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127.現実での戦い


 対手の坊主頭も構えをとった。

 アラタと同じく両手を緩く前に出している。

 坊主頭は攻めては来ず、アラタをじっと見ている。

 もしかしたら、アラタ側から攻めなければ仕掛けて来ないのかもしれない。


 現実シャンバラでの戦い。

 正直な話、恐ろしいとしか思えない。

 今も震えていないのが信じられないくらいだ。


 身体の動きが鈍いのも気になるが、それ以上に気になるのは痛みだ。

 たぶん、もらうと相当痛い。おそらくアラタが感じたことのないような痛みを味わうことになる。

 遊技領域での痛みのエミュレーションは、どんなに高くても本来の十分の一もないのが普通だ。

 つまり、ここでの痛みは遊技領域での何十倍も強いわけだ。考えただけでも嫌になる話だ。


 勇気を振り絞る必要があった。

 痛みに対して、自分よりも肉体的に優れた相手に対して。

 だから、アラタは自らを鼓舞するために言った。

 広い道場の一画で、自分より一回り大きい坊主頭に。相手が返事を返さないのを承知で。



「言うだけ言わせてください。僕は今まで喧嘩のひとつもしたことのない男です。それどころか筋トレすらしたことがないただの貧弱な男だ」


 アラタは対手の男を見る。

 道着に包まれていてもアラタとは明らかに違った肉の付き方がわかる。


「あなたはボディーガードだそうですから、日々トレーニングをしているのでしょう。身体を見てそれがわかる。あなたが圧倒的有利で、僕に勝ち目はほとんどないでしょう」


 坊主頭の表情は変わらない。アラタをじっと見て、話に耳を傾けているように見える。


「それでもぼくはやろうと思います」


 友達フレンドのために、と言おうとしたが、変なところで頭が回った。

 アラタはユキナのパートナーであるフリをしなければならないのだ。

 ここで友達というのはおかしい。

 だからアラタはこう言った。


「ユキナのために」


 言葉と一緒に、恐怖を吐き出せた気がした。

 アルカディアで恐怖と対面した経験も大きいと思う。

 大丈夫だ、やれる。アラタは自分に言い聞かせる。


 大きく息を吸って、吐いた。


 重要なのは、短期決戦に持ち込むことだ。

 泥沼の殴り合い、掴み合いになったら力の差で100%アラタは負ける。

 そうならないように、即決着をつけなければならない。

 

「では、いきます」


 アラタが踏み込もうとした瞬間に合わされた。

 坊主頭が軽やかなステップでアラタに迫る。

 アラタは退かない。そのまま二歩目を踏み込む。坊主頭が接近を続けながら、その右手が伸びてきた。

 掴み、ではない。拳を握っている。狙いは顔。


 アラタは咄嗟に頭を下げて、拳を額で受けた。

 角度、タイミングともに間違っていないはずなのに、信じられないほどの痛みを感じる。

 今すぐ頭を抱えてしゃがみ込みたい気持ちを抑えて顔を上げた。

 坊主頭の拳も無事ではないはずだった。その証拠に坊主頭は怯んで右手を引いていた。


 アラタがしかける。

 踏み込みは鈍いが、腰が引けたりはしていない。

 坊主頭の間合いに入り、坊主頭の両手がアラタを捉えんと動く。


 左の袖を掴まれ、ついで右の袖まで掴まれたが、その時にはもう右手は目標に向かって動いていた。

 狙うは目打ち。力を抜いて、指の裏をぶつけるように目をうちにいった。

 坊主頭が頭を仰け反らせて回避する。

 アラタの手が、ちょうど坊主頭の下への視線を塞ぐような形になった。それが狙いだった。


 坊主頭は視界を塞がれながらも、足技をかけようとしていた。

 素早い足払いだが、坊主頭が狙ったアラタの左足はすでに浮いて、足払いは空振りに終わっていた。

 アラタは坊主頭の引き込みに逆らわずに突っ込み、その左膝が坊主頭の股間に突き刺さっていた。


 男なら誰もが気の毒に思うような、完璧な金的だった。

 足払いをかわしながらの攻防一体の一手。

 坊主頭が苦悶の声をあげ、その力が露骨に緩む。

 アラタは自分を掴んでいる坊主頭の腕を掴み、突き刺した左膝を維持したまま後ろに倒れ、巴投げを試みた。


 信じられないことに失敗した。

 力が足りず、投げではなく単に坊主頭に覆いかぶされる形になってしまう。

 不味い。このまま寝技を仕掛けられたら力の差で終わる。

 アラタはなんとか脱出しようと身をよじると、意外なことに坊主頭の動きがなく抜け出すことができた。


 アラタは不器用に立ち上がった。

 坊主頭の方は股間を抑えたまま、悶えるのを我慢しているように動かない。


SOUJIROU-RES:一本だ。


 どこからともなく念信が来た。

 外から二人の黒服が颯爽と駆けつけ、坊主頭に手を貸して道場から出ていった。


 どこにいるかわからないが、送られた念信へのレスポンスでアラタも発信した。


ARATA-RES:ユキナのお父様ですか?

SOUJIROU-RES:いかにも。ソウジロウ・カグラザカだ。

ARATA-RES:アラタ・トカシキです。


 そこからどう自己紹介すればいいかわからず、


ARATA-RES:普段からユキナにはお世話になっています。


 とだけ伝えた。

 変な緊張に頭が回らない。


SOUJIROU-RES:なかなか面白い立会を見せてもらった。初め見た時は戦えるような男だと思えなかったが、娘が言うだけのことはある。

YUKINA-RES:言ったでしょう、お父様。信じていなかったんですか?

SOUJIROU-RES:人は見た目、とは言わないが、関係ないとも言えないからな。まさかアラタくんがコイタバシに勝つとは思わなかったさ。

YUKINA-RES:わたしの見込んだ男ですから。


 ユキナがアラタを見て微笑んでいた。

 今気付いたが、ユキナは両親にはあの変な口調は使わないらしい。


SOUJIROU-RES:念信だけですまんな。私は今仕事の都合で別領域にいるんだ。

ARATA-RES:いえ、構いませんよ。


 直接会うよりずっといいです、とはさすがに言わなかった。


SOUJIROU-RES:しかしずいぶんと娘に気に入られているようだな。

ARATA-RES:それなりの時間を一緒に遊技領域で遊びましたから。

SOUJIROU-RES:娘は遊技領域狂いだが、今までにそんな男はいなかったぞ?


 そうなんですか? と聞きたくて仕方なかったが、ユキナが割り込んだ。


YUKINA-RES:お父様、約束は守ってくれるんですよね?

SOUJIROU-RES:ああ、約束は守る。実力を見せた以上、私としても文句はないさ。


 約束、というのは結婚相手候補の話だろうか。

 フリをして、と頼まれたからにはおそらくそうだろう。


SOUJIROU-RES:ではアラタくん、娘を頼んだぞ!


 そこでようやく結婚相手候補のフリをするというのがどういうことなのか理解した。

 フリというのは騙すということだ。

 ユキナの父からすればアラタは紛れもなくユキナが探し出した結婚相手候補に映っている。

 

 とんでもない名家の、たぶんアラタが想像できないような権力を持った相手を騙すわけだ。

 もしバレたらいったいどうなってしまうのか。

 アラタは細かいことを考えず、とてつもない安請け合いをしてしまったのかもしれない。


SOUJIROU-RES:アラタくん、どうした?


 返事がないことに追撃まで来た。

 誤魔化す方法は何も思い浮かばず、自分はもしかしてヤバい事態に巻き込まれてしまったのかもしれないというショックで考えもまとまらない。


ARATA-RES:ま、任せてください……


 アラタはそう返事を返すだけで精一杯だった。

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