襲撃!
「魔王様!!」
ブラブラと魔王城の中を歩く彼女を呼び止める声。
呼ばれたというのに振り向くこともせず、ただ立ち止まる。
気だるそうに息を吐き出す。長いまつげを瞬かせ、憂いの色を帯びた目で床を眺める。
カツカツと小気味よい音を立て、足音が迫る。気配が背後まで近づいたとき、ようやく振り向いた。
「どうした……アークン」
見ると背の高い女が立っていた。燃えるような赤髪。それと同じく烈火の如く強い意志を持った真紅の瞳が彼女を刺し貫く。
常人であれば萎縮してしまいそうな視線をその身にたっぷりと受けながらも彼女は動じない。
逆に紫水晶のような目で見つめ返してやる。
するとその視線に赤髪の女のほうがたじろいだ。
「困ります。勝手に出歩かれては」
なんだ、そんなことか。彼女は鼻で笑った。
「もっと面白いことかと思ったぞ。例えば、勇者がついに反旗を翻した――とかな」
「ご冗談を」
「そうだな」
ため息を一つ。幼い少女の外見でありながら、その息は老いた王が見せるような悲しみに彩られていた。
「最近、またつまらなくなったな」
「そうですか」
赤髪の女との会話の途中だというのに彼女は呆と物思いに耽る。
異世界からの勇者を召喚した。現れたのは非力な魔法も使えない少年だった。
だが自分を殴るといった。久々に興が乗った。
時折自分に向けられる視線は敵意とそして嫌悪感があった。
敵意を向けられたことは数あれど、嫌悪感は初めてだった。先代の勇者たちでさえ、自分の美貌に心を奪われたのだから。
だから面白かった。
だから興味を持った。
しかし、視線を向けられるだけで勇者は行動に移さない。
力がないのだから当たり前だ。
考えればわかることだ。
勇者が召喚されて2ヶ月が経つ。
彼女が勇者と会う回数も減っていった。
次第にあれだけ鮮明に思えた勇者が色あせていく。
まただ。また白黒の、義務だけが支配する世界に戻っていく。
つまらない。
「……様、魔王様!」
思考を引き戻したのは必死にこちらを呼ぶ声だった。
彼女の瞳に自分が居ることをようやく確認すると赤髪の女は、はあ、とため息をついた。
「勝手に物思いに耽られるのも結構ですが、少なくとも会話の途中ではやめていただけないでしょうか」
「おお……済まなかったな」
「魔王様、御身は大変重要なのです。それに――」
そこで言葉を切り、すっと彼女の耳元に口を寄せると囁いた。
「信じてはいませんが、あの予言がある以上、しばらくの間は迂闊に出歩かれては困ります」
彼女は横目で女を見る。
「全く面倒だ。場所がわかれば良いのか」
「え?ええ、まあ」
それだけ聞くと彼女は体を回転させ、スタスタと歩いていった。
会話は終わりだと言わんばかりだった。
「魔王様!」
「あの部屋だ」
それだけを告げた。
女は彼女がこれ以上会話をする気がないことを悟った。自分の心配が当の本人をすり抜けていることに落胆しながらも、姿勢をただし、その背を追いかけた。
魔王と呼ばれた彼女が来たのは、今代の勇者にも見せた、過去の敗北者の遺品が置いてある部屋だ。
魔王城のいっとういい部屋だというのにものの置き方は乱雑で、誰かに見せようという気がないようだった。
「魔王様はこの部屋がお好きなのですか?」
「そうだな」
つまらなさそうに姿見を見ながら彼女はつぶやいた。
「ここには我を殺そうとしたバカどもの無念が詰まっている。それを眺めながら酒を飲むのが最高の楽しみなのだ――」
女は自分の仕える主がウソをついていることなどわかっていた。
なぜなら女は彼女をずっと隣で見てきたからだ。
だが何も言わない。気休めにもならないことがわかっていたから。
「予言は」
この日初めて彼女が話題をふる。
「本当に起こるのだろうか」
その声色は呟きというには深い思いが感じられた。
女はその思いの正体を知っていた。
「起きません。起こさせません」
彼女の思いを断ち切るように、自分の役目を再確認するように女は言い放つ。
「ふっ……頼もしい限りだ」
そう笑う。嘲笑ではない。諦念しているような寂しい笑みだった。
私ではその笑みを変えることができない――。
だってその笑みを間接的にも作り出し、これからもそれを続けるのは他ではない自分だから。
だが、もし彼女の本当の笑顔を見ることが出来たなら……よそう。叶わない願いほど虚しいものはない。
そこで思考を止め、仕事に戻る。
そして、それは突然起こった。
床がかすかに光っている。
なんだ?
そう思った瞬間に輝きを増す光。明らかに何かが起こっている。女は守るべき主のもとへ駆け寄ろうとする。
閃光。
目がくらむほどの紅い閃光が放たれた。
だが女は構わず突き進む。視界を奪われながらも駆ける。攻撃?一体どこから、誰が……。
突然のことでも女は冷静だった。
駆ける足により力を込める。女の身体能力ならあとコンマ1秒もしないうちに主のもとにたどり着けるだろう。
だが。
「ッ――」
体を襲う衝撃。
まるで壁に思いっきりぶつかったときのようだ。
だが、女の記憶ではここに壁はないはず。
そして、痛みだけではない。体から力が抜けていく感覚。
女にはこの感覚に覚えがある。目を開ける。
目の前には紅く光る半透明の膜があった。
「無駄ですよ」
戸惑う女にかけられるのは、聞き慣れぬ男の声。
「……あ」
膜の奥。目に入った光景に思わず声が漏れた。
すぐ目の前。絶対不可侵の力が、すべてを破壊する魔が、自分にとって守るべき主が、目の前の姿見から現れた剣によって刺されていた。
女の見ている前で、剣は主の腹部を更に貫きながら鏡から現れる。神々しくも忌々しく、清廉でおぞましいその刀身を女は知っていた。
「聖剣ッ!」
状況を理解した女は即座に渾身の力を込めて膜を叩く。叩く。叩く。皮が剥げ、肉が、骨が見えても連打をやめない。
割れろ、割れろ、割れろ、割れろ!
手を伸ばせ!させるな!
だが、薄皮一枚の結界はピクリともしない。
「魔王様!」
叫ぶが華奢な体は聖剣に体を貫かれながらピクリともしない。
そうしているうちに姿見から聖剣の鍔が現れ、ついで腕が現れた。
灰色の鎧をまとった腕だ。その鎧は聖剣とは対象的に、なんの神通力も感じない。
しかし、金属ではない謎の物質で出来ていた。
「急所を外した……いえ、外されましたか」
ずずず――
聖剣で魔王の体を侵しながら、金髪の青年が現れる。
少しあどけなさを残すその顔は、一方で冷たい眼光を持っていた。
魔王の目の前に立つ。背は高くもなく低くもない。
しかし、目を引くのは彼の容姿ではない。
その身に纏う鎧だ。
光沢がありながら、その輝きは石材でも金属でもない。
もとの色を失ったかのような灰色。
しかしよく見れば全身に修復のあとがある。鎧を構成する何かわからない謎の素材ではなく、既存の素材を使って修復を試みたようだった。
なめらかな曲線、磨き上げられた表面。優れた技術で修復されたのは素人である女の目にもわかった。だが、鎧そのもののなんとも言い難い雰囲気と比べてしまうと、子供が糊と紙を使ってどうにか直したような感想が浮かんでくる。
そして非対称の腕。
左腕は相変わらず謎の素材で作られていたが、右腕はすべて金属製だった。まるで右腕が見つからず、一から作ったようだった。
二の腕から太めに作られており、更に手首から甲にかけて装置のようなものが取り付けられていた。
青年が左手に持った聖剣を横にひねる。
内蔵がえぐられ、傷口から更に大量の血が溢れ出す。
真っ白い床は魔王の血で真っ赤に染まっていた。
「――ずいぶんなご挨拶ではないか、人間」
突如ピクリともしなかった魔王が口を歪めて笑う。口からは血が垂れ、腹部を貫かれているというのに声の調子は単調そのものだった。
女は彼女が生きていると分かりほっとする。
対照的に青年は苦虫を潰したような顔をした。
「魔族と人間の挨拶とはこういうもので――しょ!?」
魔王の内側からあふれる魔力を感知して青年が魔王を蹴り飛ばす。
反動で彼女の体内から手元に戻った聖剣を身を守るように構える。その直後、彼を灼熱の紫炎が襲う。
聖剣が発動する自動結界に弾かれ、炎は殺す対象を見失うが、代わりにその場にあったものを喰らい尽くす。
紅い結界の中が一瞬で紫炎で埋め尽くされた。
「これも侵食するッ?」
聖剣の自動結界の端が紫炎に侵されていく。青年はそれに驚愕の表情を浮かべた。
「ですが……『タリスマン』!!」
青年が叫ぶ。すると右腕に取り付けられていた装置が緑色に輝く。
その光はひし形の光の盾を形成し、紫炎の炎を防ぐ。炎に触れたところから粒子が漏れ出すが、それを上回るスピードで光の盾が再生していく。
その様子に魔王は舌打ちをした。
炎が収まると、あれだけあった勇者の品は、あの姿見を残してすべてが灰と化した。
しかし、青年は無傷で立っていた。構えていた剣を正眼に構え直す。
「単なる炎ではなく、存在を焼き尽くす炎ですか。結界の中で傷を負っているというのにとんでもないですね」
穏やかな笑みを浮かべながら青年はじっとりと背中が汗ばんでいくのを感じた。
「だけど、もう打てないはずです」
「――そのようだな。一体何人分だ?」
そう尋ねる魔王の傷口は淡い燐光を放っていた。その光に阻害されてか、通常は塞がるはずの傷が塞がらずに血を垂れ流す
もともと色白い肌が、より一層白くなっていた。
「11人」
その言葉に魔王は青くなった唇を軽く上げる。
「女ひとり殺すのに、難儀だな」
そこで初めて青年の顔が醜く歪む。
「どの口が……どの口がそれを言う!!」
青年が駆ける。聖剣を構え、突撃するつもりだ。
疾い。
だが、外から見ていた女にはそれがひどくゆっくりに感じた。
それは幸いか。そうではない。女はこれから守ると誓った主君が殺される様をゆっくりと絶望を感じ、隔絶された蚊帳の外から眺めなければならないのだ。
「待て!やめろぉぉぉぉ!!」
血だらけになった拳を叩きつけながら女が叫ぶ。叫ぶしかない。無力だ。
涙が溢れる。守るために強くあれ、強者は泣かないと決めていたというのに止まらない。
せめてあの場に、結界の中にいれば、もう少し先に異変に気づいていれば。
泣き崩れながら叫ぶ、無駄だとは知りながらも。そうでもしないと、それだけでもしないと――。
「アークンよ」
泣き叫ぶ彼女に魔王の声が届く。
「なあ、予言は外れたぞ」
その声は世間話をするようで、本当に興味がないのにとりあえず話題を振ったようで。
とても退屈そうな声だった。
「ほれ、見ろ。此奴の鎧は灰色だ」
次の瞬間、女にとっては聞き慣れた、鋼が肉体を貫く小さな音が耳に届いた。
◇
「ああ……」
言ってから気がつく。慌てて口を塞ぐ。
まずい、まずい、まずい。
「いや、これは……」
「ユウセイ様」
慌てて誤魔化そうとする俺の両手をエトナがいきなり握る。
そして真っ直ぐ俺を見つめる。
「お友達なら、言ってください」
真っ直ぐな言葉、本気の言葉。そんな気がする。
とても煙にまくことが出来なさそうであった。
どうする。
俺に逃げ出す意思があると悟られていいのか?待て、そもそも俺が逃げたいと思っているのは当然のことで、こいつらが予想できない、なんてことはないのでは?
どうする。
俺の迷いを感じたのか、エトナが握る手に力を込める。俺が本心を発するまではなさないといった風だ。
しばらく逡巡するがため息をつく。
ふぅ。
いいだろう。もう少しだけ友達ごっこを続けてやる。
「そう、だな。帰りたくない、と言ったらウソになる」
やっぱり、といった顔をする。
「でも無理なんだ」
「無理……?」
「ちょっと笑っちゃっうくらい無理難題でさ」
吸血鬼を殺す条件を満たしつつ、自分の手で魔王を殺さなければいけない。っていう無理ゲーなんだ。言えないけど。
俺はさりげなく腕を引き抜き、距離を離す。
エトナは両手を祈るように胸の前で組む。形の良い胸がふにゃりと歪む。
一瞬せつなそうな顔をしたが、すぐに決意を秘めた表情へと変わる。
「私が……私が力になります!」
男ならぐっとくるセリフ。
だが、蛇なんだ。
俺は奥歯をぐっと噛む。ついでに拳も握りしめる。
力になる、か。エトナの能力を使って逃げ出す計画を前倒しするか――。
いや、それには早すぎる。まずどこに逃げるかも決まっていない。地理の状況は教わっているが、情報の真偽はわからず、逃げた先で匿ってくれる確証もない。
そして力がない。
あまりにも下地が整っていない。
なら、まずは何をすべきか。
ここは彼女の能力と現状どこまでやってくれるのかを試すのがいいのかもしれない。
一つ思いついたことがある。
だが、この発言を以って俺は捕らえられるかもしれない。
思わずつばを飲み込みながら、それでも口を開く。
「なら――」
◇
おいおいどうなってんのよ。息を殺して潜んでいたら急に周りが紅く光りだした。
「これは結界!?」
隣のエトナが悲鳴をあげるように言う。
へぇこれ結界なんですね。見た感じ、俺たち閉じ込められそうな気がしますが。
色も紅いし、危険なのでは?
エトナの声と表情を見る限り、俺の予想は当たっているようだった。
どうしてこうなる!!
俺が居るのは魔王城のてっぺんに位置する部屋、一度見せてもらった勇者の遺品がある部屋だ――の屋根の上。
傾斜は緩やかであることと、ガラスとガラスの間の枠に指を引っ掛けているので、なんとか落ちずにすんでいる。
風が強いとか、落ちたら死ぬなとかは考えてはいけない。
ここからは中の様子がよく見える。俺がなぜここに居るかというと、それは当然エトナにしたお願いのためだ。
魔王城を脱出するために必要なのは
1つはエトナの能力
次に地理情報の整理
最後に俺自身が逃げられるだけの力を付けること。
これらについて現状を把握し、将来のプランニングのための情報を集めるにはここに来るのが最適だと判断した。
まず結論から言うとエトナの能力はわりととんでもない。
移動に物理的な制約はないようだ。たとえ進行方向に壁があったとしても、それを乗り越えて移動できる。
加えて移動する方向にも制限はない。横、縦、自由自在だ。発動までにかかる時間も一瞬。
そして一番重要なのは対象に触れながらであれば、それも同時に移動できること。
まあそこは、じゃなければ服とかどうなんの?となるので当たり前だが、少なくとも俺は運べることがわかった。
また、連続使用は試さなかったが、ぱっと見、そんなに疲労があるようには見えない。
なんと脱走向きな魔法なんだ。絶対に手に入れたい。あながち俺に「運」があるという話も間違いでは――いやそもそも魔王の城にレベル1で呼び出されている時点で極大のマイナスだ。
そしてこの状況。
くそっ!何が起こっているんだ?
俺の計画ではここから更に勇者の遺品で使えそうなものを回収するつもりだったが、魔王たちはいるし、奴らがいなくなるまで隠れていたら結界は張られるし、やっぱりとことんついていない。仕方がないがここは引くべきだ。
「エトナ!ここから移動できるか?」
俺の言葉に動揺から戻ったエトナが魔法発動のため目をつぶる。だが次の瞬間目を開くと途端に真っ青になる。
「阻害、されてます」
瞬間移動が封じられた。魔王にバレて逃げられないようにされたのだろうか。
エトナが喋ったのか?しかし、この表情。彼女自身にとってもイレギュラーのようだ。
それになにより結界を張ったのが魔王かアークンなら、アークンの必死の表情はなんだ?
なら、誰が――。
そう考えているとアークンが魔王のもとへ駆ける。それと同時に紅い光が強まる。
「お姉ちゃん!!」
エトナが叫んだ。
その一言の意味を尋ねる前に、一瞬で塔の一部が紅い膜に囲まれていた。
その紅い膜はアークンと魔王を分かつように塔を分断している。魔王に駆け寄るアークンは突如現れた膜によって弾かれた。
そして、一番の問題は……。
「閉じ込め、られました」
「みたいだな」
エトナの言葉に力なく同意するしかない。
これからどうするか、頭を抱えようとした俺の目にありえない光景が飛び込んできた。
「は?」
魔王の華奢な体から白銀が突き出している。陽の光にあてられ、血の赤がぬらぬらと光っている様は一種の芸術のようにも見えた。
魔王の目の前にある鏡から腕が飛び出し、その手に持った剣で腹を貫いている。
その状況を言葉では理解していても、心が追いついていかない。
「魔王さま……んぐッ!!」
悲鳴をあげようとしたエトナの口をとっさに塞いだのは、我ながらよく出来たなと思う。
「しっ!落ち着け。静かにするならこの手を放す」
顔を近づけ小声でつぶやくと、エトナはコクコクと頷いた。
俺はゆっくりと手を放すと「ごめん」と一応謝っておく。
「襲撃か?」
「お、おそらくは」
視線をエトナから魔王に移す。
「姿見から現れたのか……魔王城のくせに警備がザルだな」
「この結界といい、相当な準備をしていたんだと思います」
「結界?」
「普通の結界じゃありません。さっきから体の魔力の流れが不自然なんです」
エトナの声は苦しそうだった。俺には魔力がないのかその感覚はない。
「でもおかしいんです。あれは聖剣?そんなはずは……」
聖剣だ、と?
姿見から現れた剣をまじまじと見つめる。
あれがそうなのか。
確かに神々しい見た目をしている。
だが、エトナと同じように俺もその存在に違和感を覚えていた。
「俺が、俺だけが勇者じゃないのか?」
それだとすると魔王が俺を生かしている理由がなくなり、一方で人間側が俺を積極的に殺そうとする理由はなくなるかもしれない。
視界の端でエトナが首を横に振った。
「今まで勇者が複数人いたという記録はありません」
「なら、今日が歴史に刻まれる日ってことか?……エトナはどうする。魔王を助けるか」
彼女ははっとした顔をして俺を見たのがわかった。悔しそうに顔を歪め、申し訳なさそうに顔を伏せた。
「私には、力がありませんから」
我ながらひどい質問だったと思う。
しかし、この状況で彼女が魔王を助けないのは、もしかして本当にエトナは魔王の間者ではないということかもしれない。
そんなことを考えられる俺、うん落ち着いている。
「すまん」
「ユウセイ様が謝ることではありませんよ――あっ、あれは!?」
エトナの声と同時に姿見から鎧が現れた。
ツギハギだらけの灰色の鎧。美しい聖剣とは違い、とりあえず使いたい機能を盛り込んだ兵器のような感じ。
その上に乗っかる金髪の頭。顔は男の俺でも二度見するほど整っている。
なんか主人公ぽいなぁ。勇者っぽいなぁ。
そいつが剣をまるで鍵を開けるかのようにひねった。
あれでは魔王の内臓はぐちゃぐちゃになっているだろう。
イケメンのくせしてエグいことをする。
エトナは青年の行為に悲鳴をあげそうになるが、俺との約束を忠実に守り、必死に堪えていた。
そうしている間にも事態は動いていく。
魔王が屋根の上にも熱が伝わってくるほどの熱量の魔法を出したかと思うと、青年が聖剣と光の盾で防ぐ。
部屋にあった調度品があの一瞬ですべて塵になった。
おおよそ俺には遠い世界だった。
「魔王様はどうして再生されないのでしょう?」
確かにエトナの言う通り、魔王は再生していない。キツネからの情報だと体をバラバラにされても復活すると聞いているが……。
まあ俺には関係のない話だ。俺がなにか出来るとは思えない。
下では魔王の何らかの言葉に激高したのか、勇者(仮)が悪鬼の表情で剣を構えて突貫していた。
魔王はふらふらとしており、避ける様子もない。
これは決まったか?
俺には関係のない話だけど。
「本当にそうですか~?」
突然聞こえてきた苛つきを感じる声。
横を見ると畜生がいた。
「忘れてませんかぁ?魔王を殺さないと元の世界に帰れないんですよ?」
「おまッ!!」
エトナに聞かれたらどうするんだ!?
焦ってエトナの様子を見て愕然とした。
魔王が殺される様などとても見ていられなかったのだろう、目を覆い隠したまま全く動かない。
気がつけば、エトナだけではない。勇者も魔王も、泣き叫んでいたアークンも。雲も太陽も塵も。有機物無機物問わず、すべてが静止していた。
信じられない。だが、現実だ。
「これは……」
「むふふふ。これでも私は神の写身ですからねぇ。時を止めるのは訳ないんですよ。まあ今回だけですがね」
「なんで、そんなことを」
「救済措置ですよ。せっかく送り出した勇者が絶望で命を絶ってしまったらもったいないじゃないですか。で、どうするんです?このままだと魔王、殺されちゃいますよ?」
そういうことかよ、本当にクソッタレだな。
「私にできるのは時を止めることだけ。助けようとしてあなたが殺されることになるかもしれないし、ならないかもしれない。さあどうします?」
目を閉じる。思い浮かべるのは無味乾燥だと思っていた元いた世界。
通いなれた通学路、狭い家、そして両親。
目を開ける。
そして俺は――。
◇
「なっ!?」
青年の口から漏れるのは驚き、戸惑い、焦り、それらがないまぜになった声だった。
青年が突き出した剣は、本来の目標である魔王の手前で止まっていた。
それは突然現れた少年のせいだった。
ポタリ――。
血が垂れる。彼の手に遅れて刺した感覚が伝わってくる。
だが、聖なる力が発動しない。そのことに彼は気づく。それが意味するところは。
「一体いつ、そんな馬鹿な……人間が?そんな、そんな……」
片手で顔を覆い、彼はおののく。よろけそうになるのを左足で堪えた。それでも左手の聖剣は放さない。
シェイクされたような頭の中を必死に整理する。
そして、ある結論にすぐに至った彼はこれまで以上に凶悪に顔を歪めて魔王を睨む。
「人間を盾にしたのか、どこまでッ……」
しかし、その怒りも続かなかった。
何故なら、おそらくこの場に居る誰よりもこの状況に驚いているのが他ならぬ魔王であったからである。
あの死を前にしても浮かべていた超越者然とした笑みは影を潜め、今このときだけは魔王の仮面を投げ捨てていた。
見た目と同じく幼い少女のように、ぺたんと尻をつき、ただ口を開けて固まっていた。
思考の糸口を探すかのように目を何度も瞬かせるが、それでも答えが出ないので何もすることができない。
普段の彼女を知っているものからすればあり得ない光景。
いや、そんな状態にさせるこの状況こそが、最もあり得ない。
「ゆ、うしゃ?」
ようやく、かろうじて出たのがその言葉だった。
しかし、目の前に立つ体から声が発せられることはない。
だが、そんなことは関係ない。脳が考えるままの言葉が口からこぼれていく。
どうして?
「ユウセイ様!!」
その言葉をかき消すように上から声が聞こえた。エトナだ。
気がついたら自分の大切な友人が聖剣に刺されていた。
戦闘力のない自分の位置が知られることがまずいことなど分かりきっていたが、思わず声を出していた。
魔王が殺されそうになったときすら声をあげなかったというのに、彼が刺されたとわかった瞬間叫んでいた。
魔王の様に呆気にとられていた青年が反応する。
「魔族!?結界の中に入っていたか――まだ生きている?高位の魔族か!」
青年の眼光にエトナはひっと身をすくませるが、ユウセイの存在を思い出し、逃げることだけは思いとどまった。
「エトナ、どうして!?」
エトナの存在に気がついたのは当然青年だけではない。
アークンは、涙で腫れた目でおぼろげだが間違えようのない肉親の姿を捉えた。
そんな……エトナがこの場に居るはずがない。
彼女は引っ込み思案で、意味もなく魔王城のてっぺんになど――。
「お姉ちゃん、ユウセイ様を助けて!」
「できることならしてる!!」
わからないこと、出来ないことが多すぎてアークンが叫ぶ。もはや悲鳴に近かった。
「魔王の右腕の妹……」
混乱している状況の中、青年はいち早く冷静さを取り戻していた。それは彼が優れた戦士であるからでもあるが、それよりも自分より取り乱している者が居たことが大きかった。
幾分クリアになった思考がこの結界の中の脅威判定を下していく。
魔王を殺すなら今だ。だが、上の魔族が邪魔だ。
遠距離魔法で牽制し、その隙に止めをさすのが最適だろう。
聖剣は魔王の前に立つ者の心臓を正確に貫いていた。これでは即死だ。
この人が強制されて盾にさせられたのか、あるいは考えたくないが自分の意思で魔王を守ったのかは分からないが、人を殺したという事実が青年の心をささくれだたせる。
早く終わらせよう。僕で終わらせるんだ。
そうして青年は聖剣を引き抜き――。
「……おい」
「!?」
信じられないことが起こった。
聖剣はがっしりと掴まれていた。もう動かないと思っていた手によって。
「これ聖剣だってなぁ。いいもんもってんじゃん。なぁ……寄越せよぉ」
青年の目の前の少年が微かだが確かに息をしている。
死に片足を突っ込んでいるというのに爛々と燃える瞳で青年をにらみつける。
「は、放してください……このっ放せ!」
青年が力を込める。聖剣が掴まれていると言っても、掴まれているのは刃だ。柄をもっているのとは訳が違う。
手が切れるのは必然。だが、そんな痛みなど感じていないかのように、むしろ肉に食い込ませるように剣を握る。もはや手の半ばまで刃が深々と刺さっているのに少年は手を離さない。
生命は失っていく一方だというのに、眼光は益々増していく。
青年はこの目の前に立つ彼が、ほとんど魔力を持っていないことが分かった。
息も絶え絶え。脅威にすらならない。
なのに、なんでこんなにも――。
その感情は魔王を討伐する者として持ってはいけないもの。
青年は歯を食いしばる。
ここで立ち止まっていられない。結界の効力にも限りがある。
魔王が放心している今のうちに決着をつけるのだ。
「放さないと言うならぁぁぁ!」
だん!と姿勢を落とし足を踏み込むと剣を突き出す。今度は明確に殺意を持って、少年に剣を突き刺す。
予想外の動きだったのか、引いた時には全く動かなかった剣が、おぞましい感覚を伴ってぬるりと進んでいく。彼の手をより切り裂き、心臓を蹂躙し、終いには背中から切っ先が突き出した。
「ゴフッ……」
血の塊を少年が吐き出す。
びちゃと床に零れ落ちるそれは液体とは程遠く、極めて粘度の高いものだった。
「あああぁぁあああぁ!」
せめて、せめて今すぐにその苦しみから解放する!
もう一歩踏み出す。より体重の乗ったその突きは、少年の体を食らい侵していく。剣が体内に入るごとにその分の体積の血液が少年の口からあふれる。がくがくと震える体と相まって、ポンプのようなその様はひどく滑稽だった。それに急かされるように青年はより力を込めていき、遂には鍔がその胸に当たった。同時に少年の手がだらりと垂れ下がる。
虫の息の吐息さえ感じられる距離。
青年が少年の死に顔を見ようと顔を上げる。
そして息を呑んだ。
常識でも非常識でも、死んでおかしくないはずなのに、彼の目はまだ自分を見ていた。
その瞬間青年の中で何かがはじけ飛んだ。
「うわああああああっ!!」
聖剣を手の中で回転させ心臓を完全に破壊する。それだけでは飽き足らず、聖剣を素早く抜くと今度は右胸に突き刺した。
血と脂と肉片で切れ味の鈍った切っ先が肋骨にぶち当たって止まる。それを青年は柄頭をこぶしで殴りつけることで強引に進ませる。
殴る、進む、止まる、殴る……。
息を切らし、我に返るころには彼の周りにはおびただしいほどの血だまりができていた。
だというのにその身には返り血一つついていなかった。
「ぼ、くは……」
めまいがする。
その赤が目に入ると頭の奥のどす黒いものが溢れ出す。
「うッ……」
己が行ったことだと言うのに吐き気がする。体が理解することを拒んでいる。
「ユウセイ様!いやッ、そんなのって――!!」
遠くで悲鳴が聞こえる。でももうどうでもいい。
ドクン。
この少年の死も、今の僕の苦しみも。
ドクン。
全ては未来のために。人間のために。
ドクン。
僕は、僕の使命を果たす。それさえ出来れば、後は――。
ドクン――。
「……待てよォ」
だが、青年の決意はそのたった一言で揺らぐ。
「なんで、なんでそこまで」
くしゃりと顔を歪めて青年が言う。
その思いは少年の背に守られているかのように座り込む魔王の中にもあった。
そしてその戸惑いは相対する青年以上のものがあった。
どうして、なぜ。
我は魔王。勇者の敵だ。
それなのに。
我がこの2ヶ月、勇者に何かしただろうか。
いや、無い。興味がなくなってただ放っておいた。それだけだ。
それなのに。
結界の仕掛けによって魔力の流れがかき乱される。体に全体が水を吸った服のように寒く重い。
そのせいか動悸がしてくる。
だが、顔を下げることはしなかった。魔王としてのプライドもあるが、何故か目の前の背中から目が離せなかったからだ。
「俺、は……」
少年のその口は開いているか閉じているかわからなかったが、確かに声を発していた。
弱しい声、それは風前の灯火のようなというよりも、むしろ命の最後の輝きを懸命に燃やし尽くしているようだった。
「俺、が」
少年の視線がふと背後に注がれた、そのように青年は感じた。
それはその視線の先であろう魔王にも感じられた。
幾多の視線をその身に受けた魔王だったが、何故かそのたった一人の死にかけの少年の視線に体を強張らせてしまった。
二人は息を飲んで次の言葉を待つ。
少年の口が動いた。
「魔王を……殺すんだ」
「なッ」
あまりにもきっぱりとした矛盾の言葉に青年が絶句する。
守っているのに殺す?
殺すのにそんなになるまで守っているのか?
思わず彼は目の前にいる少年のことを忘れて魔王を見る。
そしてまた絶句した。
魔王の、彼女のその表情が、あまりにも信じられなかったからだ。
顕れていたのは欠片ほどの感情だったが、それは、まるで――。
青年の思考はそこで断ち切られた。少年が動いたからだ。
「だから、俺は、こいつが欲しいんだ」
よろよろと少年が柄に向かって手をのばす。
青年は動けなかった。
ゆっくりとのばされた手が、血に濡れた手が。
青年の手に、その鎧に触れた。
それは光の奔流だった。
少年と青年を中心として大きな光球が現れた。
白銀の光が部屋全体を包む。
「こんどは何だ!!」
誰もかれもが状況に飲み込まれる中、アークンの悲痛な叫びだけが轟く。
光球はある程度まで広がると力を失ったようにしぼみ始めた。
眩い光が収まったとき、その場には変わらず鎧とそれに相対するものが居た。
だが、一つだけ変わったことがあるとすれば。
「何故……君は一体」
ギシっと音を立てて鎧が動く。青年の目の前で。
呆気に取られていたのは少年も同様だった。
しかし、すぐにその身に纏う存在に気がつくと、真っ赤に染まり、さながらある種の毒花のような口で笑う。
少年の纏う鎧――。それは、正しくは先程まで青年の体を覆っていたもの。
それが今や青年に右腕だけを残し、全てが少年の身にあった。
「なんだ、コレ?」
少年が感触を確かめるように右手をグーパーと握っては開く。
その手は鎧に覆われたもう片方と異なり、有機的な何かで覆われていた。
「こいつは……いい。何だか体も楽になった」
ペッと唾を吐く。もちろん透明とは程遠く、赤であった。
しかしその語気は瀕死のそれでは無かった。
「そんじゃ、改めて」
少年が手をのばす。青年は息を飲む。
「そいつを貰おうか」