136.誰も帰って来ない場所
アラタは振り下ろされようとしている短剣をぼんやりと眺めていた。
もうできることは何も無い。
そんな中、風切り音が聞こえていた。
何の音、と思う間もなくリリスが飛び退いた。
アラタとリリスの間に割って入るように巨大な大剣が突き刺さり、庭の土が飛び散った。
KENJIRO-RES:面白そうなことやってんなぁ。オレも混ぜろよ。
ギルドハウスの屋根から、ケンジロウが飛び降りてきた。
リリスはケンジロウに反撃を試みることなく、ただ距離を開けた。
LILITH-RES:ケンジロウ! 足止めは……
KENJIRO-RES:ああ、ソイツらをシメたら色々教えてくれたんだよ。依頼主が誰かってこともな。
ケンジロウはアラタを見て、
「よお、イキリクソメガネ。普段の元気はどうした?」
アラタは答えることができない。
精神的にも、肉体的にも。
リリスはネハンの全員が戦神のアミュレットを狙っていると言っていた。
ということはつまり、ケンジロウもそのために来たのだろう。
獲物を横取りしにきたというわけだ。
それがわかっても、アラタは何もする気が起きなかった。
どちらに敗れようと結果は変わらないからだ。
ケンジロウはつまらなそうにアラタから顔を逸らし、
「リリス、ガキ相手に何やってんだ?」
「わかってるでしょう? 聞かなくても」
「いいや。オレはガキに泣きべそかかせる理由なんてわからんね」
「あなただって戦神のアミュレットは――――」
「オレはそんなものいらん」
リリスの表情に、いくらか驚きの色が混じった。
「じゃあなんのためにここに――――」
「児童虐待野郎をとっちめるためさ」
アラタはその言葉の意味を飲み込むまでに時間がかかった。
「今さら正義の味方を気取るつもり?」
「いいや? オレはオレの思うままに生きてきたが、間違っても正義の味方じゃない」
「じゃあ二人で……」
「だがな、悪の敵ではありたいと思っている」
ケンジロウは悠々と歩いて大剣を引き抜いた。
そしてリリスに向かって構える。
「俺の距離だ。勝てると思うなよ」
***
「あー、これでうまくいくか?」
アラタの身体に雑に薬がかけられる。
嘘のように痺れが抜ける。ステータス欄を見ると全てのデバフが解除されていたが、ここまでに三十分以上の時間がかかっていた。
喋れるようになっても、アラタは何を言っていいかわからなかった。
「まあ元気を出せとわ言わねぇけどな」
「……何があったか、知ってるんですか?」
「仲間だと思ってた奴らに殺されかけてショックを受けてるんだろ?」
その通りなのだが、言葉にするとひどく安っぽい気がした。
その言葉とアラタが受けた衝撃が釣り合っていない気がする。
「ケンジロウさんはなんで……」
「ガキをいじめる趣味なんてねーんだよ。それにオレはお前の世話係だしな」
言ってケンジロウは笑った。
悪漢が悪事の成功を喜ぶような笑いだったが、今のアラタにはそれが何よりも温かく見えた。
「で? お前はこれからどうするんだ?」
「何も考えてませんよ」
「じゃあアドバイスしてやるがな、しばらくエバーファンタジーはやめとけ」
「でもそうすると戦神のアミュレットの所有権が……」
「なんだ? お前も栄誉がほしいのか?」
「いえ、そういうわけじゃ」
「ならいいじゃねーか。そのアミュレットが全部の元凶だ」
「でも師匠との約束が――――」
「なんか約束でもしたのか?」
アラタはそこで固まった。
約束なんてしていない。アラタは一方的にアミュレットを渡されただけだ。
それがいつの間にかアラタの中で膨れ上がり、ヴァンの代わりをしなければならないと思いこんでいた。
「……してないです」
「なんで旦那がお前にアミュレットを渡したか知らね―が、手放しちまえばいいんだよ」
「でも師匠が……」
「旦那は気にしねーだろ、そんなこと。こんなガキに渡した方がわりーんだよ」
確かに、アラタが戦神のアミュレットを持っているのは分不相応な気がした。
エバーファンタジーで最強の証。
使いようによっては、現実でも莫大な栄誉を得られる称号。
「じゃあ、ケンジロウさんがこのアミュレットを預かっててくれませんか?」
ケンジロウは、心底意外そうな顔をした。
それから頭をかいて、
「いらねーよ、そんなの」
「だって、ネハンはみんな戦神のアミュレットを狙って集まったって」
「最初はな。だがオレはそれなりに楽しんでたんだよ。普通に遊ぶのもな」
「でも預かってもらうくらいは……」
「オレも今回の件でちょっと冷めちまったからな。旦那が戻ってくるまで別の領域で適当に過ごすさ。お前もそうしろ」
「それは……」
「ガキだから仕方ないかもしれないがな、遊戯領域での出来事に真剣になりすぎなんだよ。別に何が起きようと世界が滅ぶわけでもない、気楽にしてりゃあいいのさ」
ケンジロウの言いたいことはわかるが、わかるのとそれを受け入れるのは別だった。
「その顔、納得いかねーみたいだな」
「割り切れませんよ、ガキですから」
ケンジロウは目を瞑って首を振り、
「なら好きにするといいさ。オレはしばらく休憩だ」
そう言ってケンジロウはログアウトした。
ギルドハウスには、アラタだけが残った。
***
それから二ヶ月間、アラタはエバーファンタジーのギルドハウスで過ごした。
シャンバラには一度も帰らずに、ギルドハウスから出ることもせずに引きこもっていた。
誰かが戻って来るのを待って。
その間に来たのは、噂が気になった野次馬だけだった。
曰く、ネハンが一人の少年によって潰されたと。
その真相が気になり、ギルドハウスを覗きに来る輩がいたのだ。
アラタはギルドハウスの設定を変更して、ギルドメンバー以外の侵入を不可能にした。
師匠が戻ってきたら、話を聞きたかった。
何をしていたのか、なぜ自分に戦神のアミュレットを渡したのかと。
師匠でなくとも、シンユーでも、クラウディアでも、リリスでも良かった。
リベンジに来る可能性はそれなりにあると踏んでいた。
戻ってきてさえくれればまた話ができる。
そうすればネハン修復に繋がる何かが進む可能性がある。
冷静に考えれば、そんなことはなかったはずだけども。
ネハンの面子は常勝無敗で、このPKありの領域において死ぬことはなく、かなりのプレイヤーを倒していたはずだ。
そうなると怨恨の数字が酷い。装備のロストも、レベルのダウンもめちゃくちゃなはずだ。
そんな状態になれば、アラタにリベンジなどできるはずがない。
諦めて別の領域に行ったっておかしくはない。
もしリベンジがあるとしても、元の状態に戻すためにかなり時間が経ってからになるはずだった。
アラタは一人ギルドハウスで過ごしていた。
誰も来ない。本当に誰も来ない場所で。
シンユーも、クラウディアも、リリスも、ケンジロウも来なかった。
師匠は、いつまで経っても帰ってこなかった。
アラタは二ヶ月が過ぎて、ようやく理解した。
ここにはもう誰も戻ってこないのだと。
アラタはエバーファンタジーからログアウトした。
そうしてネハンのギルドハウスには、誰もいなくなった。




