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116/202

116.薄色の世界より


 個人領域に戻ったアラタは、それこそ死ぬほど寝た。

 時間の感覚がなくなるような熟睡。

 目が覚めて時計を見ると、時刻は11時を回っていた。

 

 アルカディアのメンテナンスが始まったのは20時からだったようなので、14時間以上は寝た計算になる。

 寝すぎて逆に起きる気になれない。

 アラタは布団に横になったままコマンド。Beginner Visionのミックスリストが領域内に流れ出す。


 慣れ親しんだ個人領域。

 アラタはその安心感に浸かるように横になったままでいる。

 

 そこでようやく昨晩の事を思い出す。

 

 小高い丘の上にいた一人のプレイヤー。

 エバーファンタジーの師匠とほぼ変わらぬ姿のアバターをまとった、ヴァンという名前のプレイヤー。

 あれは本当に師匠だったのか。

 

 考えても仕方がないことなのに、どうしても考えてしまう。

 あれが本当に師匠なら、話がしたかった。


 気分を変えようと朝食を呼び出す。

 いくら昼とは言えさすがに起き抜けからカップラーメンを食べる気にはならず、ローテーブルには標準的な朝食が出現した。

 パンにウィンナー、サラダにスープ、一ヶ月のアルカディア生活を経て、コマンドするだけで朝食が現れる世界のありがたみが骨身に染みる。

 

 気分を変えようと朝食を出したのに、食べながらも考えるのは、やはりアルカディア最後の一幕だ。

 アラタを見ていたあのプレイヤーの表情は、まさしく師匠のものに見えた。

 それでも、あれが本物のヴァン・アッシュであった可能性は限りなく低いとアラタは踏んでいた。


 なぜならそこに行けと言ったのがネメシスだからだ。

 エデン人の複製体。

 アルカディアという領域の創造に関わった開発者の一人の複製体だ。

 

 アルカディアは、その領域に入った瞬間にアラタの記憶を読み取っている。

 それ自体に文句はない。それは事前の規約で了承しているものだ。

 だから、そこから師匠の姿も読み取ったことだろう。


 アラタはパンにバターを塗ってかじりつく。

 ただのパンがえらくうまい。

 アラタの領域に据え付けてあるチープな時計の陳腐な鐘が十二時を知らせていた。


 ネメシスがアラタを戻ってこさせるために最も誘引力のある人物の姿を見せた。

 これがあの一幕の正体だろう。

 それならば師匠の姿があの場にいても何もおかしくはない。


 むしろあれが本当に師匠であったら逆に納得がいかない。

 エバーファンタジーから姿を消し、その後十年以上消息不明だった師匠が偶然アルカディアをプレイしていて、しかもメンテナンスが終わる直前に出会うなんてどう考えても出来すぎている。


 最後にスープを飲み干して一息つく。

 そしてアラタは決断を下した。

 

 アルカディアには戻らない。

 

 それが答えだ。

 師匠の幻影は気にはなるが、それを気にして戻ったらそれこそエデン人の思う壺だろう。

 

 では何をするか、といえば特にやることもないのだが。

 アラタは手持ちの隔離領域ソロゲーを呼び出してラインナップを眺める。

 どれもこれもやり尽くしたゲームばかりで今更やる気にもならない。


 カタログを呼び出して新作のソロゲーを眺める。

 どれも似たりよったりの領域ばかりで、特別に食指が動くようなものはない。

 アラタはカタログを閉じて、布団の上に大の字で寝転んだ。


 畳の匂いがする。

 天井からいつの時代のものかもわからないような照明器具が吊り下がっている。


 退屈だ。

 

 経験屋(Eショップ)を呼び出してアラタのページを開いてみる。

 するとそこには目を引くものがあった。

 

 リプレイ数が圧倒的に伸びているのだ。

 一番目を引くのはやはりINFINITY WARのサターン6で1日生き延びた追想リプレイだ。

 アラタの記憶が正しければ60万かそこらのリプレイ数だったものが400万を越えるリプレイ数にまで伸びている。


 他の追想も軒並みリプレイ数が伸びていた。

 アラタは自分の栄誉を確認してみる。

 目も眩むような大金、というわけではないが、それなりの栄誉が入っていた。


 どういうことだと思ったが、カラクリはすぐにわかった。

 アルカディアのファーラムでの話題が宣伝になっているのだろう。

 リプレイ数の増加の割に評価が伸びていない。

 それどころかご丁寧にも誹謗中傷じみたレビューがついていたりもする。


 ツウシンカラテ7で十段をとった追想のスタッツを見てみる。

 最新の評価は☆3.2。普通に上がっている。ちょっとうれしい。


 なんならアルカディアのフォーラムでも見に行ってみるか、と思ったがやめにした。

 パララメイヤの話を聞いている限り、ろくでもないことばかり書かれているのだろう。

 見てもいい気分のものではないはずだ。

 それにアルカディアには金輪際関わらない方が良い。


 そうしてまたやることがなくなってしまう。

 なんとなく、世界の色彩が薄れているような気がした。

 

 こうしてみると、楽しかったには楽しかったのだろう。

 アルカディアにいた日々が。

 仲間もできたし、刺激もあった。

 そして、生きているという実感すらも感じた。


 アラタは首を振る。

 たとえそうだったとしても、もう手のひらで踊るのはやめだ。


 そこでアラタの個人領域に訪問のベルが鳴った。

 ピンポーンという間の抜けた音だ。

 

 一体誰だ。

 最後にアラタの領域に訪れたのは、アラタにアルカディアへのアクセス権を渡したあの女が最後だ。

 ログを確認してフューレン・トラオムという名前だったことを思い出す。


 そのフューレン・トラオムの上に、最新のアクセス希望者の名前が表示されていた。


 そこにはこうある。


 メイリィ・メイリィ・ウォープルーフ。


 すっかり忘れていた。

 メンテナンス期間中に会う約束をしていたのだ。

 なんならユキナとパララメイヤとも。


 アラタは念線を繋いだ。


ARATA-RES:本当に来たんですか?

MEILI-RES:三人で順番を決めてね、アタシが最初ってわけ。


 メイリィの声を聞いて、不思議と世界の色が戻ったような気がした。

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