173.転移15分前
地獄の3日間を越えて、アラタは自分の個人領域に戻っていた。
アルカディアのメンテナンス明けを待つために。
時刻は11時45分。あと15分でメンテナンスが明ける時間だ。
アラタは伸びたカップ麺を食べ、ちょっとした贖罪とばかりにエネルギー飲料を飲んで、布団の上であぐらをかいて待っている。
出来ることはしたと思う。
あとは3rdフェーズを待つのみだ。
ヴァンとの決戦に向けて。
ピンポーン、と間の抜けた音がした。
アラタの個人領域に設定されている訪問ベルの音だ。
システムを呼び出す。
訪問者の名前は、ユキナ・カグラザカ。
どうして、と思いつつもアラタは領域に入る許可をコマンドする。
目の前にユキナが現れる。
衣装はキョウにいた時と同じ、黒地に金の刺繍が入った着物。
相変わらずとんでもない美人で、そんな人間がアラタの六畳一間の個人領域にいるのはとてつもない違和感があった。
「どうしたんです? メンテ明け直前に」
「せっかくやから一緒にインしよかなって思って」
「なんでわざわざ?」
「それは……なんというか……わかるやろ?」
わからない。
わからないが、ユキナがなんとなく照れくさそうにしている様子から察せなくもない。
一瞬謎の気まずい雰囲気がアラタの領域を包んだ。
会話を再開させたのはユキナだった。
「しっかし、すごい領域やね? もうちょい拡張せんの?」
「落ち着くんですよ、これが。どうせ自分の領域でなんて寝るだけですし、栄誉もかかりますしね」
「そういうもんなん?」
「そういうものですよ」
ユキナはアラタの領域内を見回している。
チェックされているようでどこか居心地が悪い。
「あれがお昼ご飯なん?」
ユキナが目をつけたのはカップ麺のカップだった。
「そうですよ。僕の好物です」
ユキナは一瞬信じられないという顔をしたが、
「美味しいん?」
「食べたことないんですか?」
「ないなぁ……」
確かにカップ麺はマイナーな食べ物だが、古のサブカルチャーを漁っていれば存在くらいは知っているだろう。
というか、そういった方面に興味がなければ知ることはないのか、とアラタはようやく気付く。
そう考えると、カップ麺に出会わせてくれたサブカルに感謝しなければならないのかもしれない。
「今度ウチにも食べさせてよ」
アラタは自分で食べてみては、と言いそうになってなんとか言葉を飲み込んだ。
ユキナなりに接点を作ろうとしてくれているのだろう。
ああクソ、と頭をかきむしりたくなる衝動を抑える。
しかし、ユキナの言葉の中には気になる部分があった。
今度。
もし3rdフェーズでヴァンが願いを叶えたならば、今度などというものは存在しない。
「わかりました。僕のおすすめを紹介しますよ」
勝てば問題はない。
勝てば今度がある。
勝てば、二ヶ月ほど前に個人領域から出て、こうして新たに作った関係がこれからも継続されるのだ。
カップ麺を食べさせて、などという下らない言葉から、信じられないほど勝とうという意思が芽生えたのを感じた。
アラタは我ながら馬鹿なのではと笑いたくなる。
でも、着物姿の美人さんがカップ麺を啜る姿を見るのはなんだか面白そうだ。
それにどんな感想を抱くかも気になる。
明るい未来を想像する、ということが、これほど精神に影響を与えるとは思わなかった。
「でも、アラタはこの3日間何してたん?」
「修行してました」
「しゅ、リアルで修行する人始めて見たわ」
「練習でもいいですけど、まあ修行ですよ」
「修行って滝にうたれたりしたん?」
「いえ、正気じゃない婆さんと無茶苦茶な条件で殺し合いをし続けてましたよ」
「なにそれめっちゃおもろそうやん」
「やってる側は地獄ですよ。だいたいあの婆さんは……」
そこでセットしていたアラームがなった。
11時59分。
アルカディアの3rdフェーズが始まる1分前だ。
「っと。もうすぐインできる時間ですね」
「シャンバラの存亡か。ウチはまだしっくり来てないけどな」
ユキナとパララメイヤには話していた。
師匠が願いの種子によってシャンバラの滅亡を願おうとしていること。
そしてアルカディアには、本当にシャンバラを滅亡させる力があること。
外部から干渉して止めようとしても、それを防ぐ何かが仕組まれていること。
すべてを話した。
その時のユキナとパララメイヤの反応は、以下のようなものだった。
「でも、アラタが勝てばすべて収まるんやろ?」
「それはそうですけど……」
「なら問題ないじゃないですか。アラタさんなら勝てますよ!」
「せやな。ウチの……」
ユキナはそこで言い淀み、
「ウチのなんですか?」
パララメイヤが聞き、
「ウチんとこのマスターやしな!」
ユキナがなんと言おうとしたかは、アラタはなんとなく察した。
以上が電脳世界が滅ぶかもしれないと説明した時の二人の反応だ。
楽天的にもほどがある。世界の存亡をまあなんとかなるだろうで済ませるのは、二人とも本当にどうかしていると思う。
そうしているうちに時間が来た。
「来ましたね」
「そいじゃいこか」
アラタはシステムにコマンド。
アラタ・トカシキとユキナ・カグラザカを遊技領域『アルカディア』に転送。
アラタは二度の確認にOKと答え、ユキナが転移に同意した旨が網膜に流れる。
5秒のカウントダウンが始まり、0になった途端視界が消失した。
最後の戦いの始まりだ。
どんな結果になろうと、これだけは間違いない。
これがアルカディアに行く、最後の転移になるだろう。




