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冬の童話祭2024

きつねの道

作者: 六福亭(テレンス・ブレーク)

「あ、きつね」

 誰かがそう声を上げたけれど、僕には見つけられなかった。一緒に山道を歩いていた同級生たちが、興奮して騒ぎながら、木々の向こうを覗きに行った。

 

 僕は動かなかった。背負ったリュックサックが重いせいもあるけれど、きつねがいるから何なんだとも思っていた。


 キャンプ場へ向かう道程の半ばだった。目に映る全てのものにはしゃぐ他の参加者と違って、僕は初めから冷めていた。虫も、野宿も、火起こしも嫌いだ。わざわざお金を払って、夏休みをつぶしてキャンプに参加する意味が分からない。おまけに、リーダーの大人が、キャンプ場への道を間違えてしまったようだった。


 予定では、昼前には到着するはずだったのに、腕時計を見るともう2時に近い。仕方がないので、道端に腰を下ろして、皆で弁当を食べた。ピーナッツバターは山で食べるのには向いてない。


 それからまたうんざりするくらい歩いた。誰もが疲れて無口になっているところに、きつねを見つけた奴がいたのだ。


 リーダーが制止するよりも先に、子供達はわっと走って行った。残されたのは、僕と、もう1人の女の子だけだった。


その女の子は僕に近寄ってきて囁いた。

「行かないの?」

「行かない」

「つまんないから?」

「ああ、つまんないね」

 きれいな緑色の瞳の彼女は、小首を傾げた。彼女と話すのは初めてだ。僕も、その子も、決して積極的に人と関わりに行くタイプではないみたいだから。

「きつねは嫌い?」

「好きでも嫌いでもない」

 すると彼女はにっこりした。

「あたしは、まあまあ好き」

「ふーん」

 それから、沈黙が落ちた。遠くでリーダー達が走り回り、散ってしまった子供達を呼び戻していた。

 彼女がそれっきり何も言わないので、仕方なく僕が話しかけた。

「好きなのに、皆と一緒に探しに行かないの?」

 少女は首を振った。

「追いかけなくてもいいの。ここにくれば、きつねにはきっと会えるから」

 意味がよく分からなくて、「え?」と僕が言った時、彼女はさっさと歩き出した。ちょうど、リーダーが笛を吹いたのだ。


 結局キャンプ場に着いたのは、3時過ぎだった。これからテントを組み立てて、バーベキューの準備をしなきゃならない。僕も、さっきははしゃいでいた同級生達も、うんざりしていた。そのせいで、食後のキャンプファイヤーもそれほど盛り上がらなかった。

 

 夜、山の中にいるのは怖い。懐中電灯やたき火で照らせるのはわずかだ。すぐそこに本物の闇がある。身動きすると、闇がついてくる気がする。


 あの女の子に視線をやった。彼女は、昼間よりも楽しそうにしていた。つまらない同士だと勝手に思っていたので、少しがっかりした。

 リーダーが、火の前で怪談話を始めた。ありふれた筋立てだ。誰も怖がっていなかった。

 

 だけどその時、リーダーの背後の闇で、何かが動いた。


「あ……」

 思わずもらした声は、火の粉と一緒にどこかへ飛んで行った。

 

 誰かいる? いや、気のせいだろうか? 僕はそっと立ち上がった。用を足すふりをして、リーダーの後ろに広がる深い森の中に入って行った。

 後になって親に叱られそうなことだけど、しばらく真っ暗な森の中で闇雲に探し回った。虫の声はそこかしこから聞こえる。だけど、その場には僕しかいなかった。キャンプファイヤーも、同級生も、大人達からも遠ざかっていた。


 そして__僕は確かに、きつねを見た!


 最初は、2つの緑に光る目だった。突然のことに固まった僕の前に、その目の主はゆっくりと近づいてきた。狼か、クーガーじゃないかとすっかり怖くなってきた時、しなやかなそのきつねの全身が露わになった。

 

 僕が近づいても、きつねは逃げない。じっと待っている気がする。美しい背中の毛の1本1本が見える。銀色の毛は、そよ風に吹かれてわずかに揺れている。思わず手を伸ばしてなでようとしたら、きつねは身をひるがえしてはずむような足取りで走って行った。僕はそれを追いかける。そのまま見送る理由がなかった。


 きつねを追いかけているうちに、開けたところに出た。その瞬間、僕が今まで本物の真っ暗闇だと思っていたのは、夜のほんの少しの部分に過ぎないのだと分かった。遮るもののない夜空いっぱいに星が輝いて、原っぱを優しく照らしていた。


きつねはすぐに見つかった。原っぱの真ん中に座っていた。僕が1歩ずつ歩いて行くと、きつねはまた立ち上がる。丸い瞳が瞬きをした。

「待ってよ」

 僕は呼びかけた。きつねは答えずに、ふわりと飛んだ。まるで蛙みたいに。そしてそのまま、どんどん空へ空へ、上へ上へ昇って行く。僕はそれを残念に思う。だって、そのきつねは本当に、すごく楽しそうに空を走るんだ。


 何でもないことのように軽々と浮かんで、おいかけっこのように陽気に跳ね回って、天文学者のように星ばかりを見つめるきつね。やがて僕は気がついた。きつねの足下に、きらきら光る道ができている。星くずを集めた道が1本、空のてっぺんまで伸びている。


 それは、わっと叫びたくなるくらいに嬉しい発見だった。きつねは僕の方にもう一度向いて、一声鳴いた。もう僕はたまらなくなって、星の道を駆け上がった。翼が生えたみたいな気分だった__いや、翼なんていらない。どこまでも続いているこの道を、自分の足で

踏みしめて、もっとずっと遠くまで走ってみたい。僕はきつねを追いかけた。時にはきつねを追い越してしまい、今度は僕が逃げる側になった。いつまでもいつまでもその追いかけっこは終わらなかった。



 __はっと気がついた時、僕はテントの中にいた。すぐ側に同級生達が雑魚寝していた。慌てて外に飛び出した。きつねはもうどこにもいないし、星の道はなくなっていた。

 見上げると、空のはるか遠くに天の川がある。手を伸ばしても、ジャンプしてもとても届きそうにない。

 さっきまでは、あんなに空が近かったのに。



 朝、水辺で顔を洗っていると、あの女の子がやってきた。

「楽しかった?」

 何が、と僕は聞き返そうとした。だけどその時、彼女の緑の目とぶつかった。その目は笑っていた。

「楽しかったよ」

 きっと、彼女はキャンプ全体のことを聞いているのだろう。だけど、僕が思い出したのは、夜のほんの短い時間のことだった。

「__変な夢を見たよ」

 彼女はくすりと笑って、「ゆめ?」と聞いた。

「きつねが出てくる夢だった。だけど、すごく楽しかった」

「夢じゃない」

 彼女はそう言った。僕はぽかんとした。

「何だって?」

「夢じゃないわ」

 彼女は声もなくほほえんでいた。「私も、きつねに会ったの。3年前、ここで。__それからは毎年、キャンプに参加することにしてるの」

「ふうん……」

 つまらなさそうに僕は相づちを打った。だけど、にやにや笑いが顔中に広がるのはどうしても止められなかった。彼女は僕の腕をちょっとだけ握って、先に皆のところへ戻って行った。キャンプ場から帰る前に、皆でサッカーをすることになっていた。

 僕も後を追う。昨日とは違って、何故か体を動かしたくてたまらなかった。だけどその前に、森の中を振り返った。今は陽光が葉の間から差して、暖かな影を作っていた。

「また会えるよね?」

 森のどこかにいるはずのきつねに、僕は別れの挨拶をした。


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― 新着の感想 ―
[良い点] わぁ、私もきつねの後を追って、星くずの道を駆け上がってみたいです。 美しく、幻想的な文章で惹きこまれました。 読ませていただき、ありがとうございました!
[一言] 文章が純文学風で美しいなぁって思いました。 きつねさん、触れ合ってみたいです。
2024/01/08 08:11 退会済み
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