
このひとつひとつがひとつの世界というのは、理屈ではわかっていても感覚としてはなかなか受け入れられないものがある。
今日も退屈な業務が始まる。
リタはそんな心持ちで椅子に座ったが、そうはならなかった。
それは、リタが椅子に座った瞬間に起きた。
「ちょっと……なによこれ……!?」
モニターに表示されている、全ての領域が真っ赤に染まっていた。
脳が完全に混乱していた。
背筋は凍り、今すぐ悲鳴を上げたい気持ちを抑えてシステムに状況を報告させる。
リタの混乱した脳は、部分を絞らずにエラーを報告しろとだけシステムに命令した。
すると網膜上におびただしい数のエラーが殺到した。
超高速で流れるエラーはほぼ判読不可能で、その恐ろしい数だけがリタの恐怖を煽っていた。
そんな高速で流れる文字列の、一部分だけ共通している故に判読できる部分があった。
そこには、こうある。
転移、不能。
***
「どうして転移できないのよぉ!!!!」
セカンダスのポータル周辺では、女性の甲高い声が響いていた。
人々は口々に叫びを上げ、ポータルの整理要員はあまりのパニックにうずくまっていた。
またオービンにいる人間は、比較的落ち着いて避難場所への移動を開始していた。
それでも人々のざわめきは不吉を孕み、理性によって平静を保っているというよりも、何をしていいかわからなくなった結果、盲目的に指示に従っているように見えた。
そういったパニックが、ありとあらゆる領域で起きていた。
全領域で通信、転移が不能。
未曾有の事態であった。
シャンバラが生まれてから、大規模な不具合など一度も起きたことがない。
それどころか、数分以上転移ができないという不具合すら起きたことがなかった。
領域から移動ができない。
連絡がとれない。
それはシャンバラに生きる人々にとって、世界の理が破壊されたも同然であった。
これに際し、どんな領域の人々にも共通する感情があった。
安全だと思っていた地面が薄氷でしかないと知った時の感情。
それは、恐怖と言った。




