1.謎めいた来訪者
アラタが世界を救ったのは二百と十六回目になる。
騒がしい城下町。喜びに満ちた群衆。それに合わせて網膜映像にエンディングのスタッフロールが流れ始める。
そこでアラタ・トカシキはログアウトした。
眼前の光景が一瞬だけブレ、アラタは自分の個人領域に戻っていた。
真夏の夕方。狭苦しい六畳間。敷かれっぱなしの布団以外には足の踏み場もない。
木製のローテーブルの上には食べかけの食事、布団の周囲は雑誌だらけで、部屋の隅にはブラウン管のテレビジョンまであった。
古臭いどころか考古学に片足を突っ込んだこの領域こそがアラタの個人領域だった。
布団の上で胡座をかき、今の体験をアップするか考えた末にやめにした。
システムにコマンドする。ローテーブルの上にある食事が書き換えられ、出来立てのカップ麺が現れた。
アラタは三分ほど余分に待って、ちょっと伸びたカップ麺を箸ですすり、満足げな吐息を漏らす。
ぶっ続けでゲームをやった直後はやはりこれに限る。
アラタは自分の体験を売って栄誉を稼ぐいわゆる経験売りであり、今回もそのためにゲームをやったが、売り物になるような体験を作れた感触はなかった。
そもそもソロゲーの体験というだけで人気がないのだ。目の肥えた追想者がこの程度の体験で満足するとは思えなかった。
アップしたところで☆2評価がせいぜいといったところだろう。
カップ麺を食べ終わったところで、訪問のベルがなった。
古式ゆかしいピンポーン、という間の抜けた音が部屋に響いた。
アラタは固まる。
訪問のベルは木造の古びたドアの向こうに誰かがいることを意味するわけではない。
それは、アラタの個人領域へのアクセス許可を求めていることを意味する。
この領域に訪問者なんて何年ぶりだろうか。
経験売りとしてのアドレスは公開していない。訪問者はどこからこのアドレスを知ったのだろう。
システムにコマンド、網膜映像に訪問者のプロフィールが現れる。
フューレン・トラオム。容姿は銀色の長髪が目立つ女性で、大した美人だった。
社会信用度は4.7。
アラタはそれ以上の公開プロフィールを読むのをやめ、来客を受け入れることにした。
人付き合いがめんどくさい以上に、興味と好奇心が勝った。
システムにコマンド。部屋の汚れが一瞬で消え去り、部屋にはアラタと、敷きっぱなしの布団と、木製のローテーブルと、ブラウン管のテレビだけが残された。
アラタが来訪の許可を出すと、部屋には突然銀髪の美女が現れた。
美女はアラタを一瞥し、
「初めまして、アラタ・トカシキ。私はフューレン・トラオム。アクセスを許可してくれたことに感謝するわ」
「ようこそ、フューレン、僕の領域に誰かが来たのはたぶん数年ぶりですよ」
フューレンはアラタの部屋を見回して、
「それにしても、随分な場所に住んでるのね……」
「その随分な場所に十四年間引きこもってるのが僕です」
フューレンは冗談と受け取ったのか曖昧な笑みを返した。
「それで? わざわざこんな場所に来て僕にどんな御用ですか?」
「あるお願いがありまして」
「お願い?」
妙な言い回しだった。
てっきり仕事の依頼だと思ったのだ。
特定のゲームをプレイしてその経験を売ってくれ、という依頼者も極稀に存在するのだ。
それにしたって、こうして面と向かって交渉してくる者などいなかったのだが。
「あなたにあるゲームをプレイして欲しいのです」
「そうしてその経験を売ってほしい、と?」
「いえ、違います。単にプレイして欲しいのです。あなたの腕を見込んで」
腕を見込んで、という言い方は気に入った。
褒められて嬉しくない人間などいない。
「それはツウシンカラテ7~怒りの鉄拳~で十段を叩き出した僕の腕を見込んでという話ですか?」
「いえ、デイサバイバーであるあなたの腕を見込んでという話です」
アラタが配信した経験で最も評価を得たのは、INFINITY WARという遊戯領域での経験だ。
サターン6という平均生存時間がゆで卵タイマーで計れてしまうような危険戦域で丸一日以上生き残った記録がアラタにはあるのだ。
アラタとしてはツウシンカラテ7で十段になる方がよっぽどの偉業だと思うのだが、これは全く評価されなかった。
最新の評価では☆2.1。とても悲しい。
「それで? 何のゲームをプレイして欲しいんですか?」
「アルカディアという遊戯領域に行って欲しいのです。ご存知ですか?」
アルカディア。
知らないはずがなかった。
開かれるまで秒読みの、エデンが作り出した新しい遊戯領域。
中世ファンタジーを基本とした世界観のオーソドックスな領域だが、エデン製というのがミソだ。
エデンから寄越された前回の遊技領域であるフェイタルクラフトは現在でも神ゲーの名を欲しいままにし、今でもアクセス権がふざけた栄誉で取引されている。
そのせいもあってアルカディアの十万もある一次参加枠は一瞬で埋まり、その倍率は百倍を超えたという話だった。
それだけのものになると、人と関わる領域を避けてきたアラタでも惹かれるものがあった。
「まさかアルカディアのアクセス権を譲ってくれるとでも?」
「そのまさかです」
フューレンが笑った。
「初めて表情らしい表情を見せましたね」
「いきなり人の領域に来て一億クレジットあげます、なんて言われたらそんな顔もしますよ。それで? どんな裏があるんです?」
「裏があったらやらないんですか?」
アラタの心情を見透かしたような挑戦的な笑み。
「やりますよ、当然。職業ゲーマーの端くれですから。ただね、どんな愉快な裏があるかは知っておきたいんですよ」
「本当に、ただ自由に楽しんでくれればいいんですよ。エデンの作った新しい領域を」
「それは、アルカディアでただ暮らすだけでも?」
「もちろん。どんなプレイの仕方でも貴方の自由です。ただ一つだけお願いがあります」
出たよ。
遊戯領域をメインに日々を暮らす者なら喉から手が出るほど欲しい餌を目の前に吊るして、この女は一体何を要求してくるつもりなのか。
「それ次第では受けませんよ、僕は。マルチプレイヤーという時点で何が何でもやりたいってわけじゃない」
「なに、簡単な条件ですよ」
「僕の人生の中で、美味すぎる条件の対価が簡単だった試しはないですね」
「ではこれが初体験になりますね」
「本当にそうならいいんですけどね、何です?」
「女神の質問に、星の秘密を探しに来た、とだけ答えてください」
条件が意味不明だった。
「それはどういう?」
「言葉の通りですよ。アルカディアでそう質問される機会があるはずです。その時にそう答えていただくだけで結構です。どうですか? やりますか?」
網膜上にアルカディアのアクセス権が送られている旨が表示される。
いかにも怪しい話ではあるが、ゲーム中の質問に特定の答えをすることにそれほどのリスクがあるとは思えなかった。
そして、その見返りは選ばれし者しかできないエデン製の新作だ。
迷う理由はなかった。
アラタは瞬きでアクセス権を受諾した。
「ありがとうございます。アルカディアのサービス開始は3日後です。女神の質問には星の秘密を探しに、それだけは忘れないでください」
「もし約束を破った場合はどうなるんですか? アクセス権はもう僕のものだ」
「アラタ・トカシキはそういう人間ではない。そう聞いています」
フューレン・トラオムの姿がかき消える。
古めかしいを通り越した古の日本式の六条間。
そこには敷きっぱなしの布団に胡座をかいたアラタだけが残されていた。