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134.盲目の羊


 ヴァンがいなくなっても、ネハンは普段とそう変わらないように見えた。

 少なくとも、アラタはそう感じていた。


 特別やることもない、ということでアラタはシンユーの手伝いをしていた。

 サブクエストというわけではなく、ダークドラゴンが低確率でドロップする竜の心臓を手に入れるためにひたすら討伐を繰り返していた。

 ダークドラゴンはそもそも遭遇率が低く、その上低確率のドロップとなると相当な時間がかかる。


 すると自然雑談が増えるわけだ。

 アラタとシンユーは、嘆きの峡谷で何気ない会話をしていた。

 様々な生物の骸が転がり、アンデッドが中を舞う谷底で二人はダークドラゴンとの遭遇のために歩き回っている。


「師匠が何をしに行ったのかわかります?」

「さあ、あの人もよくわからない人だからね。アラタくんにも話してないんだ?」

「はい。死んでも装備をロストしなくなるアイテムをくれただけでしたね」


 気のせいか、隣を歩くシンユーの気配が変わった気がした。


「それってもしかして戦神のアミュレット?」

「そうです。さすがシンユーさん。アイテムのことならなんでもわかるんですね」


 殺気、といっていいのかはわからない。しかし、何か猛烈な違和感を感じたのは確かだ。

 ヴァンが直感について言及していたのが脳裏を過る。

 アラタは突き動かされるように身を捻った。


 大音響と同時に、吹き飛ばされそうな風圧が、アラタの全身を舐めた。


 わけがわからず即座に距離を開ける。

 岸壁に大砲でもぶち当たったかのような大穴が空いていた。


 完全には躱せなかった。

 アラタは右の脇腹を抉られていた。

 HPでしか確認できないが、結構な傷になっているだろうことはわかる。


 なぜHPでしか確認できないのかと言えば、アラタは目の前を見る以外に余裕がないからだ。


 アラタの目の前には、槍を構えたシンユーがいた。

 大穴を空けたのも、アラタの脇腹を抉ったのも、シンユーの槍によるものだ。


 わけがわからなかった。


 本当に混乱した。

 一緒に遊んでいた友人に突如殺されかければ、今のアラタの気持ちがよくわかるだろう。

 アラタはまともに物も考えられず、


ARATA-RES:シンユーさん!! いきなりなんですか!!


 ヴァンならともかく、シンユーはいきなりこんな事をする人間ではない。

 少なくともアラタの知る範囲では。


XINYU-RES:まさか今のを避けるとはね。


 シンユーは、アラタの言葉に答える気はないように見えた。

 シンユーの糸目が薄っすらと開いていた。

 そこには、一切の冗談を感じさせない光があった。


 シンユーが構えようとしたところで、アラタが動いた。

 混乱の極みにあり、まともにものを考えての動きではなかった。

 そんな直感に従っての動きだったからこそ、唯一の正解に辿りつけたのかもしれない。


 アラタは双剣を煌めかせ、エアクロスを放った。

 飛ぶ斬撃で、牽制用の技。一足でそれに追従するように距離を詰めにかかる。


 シンユーはエアクロスを槍で撃ち落とし、後ろに下がって槍の間合いを維持しようと距離を空ける。

 その時にはもう、アラタは反転していた。

 

 岸壁を蹴っての三角飛びで無理やり崖の上へと駆ける。

 戦うことなど、一切考えなかった。

 とにかく意味がわからない。なぜシンユーが自分を襲ったのか理解できない。

 アラタは脇目も振らず逃げ出した。


 わけがわからなすぎて本当に泣きそうだった。

 自分に襲いかかったシンユーには、それだけの圧力があった。

 生まれてから十二年で最高にパニックになった瞬間だった。

 

 それでもアラタの体は機能的に動いた。

 最短のルートで崖を登り、地上へとたどり着き、一目散にワープゲートへと飛び込む。


 振り返らなかったので、シンユーが追いかけてきていたかはわからない。

 アラタは迷わずギルドハウスへと飛んだ。



***



 怪我をしたらリリスのところというのは相場が決まっている。

 ギルドハウスのリリスの部屋に行くと、リリスはすぐに治療に取り掛かってくれた。

 アラタの右脇腹に手を当て、患部が淡い光に包まれていた。


「一体どうしたんですか? 対人の傷に見えますけど」


 アラタはすぐには答えなかった。

 自分の中で、まだ起きたことが整理できていなかったからだ。


 アラタはシンユーにいきなり襲われた。それは間違いない。

 ではそれはなぜか。シンユーに襲われたのは戦神のアミュレットの話をした直後だったはずだ。


「シンユーさんに、やられたんです」

「シンユーと模擬戦をしたんですか?」

「襲われたんですよ、いきなり」


 それを聞いたリリスの表情は困惑そのものだった。


「どういうことですか?」

「師匠からアイテムをもらった話をしたら、いきなり攻撃されたんです」

「アイテム?」

「戦神のアミュレットというものです。リリスさんはこれがなんだか知ってますか?」


 言った途端にリリスの表情が変わった。

 アラタはヒヤリとした。シンユーの時みたいに豹変して襲ってきたらどうしようかと考えたからだ。


「マスターが戦神のアミュレットをアラタくんに譲ったんですか?」

「俺がいない間に貸してやるって。なんなんですかこれは」


 リリスは頬に手を当てて、


「そうですね、それはなんというか、このエバーファンタジーで最も強い人間の証ですかね」

「装備をロストしないアイテムじゃ……」

「そういう能力はありますよ。ただその能力はオマケで、代々の戦神が持つ最強の証なんです」

「なんでそんな……」

「でもそれでシンユーに襲われたというのは納得いきました」

「納得って……」

「アラタくん。アラタくんはネハンがどうしてできたギルドだか知ってますか?」


 アラタは首を振った。

 いきなりの話にまともにものが考えられない。


「ネハンは仲良し集団というわけじゃなく、マスターに返り討ちにあった人間の集まりなんですよ。マスターがいつでも襲っていいからギルドに入れって。結局誰も勝ててないんですけどね。とにかくメンバーのほとんどが戦神のアミュレットが欲しくて在籍しているようなものなんです。表向きはマスターを中心に自由に活動しているように見えても、実際は虎視眈々とマスターの首を狙っていたわけです」

「こんなものにそこまでの価値があるんですか?」

「ありますよ、もちろん。今のエバーファンタジーは、遊技領域の中でも上位の人気を誇る領域です。その領域で最強というのは、遊技領域といえど相当な栄誉になる。リアルな栄誉マネーに影響するんですよ」

「リアルなって、具体的には?」

「そうですね、月で1000万はくだらないんじゃないですか?」


 途方もない数字に頭がクラクラした。

 アラタは今までスクール内で得た僅かな栄誉で慎ましやかな贅沢をしていた。どんな子供もだいたいそんなものだ。

 それが1000万? そんな栄誉の数字は聞いたことがない。

 そこまでの栄誉、人によっては悪魔に魂を売ってでも手に入れたいものかもしれない。


「もちろんその所有者であることを喧伝すればという話ですけど。そうして狙われながらも所有が維持できれば、それだけで好きに暮らせる程度のものではあります」

「みんながそれを狙ってネハンにいると? みんな仲良くしてたじゃないですか!!」

「でもそうなんですよ。そして、その所有者が変わった。だから戦神のアミュレットを手に入れるためにシンユーはアラタくんを狙ったというわけです。アラタくんが戦神のアミュレットを持っていると知れば、クラウディアもケンジロウも放っておかないと思いますよ」


 友人だと思っていた相手が、本気で自分を殺そうと動いてくる。

 栄誉のために誰かを殺すなど、物語の中の話だと思っていた。

 それが現実になって、しかもターゲットは自分ときた。

 怖い、悲しい、どうにかしたい。アラタの頭の中はそんな感情だけでいっぱいだった。


「僕はどうすれば……」


 リリスは難しい顔をして、


「戦う……しかないと思います」

「勝てませんって!!」

「マスターは勝ち続けました。アラタくんも同じことをすればいいんですよ。少なくともマスターのいない間は。マスターもそれを望んでアラタくんに戦神のアミュレットを託したのでは?」

「それは……そうかもしれませんけど」

「たぶん、マスターはアラタくんが勝てると思ったから渡したんですよ。だからマスターみたいに返り討ちにしてしまえばいいんです」


 アラタはリリスの言葉について熟考した。

 ヴァンがいない間、ヴァンと同じことをすればいい。

 アラタはそのことについて、考え、考え、考えた。

 

 しかし、混乱した頭で行う熟考ほど愚かなものはない。


「わかりました。やってみます」


 考えれば考えるほどおかしな話だった。

 別にアミュレットを渡してしまってもいいし、ヴァンがいない間は違う領域にいたっていいのだ。

 なにも無理してネハンの面子と戦わなくたっていい。


 けれど、今のアラタにはそんなことすら考えられなかった。

 アラタは、リリスの言葉を信じた。

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