153.暗中での傍若無人
無限に広がる暗黒の空間に、一つの死体が横たわっていた。
死体は人型ではあるが、人間のものではない。
それは巨大で、単眼であった面影が見て取れる。
面影というのは、その大きな単眼が無惨に引き裂かれているからだ。
老人はその惨状を見て諦めの吐息をもらした。
「やってくれたな……」
老人が言葉を発した先に、一人の男の姿があった。
ヴァン・アッシュだ。
白髪交じりの髪の毛、だらしない感じの無精髭、自信に満ちた顔つき、今は左目に眼帯をつけてはいない。
「なかなか楽しめたが、試練ならもう少し強くてもいいな。ギミック間の猶予は寝そうになったし、最後に出てきた偉そうなのは口喧嘩の方が達者な始末だ」
そんなはずは絶対にない。そんな調整にはなっていない。
だが、老人はそれを口には出さず、違う質問を投げかけた。
「なぜお前がここにいる? この試練はお前ではなくアラタ・トカシキを呼び込むためのものだ」
「アラタだけ楽しんじゃあズルいだろ。知ってるか? ゲーマーはレアなモンスターを見たら戦ってみたくなるもんなんだよ」
「貴重な駒を遊びで潰しおって。それよりなぜアラタ・トカシキと接触した?」
「なぜって、久しぶりに話したくなったのさ、あの坊主と」
「軽率な行動は慎めと……」
ヴァン・アッシュが大剣を抜刀し、老人へと突きつけた。
老人は大剣など意に介さずに言葉を続ける。
「無駄だよ、今の私に暴力は通じん」
「これは単にカッコつけてるだけだ。だが、調子に乗るなよ」
「なんだと?」
「俺はお前の駒じゃあない。その気になればせっかく作った舞台をブチ壊すことだってできるんだぜ?」
「そんなことをすればお前の目的も――――」
「俺はやると言ったら絶対にやる男だ」
ヴァンの瞳には、狂気すら感じさせる色が混ざっていた。
その言葉に、十分な確信を感じさせるほどの。
老人は諦めて首を振った。
「わかった、好きにするといい」
「言われなくともするさ」
ヴァンが大剣を収めた。
「それで、アラタ・トカシキとあってどうだったんだ?」
「まあまあってところだな。強くなっちゃあいるが、精神面から力を発揮できていないところがある。あれじゃあまだ敵じゃない」
「敵にならないならいいではないか」
「よくねーよ。何のためにわざわざアイツを呼んだと思ってやがる」
「わからない話だな」
「いいか? 同じ報酬でもな、楽に手に入れたものと苦労して手に入れたものじゃあ価値が違うんだよ。最初から知ってる星の秘密を単に手に入れてもおもしろかあない。俺は過程を楽しむために生きている」
「それもわからない話だ。重要な目的のためになぜ不確定要素を入れる?」
「これだからエデン人は」
ヴァンが呆れたように肩をすくめた。
老人はその反応を無視して質問を投げる。
「これからどうするつもりだ?」
「どうする、とは? 俺は俺で適当に遊ぶさ」
「アラタ・トカシキへの干渉は――――」
「同じことを言わせる気か?」
ヴァンの瞳に再び剣呑な色が宿った。
「安心しておけ、俺に任せりゃいい見世物に仕上げてやるさ」
腹の立つほどの自信家だ。
これに比べればアラタ・トカシキはかわいいものだなと老人は思う。
やり込められただけでは面白くない。
老人は皮肉を込めてこう言った。
「その結果足元をすくわれたりせぬようにな。ヴァン・アッシュ・スターシーカー」
ヴァンの左目には眼帯がつけられていない。
その瞳には、薄っすらとした六芒星の文様が浮かんでいる。
「俺を誰だと思っている。さあ、早く出口を出してくれ」
老人が杖を振ると、外界に繋がるポータルが現れた。
「じゃあな」
そう言ってヴァンはポータルに飛び込んだ。
老人が一人、闇の中に取り残される。
老人は眼の前にある巨人の死体に目をやる。
クリムゾン・アイは間違ってもそう簡単に撃破してはならない試練だ。
細心の注意を払って全クラスで倒せるように設定しているとはいえ、死闘にならないはずはないのだ。
それなのに、呆気なく撃破されてしまった。
規格外の化け物。
老人は遊戯領域で殿堂入りするようなプレイヤーを幾人も見てきたが、ここまでの者はいなかった。
想定を越えた何かというのはいるものだなと感じさせられる。
そんな化け物に目をつけられたアラタ・トカシキも災難だなと思う。
老人としては、見ているうちにアラタ・トカシキをなかなか気に入っていた。
あれは面白い素材だ。もしアラタ・トカシキが願いの種子に辿り着いたら、エデン人を大いに喜ばせる物語が完成することだろう。
しかし相手が悪い。
ヴァン・アッシュ。
物質人の特質なのか、ヤツにはエデン人でも把握できない何かがある。
老人自身も手綱を握れているのか、それとも手に負えない者を引き込んでしまったのか、判断しかねるところはある。
まあ、老人はできることをするしかない。
複製体として、もはやそれしかできないのだから。
この物語がどんな結末を迎えるにせよ、老人は与えられた仕事をするだけだ。




