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105.手のひらの上で


 どこで間違ったのか。

 果たして勝てる道筋は存在していたのか。


 アラタの頭が、目の前に広がる敗北を前にそんなことを考えていた。


 攻撃が通じないわけではないのだ。

 スキルでの攻撃なら通じたし、完璧な物理攻撃ならダメージだって通った。

 完全に不可能であったわけではない。


 電撃の予兆が耳障りな音を立てる。

 予兆でアラタの髪の毛が逆立つ。


 時間があれば、最初から最善策をうてれば勝てる可能性はあったはずだ。

 他にもできることはあるはずだった。事前の準備が限界まで整っていたわけでもないし、アイテムだって有効活用していなかった。


 そこで、アラタの脳裏に閃くものがあった。

 終わりを目前にしたアラタの脳が高速回転を始める。

 閃きの可能性に縋り全力でそれを実行する。


 インベントリを開き、アイテムを取り出す。

 時間、アイテム、そこから閃いた唯一残された可能性。


 アラタの左手に、時逆の杖が握られていた。

 指揮棒ほどの大きさをした小さな杖。


 虎が一際大きな咆哮を放った。

 もう迷ってる暇はなかった。


 杖の使い方が脳内に流れ込む。

 空間全体が黒い柱に押しつぶされる直前に、アラタは時逆の杖を叩き折った。



 ***



「アラタさん? どうかしましたか?」


 目の前に、パララメイヤがいた。

 あまりの突然さにわけもわからず、アラタは大きく飛び退いた。


「アラタさん!?」


 パララメイヤは心配そうにアラタを見ていた。

 何が起こっているのか。

 どこだここは。


 目に見える情報を鵜呑みにするならば、ここは森だ。

 そこからアラタの記憶が蘇る。

 パララメイヤ、森、これはアラタが神殿に入る前にパララメイヤに見送られた時ではないのか。


 パララメイヤが駆け寄ってくる。


「大丈夫ですか!? その、顔色が……」


 アラタは自らの左肩を確認する。そこには傷などない。

 右手首も無事。ステータスを見ても完全な健康状態だ。


 動悸だけが、激しかった。

 心臓が跳ね上がるようだ。

 心なしか頭も痛い気がする。


「大丈夫ですよ……たぶんね」


 アラタは頭を抑えながら言う。


 目の前で起こっている現実をそのまま受け入れるならば、時間が巻き戻ったことになる。

 そんなことが現実に起こり得るのか。

 遊戯領域内といえど独立した時間が流れているわけではない。

 シャンバラ全体と違った時間の流れを作るのは禁止されている事項だ。


 ただエデン人が創った領域となるとそれが絶対とは言い切れない。

 審査をかいくぐって特殊な時間の流れを作る何かを仕込んだ可能性もあるのかもしれない。

 できるとは思えないが、そうでなければ目の前で起きている現実に説明がつかない。 


 アラタは確認のためにインベントリを開いた。

 そこには時逆の杖だけがなかった。あとはアラタの記憶のままだ。

 時間遡行を否定する要素はなく、肯定する要素だけが目の前に広がっていた。 


「本当に大丈夫ですか? 突然顔面蒼白になって、いきなり逃げようとして……」

「負けたんですよ、僕は」

「負けた? 何にですか?」

「試練、なんでしょうね、あれは」

「どういうことですか? アラタさんはわたしと居ましたけど」


 そこでパララメイヤは耳をいじり、


「負けてここに戻されたということですか? そんなことが……」

「いえ、厳密には負けてはいないんでしょうね。時逆の杖を使ったんですよ」

「あの修理をした?」

「試練に失敗しかけて藁にもすがる思いで杖を使ってここに戻ってきた。僕にも信じられない話ですが、それ以外には考えられません」


 助かった。

 助かったのだ。

 現実を信じる気になり、実感がわき、アラタは大きな安堵の息をついた。

 安全な場所がこうまでありがたいと思ったことはない。


 パララメイヤはアラタの話を聞いて驚き半分、疑惑が半分といった様子であった。


「信じられませんか?」

「信じられませんがアラタさんが嘘をついてるとも思いません」


 アラタは笑う。


「僕も信じられてませんからね。とにかく助かってホッとしてますよ」

「その、どうして負けてしまったんですか?」

「攻撃力が一番の問題でした。おそらくですが、試練の相手には一定以下のダメージを全て無効にするパッシブがありました。その値が馬鹿げた高さでほとんど攻撃が通せなかったんですよ。その結果時間切れです」

「でもアラタさんの装備は――――」

「武器は最善じゃないですからね。ちょっと信じられない話ではありますが、1stフェーズで手に入りえる最強装備前提で調整された相手なのかもしれません。ソロでの一発勝負なのにそんなふざけた設定――――」


 アラタはそこまで言って言葉を切った。


 一発勝負、本当にそうか。

 アラタは幸運でセカンドチャンスを得た、本当にそうだろうか。

 時逆の杖は、アラタの瞳に反応したドワーフが修理したアイテムだ。

 修理前の素材にしても、星を追うもの(スターシーカー)の理念で起きたイベントが元で入手できたものだ。

 

 あの老人が笑っている姿が見えた気がした。

 全て偶然で間一髪試練の失敗から逃れることができた。その可能性だってあるにはある。


 しかし、全てが仕組まれていたと考えたほうがずっと有り得そうに思えた。

 一度目は実質的な負けイベントで、時逆の杖で時間を戻り、準備を整えて再戦をするようにあらかじめ決められていた。

 一度目の戦いは時間切れまで生き残り、時逆の杖の使用に気付けるかどうかがポイント。

 そうとは知らずに手のひらの上で踊らされていたのか。

 まったくふざけた話だ。


「どうかしましたか? アラタさん」

「いや、気付かなくていいことに気づいてしまったかもしれなくてね」

「?」

「とにかく戻りましょう。まだ準備できることがある、メイヤの言った通りでしたね」


 虎の攻略法はわかった。少なくとも最初のフェーズは、だが。

 まず武器、それとできることならばバフがかけられる薬品を。

 効果時間は短いが、攻撃力増加ができる薬品が存在したはずだ。

 アイテムのリキャストは共通なので回復薬とのトレードにはなるが、虎の攻撃に回避不能なものはなかった。迷わず使って問題はないはずだ。


 いつの間にか恐怖は消えていた。

 今あるのは怒りだ。

 アラタは見世物としてこけにされたわけだ。

 この代償を払わせないわけにはいかない。


 それともう一つあるものがあった。

 それは必死さだ。

 今のアラタは、なにがなんでも試練を越えてやるという気概があった。

 ぼんやりとなんとかなるだろうではなく、絶対に越えてやるという意思が。

 

 師匠の言っていた言葉の一端がようやくわかった気がする。

 死ぬ気でやる。命がけでやる。やってやろうではないか。


 まだメンテまで三日ある。

 その時間でできることは全てやる。

 あの虎も勝てないようには創られていないはずだ。

 

 ならば勝つ。

 今度は万全で挑む。

 全力で挑む。


 必死さ、師匠がアラタに求めていたもの。

 この試練を越えることができたら、十年ごしに師匠に認めてもらえるような気がした。

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