130.追憶
あと数時間でアルカディアのメンテナンスが開けるというところまで来ても、アラタは迷っていた。
アラタは個人領域で朝食を終えたばかりだった。
信じがたいことに朝からカップラーメンである。
その証拠にローテーブルには汁だけ入った容器がまだ残っていた。
コマンドひとつで片付くというのに、アラタは片付けもせずに師匠のことばかり考えていた。
布団に横になりながら、エバーファンタジーの時代を思い出している。
嫌な記憶だが、嫌なことばかりではなかった。
特に、師匠に関しては。
追想ではなく、アラタは自分の記憶を遡って、十年以上前の事を振り返っていた。
***
どうせならアラタは対人戦がしたかった。
だからエバーファンタジーではPKありのミラーを選んだ。
十二歳のアラタ少年は、メインクエストなどそっちのけで対人戦を楽しんでいた。
レベリングも装備の調達もすべてPK頼りのめちゃくちゃなプレイスタイルだった。
エバーファンタジーのPKありミラーでは、倒したプレイヤーがどれだけPKをしていたかを示す怨恨に応じて、そのプレイヤーを倒した時の報酬、死んでしまった時のペナルティが決まるのだ。
強者を倒せばそれだけ経験値も手に入るし、そのプレイヤーの怨恨が一定以上なら、装備まで奪えてしまえるわけだ。
アラタはそれだけで、まともにクエストも進めずに上位プレイヤーの水準にまで達していた。
今思い返せば奇跡のようなものだった。
戦い方もめちゃくちゃだし、相手を選別したりもしなかった。
ただルーレットを繰り返して倍々で増やし続けたラッキー野郎とそう大きな違いはなかったと思う。
アラタの対人戦に関してのプレイスタイルは待ちだった。
やたらめったら辻斬りじみたPvPを仕掛けたりはしない。
当時の天狗になっていたアラタは、できるだけ強いプレイヤーと戦いたいと考えていたからだ。
アラタは影の森というフィールドを縄張りにしていた。
影の森にはエリクシルの材料になる夜の薔薇という素材があるのだ。
ここに来るプレイヤーを、アラタは倒し続けた。
するとどうなるか。
普通のプレイヤーは来なくなるのだ。
影の森にはヤバいヤツがいる。そんな危険を犯してまで素材を取りにいく価値はないと。
そして、普通ではないプレイヤーだけが来る。
腕自慢の連中だ。
影の森に潜む何者かは、相当な怨恨を抱えている。
ならばそれをかっさらってやろうと、腕に自信のあるプレイヤーだけが影の森に来るようになった。
そんな連中を、十二歳のアラタは見事に返り討ちにし続けた。
これも、今思えばラッキーな要素が多かったとは思う。
複数人に囲まれた時は死にかけたが、それでもなんとか返り討ちにできた。
腕自慢といっても総じて見ればそう強くないプレイヤーが多かった。
影の森は貴重素材こそあるが初期から行ける範囲にあるフィールドであり、重要度が低かったからだ。
アラタ少年は細かいことは考えずに、普通に調子に乗った。
自分は天才だと思ったし、このまま行けばフォーラムはアラタの話題で持ち切りになるのではと思っていた。
そこに、本物が現れた。
アラタはいつものように待ち伏せをしていた。
適当な木の根によりかかりながら、古典じみたコミックを再生して暇を潰していたのだ。
そこでアラタの仕掛けた結界に反応があった。
結界といってもアイテムで張れるプレイヤーを感知できるだけのものであり、それ以上の機能はなにもない。
アラタは反応のあった場所に急行した。
新しい戦いにワクワクしながら、戦意に満ちて。
反応があった場所には、当然ながらプレイヤーがいた。
白髪交じりの中年のアバターだった。
だらしない無精髭で、欠伸までしている。
歴戦の勇士というよりは、噂を知らずに入ってきてしまったプレイヤーの方がまだあるように思えた。
影の森の鬱蒼とした木々に、微かに入ってくる木漏れ日。
アラタはわざと葉音を立てて歩いた。不意打ちは趣味ではない。
すると、中年はアラタの方を見て「おっ」という顔をした。
「お前が影の森の人狩りか?」
アラタは男へ一息で切り込める間合いまで近づいて足を止めた。
この男は、アラタが影の森でPKを繰り返している人物だと知っている。
それなのにこの余裕。
間違って入ってきたプレイヤーではなく、アラタと戦うために来た人物なのは間違いなさそうだった。
「身に覚えはありますね」
「そっか。ところで俺は何者だと思う?」
「僕と戦いに来た何者かですよね」
「そりゃあ当然な。てか俺の顔見て何かピンと来ないか?」
アラタはじっと男を見てみる。
無精髭はアバターである以上、剃ってないのではなくおしゃれの一部なのだろう。
あまりいい趣味だとは思えないし、それ以上に思うところは何もなかった。
「とくにないですかね」
「え、マジか?」
男はおどけた表情でアラタを見ていた。
「ネハンのヴァンって言ったらどうだ?」
「すいません、知らないです」
そう言うからには有名人なのかもしれないが、アラタは本当に知らなかった。
「おいおいマジかよ……」
ヴァンは頭をかきながら呆れ顔でアラタを見ていた。
「まあいい、結局やることは変わらんからな」
「僕と戦るってことですよね」
「ああ。なんでこの俺様がわざわざこんなところに来てるかわかるか?」
「僕と戦いたいからでは?」
「戦いたかねぇよ。俺は平和主義者なんだ」
「どういうことです?」
「依頼されたんだよ。影の森に調子に乗ったバカがいるからとっちめてくれって」
ヴァンの気配が変わった。
なんと表現していいかわからないが、この男はアラタが今まで倒した男とは何かが違う気がした。
「たぶんそういったプレイヤーはいくらかいたと思いますが、僕はこうして無事でいますよ」
「だから俺様にお鉢が回って来たんだろうが」
「じゃあもし僕があなたを倒せたら、どれくらいの実力だと言えますか?」
「あーやめとけやめとけ。夢物語はよ」
この言葉にアラタはムッとした。
男が実力者である可能性は高いのだろうが、こんなに自信のある男は初めてみた。
「僕があなたに勝てないとでも」
「やればわかるさ。お前は勘違いしてるようだから、上には上がいるってことを教えてやるよ」
「あなたがそれを知る立場になったらどうしますか?」
「おいおいやめとけ、負けた時恥ずかしい思いをすることになるぞ」
「ブーメランって言葉、知ってます?」
ヴァンは深い溜め息をついた。
「天狗になったやつぁ、一回痛い目見ないとわからんようだな」
ヴァンは大きく肩を回した。
「じゃあ、気張れよ」
仕掛けたのは、ヴァンからだった。
平和主義者というのは絶対に嘘だと思った
戦いは、五秒も続かなかった。




