133.終わりの始まり
ヴァンはギルドハウスの庭で待っていた。
ギルドハウスの庭は崖側になっていて、ヴィーネ・ロマンツァの景色が一望できるようになっている。
色とりどりの屋根に遠くに見える海、ヴァンはそんな景色を眺めてアラタを待っていた。
アラタはそんなヴァンを、とりあえずで襲った。
完全な背後から。
双剣を手に一息でヴァンを間合いに入れた。
殺った。
アラタが確信した次の瞬間には、ヴァンは身を沈めていた。
左右から襲う双剣が、もはや軌道を変えられないのが確定したと同時の動きだった。
なぜバレたのかわからないし、どうしてそんな完璧なタイミングで動けたのかもわからない。
わかるのは、強烈な下段の蹴りらしき衝撃がアラタの足を襲ったことだけだ。
アラタはすっ転び、もう無駄とわかっても身を起こそうとしたところに、ヴァンが声をかけてきた。
「どうどう、落ち着け。今日はそういうんじゃねーんだよ」
その一言で、なんとなく興が削がれた。
アラタは起き上がるのをやめて、そのまま芝生に大の字になった。
ヴィーネ・ロマンツァの天気はいつでも晴天だ。
深い青に輝く太陽が煌めいている。
「なんの呼び出しですか? 今日は」
ヴァンが大の字のままのアラタの横に座った。
「最近どうかと思ってな」
「どうかって?」
「エバーファンタジーは楽しいか?」
いきなりなんだ、とアラタは思った。
意図を読もうか考えたが、師匠の考えていることなどどうせわからないと結論付け、普通に答えることにした。
「悪くないですよ」
「ギルドの面々とは仲良くやってるみたいだな?」
「……みんな良くしてくれてます」
「どうだ? こういうのは」
そんなのは、楽しいに決まっていた。
一人で影の森に潜んでいた時とは雲泥の差だ。
マルチプレイヤーの遊戯領域を始めたのは、本当のところこういった体験がしたかったからだった。
ギルドの面子と遊び、他のプレイヤーから尊敬され、何もかもがすべてうまくいっている。これ以上はない。
けれどそう素直にそう答えるのはなんだか面白くなかった。
「師匠に勝てれば文句なしですかね」
「そりゃあお前が弱いのが悪いんだろ」
「これでも大分マシになったつもりです」
それは本当だった。
ギルドの面々と一緒に遊んだり、ヴァンとの度重なる戦いで、人狩りをしていた頃に比べるとアラタは遥かに強くなっているはずだった。
しかしヴァンにはまるで歯が立たない。
むしろ、自分が強くなればなるほど、ヴァンとの力量の差がわかって遠い存在になっていくような気すらした。
「アドバイスをしてやると、お前の技量の方はそこそこってとこだ。まあこれは後天的要素で、伸びしろはいくらでもある。意識していいお前の一番の強みは直感だ。そういうタイプはなかなかいない。場合によっては考えるよりも直感を信じろ」
そんな事を言われたのは初めてだった。
明確に褒められたわけでもないのに、アラタは褒められたような気になって嬉しかった。
無論、顔には出さないように注意したが。
「じゃあ師匠、僕に一番足りてない部分は?」
「色々あるが、一番なら覚悟だな」
「精神論ですか?」
「ああ精神論だ。登れるところまで登ったら、そういうところで差がついていくからな」
そう言うヴァンの表情は、至極真面目に見えた。
「具体的にはどうしろと?」
「死ぬ気でやれってこった」
「好きですね、それ。今日び死ぬなんて物質人だけですよ」
「だからお前らは弱いんだよ。アラタ、お前は俺に負けたらもうおしまいだって考えたことあるか? 負けたら終わりの勝負をしたことあるか?」
「……ないですよそんなの」
「技もいいが、そういう経験もしろ」
「どうやって?」
「それくらいは自分で探せ」
今すぐ襲ってやろうかとも思ったが、何も得るものがない確信があった。
アラタは襲うのはやめにして、
「そんなことを言うためにわざわざ呼んだんですか?」
「まあそれも理由のひとつだ。俺はしばらくココを留守にする」
「留守って、どういうことですか?」
「現実でやることがあんだよ。しばらくすりゃあ戻って来る」
どう反応したらいいのかわからなかった。
そもそもヴァンに挑めないと勝ち負けなどないし、ヴァンに勝つという名目がなくなったらネハンに仕方なくいる理由もなくなってしまう。
「なんだよその顔は」
「僕はその間ネハンにいてもいいんですか?」
「あん?」
「その、僕は師匠に勝つためにネハンにいるんで」
ヴァンはガハハと豪快に笑って、
「まだ言ってんのかそんなこと。気にせずいろ。そいで渡しとこうと思ったアイテムがあってな」
「アイテム、ですか?」
ヴァンがアラタに何かを投げてよこした。
アラタはそれをキャッチした。銀色の鎖の先端に小さな水晶のようなものがついている。
網膜のデータには戦神のアミュレットと表示されていた。
「なんです? これ」
「死んでも一部のデスペナルティを避けられるっていう便利アイテムだよ。俺がいない間はお前が持っとけ」
「僕が死ぬっていう嫌味ですか?」
「ヒネてんな、素直にお守りを渡してるだけだよ。それともいらんか?」
「一応もらっておきます。帰って来なかったら売って金にでもしますから」
本当のところは、ヴァンとの繋がりを何か持っておきたいと思っていたのかもしれない。
「安心しろ、順調にいきゃあ一週間くらいで戻って来る」
「今日はそれを伝えるためだけにわざわざ呼び出したんですか?」
そこでヴァンはニヤリと笑った。
「それも安心しろ。そのアイテムが早速役立ちそうなクエストに連れて行ってやるよ」
当然のように、地獄みたいなクエストに連行された。
戦神のアミュレットの効果は、なんとか使わずに済んだ。
***
あとから考えると、ヴァンがアラタに戦神のアミュレットを渡したのは計算ずくだったのだと思う。
ヴァンは何かを狙ってアラタに戦神のアミュレットを渡した。
しかし、その何かは今になってもわからない。
ヴァンに悪意があるようには思えなかった。
結果を見ても、それがヴァンの狙いだったようには思えない。
が、ともかくここからアラタにとってのエバーファンタジーの終わりは始まった。
アラタが在籍しているネハンが薄氷であるなんて、思いもしなかった。




