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きっと全てがうまくいく!  作者: はいろく
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勉強!

「これは、馬です」

「これで、馬?」


 着替えた俺の目の前には3つの文字(だと思う)。

 馬…一文字か二文字だと思うんですが…。ホースというわけだろうか。


 幸先が悪すぎる。


「そしてこれが勇者です」


 その文字の横には血を流して倒れるイラストがある。

 舌をだらんと伸ばし、目がぐるんとひん剥かれている。これ子供向けの絵本という話だが、流石魔族レベルが違う。


「なら、ここの一文はやっつけました、とかか」

「そうです!凄いです!」

「まあ、このシーンでほかの文はないでしょ」


 ぺらりとページをめくると、人の骨で作られたと思しき椅子に座る魔王の絵があった。

 前のページで勇者が死んでいるから、十中八九勇者の骨だ。あまりにも悪趣味な絵本だ。


「もっとハートフルな奴はないのか…」

「ハートフル……ですか」


 俺の言葉を理解できないのかエトナがおうむ返しに聞き返してきた。


 彼女にとって、今見せている絵本は「桃太郎」レベルの本なのだろう。

 桃太郎も鬼側の目線から見れば凄腕のテイマーが仲間を惨殺する話だ。


 なかなかの難題なのか「むむむ」と眉をひそめて吟味していた。


「これはどうですかね…ワンちゃんが出るんですが」

「首が3つあったりする?」

「あれ?ご存じだったんですか」


 流石魔法がある世界、ケルベロスもいるのか。


「ここまで意図的に情報が絞られてるのか」


 絵本とは言え、地理情報や国の名前ぐらいわかると思っていた。

 だが、用意された本にはそんな情報はない。昔々あるところにで始まる話ばかり。魔王側が正義で、人間が悪。その情報しか拾えない。


 ため息と一緒に本を置く。


 さりげなく周囲を見回す。見張りがいるのだろうが、全然わからない。


「なあ…エトナ。文字もいいけど、俺にこの世界のこと教えてくれないか?」

「え、いいですけど」


 あっさりとOKが出る。

 ?

 見張りが止めに入るかと思ったが、そんな様子はない。


 フリーズする俺を不思議そうに彼女が見つめていた。


 なぜ止めに来ない。……いや、わざと止めないのか。

 その可能性に思い当たり背筋がゾクリとした。


 俺は不幸だ。想像する限り最悪のパターンを予測すべきだ。


 考えてみれば当たり前だ。そもそもエトナは魔王側。

 エトナは魔王と通じており、何らかの意図をもってここにいる。そして彼女が渡す情報はすべて魔王も把握していると考えたほうが良いだろう。


 彼女があっさりと渡す情報――間違いなく偽情報だ。


 しかし俺は笑顔を顔に張り付ける。

 

「マジか!助かるよ!」


 俺の笑顔につられたのかエトナも微笑んだ。

 それが演技だとしたらすげぇもんだ。


 だが、俺は騙されない。

 それどころか騙されたフリをしつつ、エトナをこちら側につかせる。それぐらいできなきゃ一生このままだ。


 ちくしょう!やってやる!


 ◇


「なぜ、見張りをつけないのですか?」


 アークンが執務中の魔王に問いかけた。魔王が資料の山から視線を上げ、かけていた眼鏡をはずし微笑む。


 同性だというのにアークンはドキリとした。


「なぜだと思う?」

「魔王様が勇者に興味を抱いているのはわかります。ですが、あまり野放しにするのは…」

「フフフ……確かに彼奴が何をするかは楽しみではあるが、そうではない」

「では……まさか予言ですか?」


 魔王は頬杖をついてアークンを見つめるだけだった。


 アークンはギリッと奥歯をかみしめる。


「あんな馬鹿な話!!」

「言葉が過ぎるぞ。婆の予言は絶対だ。あやふやではあるがな……」

「失礼いたしました。ですが、予言を信じていらっしゃるのなら、なおのこと勇者は監視しなければいけないのではないのでしょうか」

「その予言が厄介なのだ……予言は誰が、までは指定していない。つまりどういうことか分かるか?」

「……身内からということでしょうか」


 あり得ない。アークンの口の端から言葉が漏れた。

 魔王はアークンを良く知っていた。だから彼女にとってその可能性がはなっから頭の中になかったことを少し残念に、しかし少し好ましいものと思っていた。

 それゆえアークンの失言を咎めることはしなかった。


 凛々しい、と言われる端正な顔立ちを歪めてアークンは何とか落ち着こうとしていた。


「見張りをつければ、まず勇者のあらゆる情報が見張りに集まる。我に情報が来るのはその後だ」

「そんな不敬な輩などこの城には……」

「我もそう信じている。だが魔王というのは強いからこそなれるのだ。単純にして絶対のルール。それゆえ、その牙城が崩せることがわかれば邪な考えを持つものがいないとは言えまいよ」


 魔王はそこで話は終わりだ、というように眼鏡をかけなおした。


「ふむ……もう勇者召喚の情報が伝わっているか。しかし一部の人間だけのようだな。さてどう出るか。だがトリガーを握っているのはこちらだがな」


 魔王は公共事業の提案書に偽装された文書を読みながら呟いた。

 魔王がかけている眼鏡は視力を矯正するものではない。特殊な魔術的な処置が施されており、この眼鏡をかけると一見何の変哲もない文書の中にある暗号を読み解くことができる。

 この魔王は力だけでなく、情報の大切さも理解していた。


「だから注意すべきは人側ではなく、こちらだと?」

「心配性だと思うか?」

「……い、いえ」

「まあ流石に何もしないというのもおかしいのでな、勇者に接触するものはチェックしてある。まだ心配か?」


 アークンは首を振った。しかしその表情は固いものだった。

 魔王はただ単にアークンの中で納得がいっていないだけだと思っていた。


 だが、アークンの胸の内はやや異なる。


(勇者の部屋までの通路には見張りが立っている。でも……まさかね……)


 ふっと湧いた想像を自分の鼻で笑って意識の外に飛ばす。


 そうだ、あの子が勇者なんかと接触するはずがない。

 大丈夫、私はあの子を理解している。


 ◇


 エトナは物心ついた時から一人だった。


 親は優秀な姉にべったりで、彼女には親から可愛がってもらった記憶がない。姉は彼女に優しかったが、親の愛を受ける姉から話しかけられるのは複雑な心境だった。

 姉のことは嫌いではなかった。しかし心の底から好きかと言われれば、言葉に詰まる。そんな自分が彼女は嫌いだった。


 友達もいなかった。同い年の子供から彼女に浴びさせられるのは嘲笑であり、微笑んでくれる者はいなかった。

 その保護者も口に出すことこそしなかったが、自分の子供と彼女を比べ、そして彼女の優秀な姉とを比べ、憐みの視線と優越感を覚えていた。


「やーい!角無しエトナ!」

「角無しエトナは能無しエトナ!」


 彼女は一人だった。


 それはきっと魔法が全く使えないからだと思っていた。だから自分に移動魔法の才能があると気付いたときは心の底から嬉しかった。


 これで私も……。


 今思えば子供じみた考えだった。


「移動魔法ですか?」


 最初にそのことを打ち明けた姉の表情は彼女が想像していたものと違った。

 振っていた剣を止め、こちらを見る。凄いといった賞賛の声とは違う視線。


「そのほかの魔法はどうですか?」


 想像と違う声のトーンに戸惑いながら彼女は弱弱しく首を振った。

 直後、耳に聞こえたため息。


「いいですか?エトナ。魔族に求められるのは力です」


 そう言って姉は手のひらを近くの岩にかざした。その手が紫電を纏ったかと思うと、太鼓を叩いたときの何倍もの轟音がなり響き、人の身の丈ほどある岩が粉々になった。


「私たちはドワーフなどとは違うのです。」


 姉の表情は妹を慈しむようなものだったが、言外に自分が否定されているのを感じた。


「ただ、使えなかった魔法が使えるようになったのですから、精進すればきっと……」


 姉の言葉を最後まで聞くことはなかった。

 心に蓋をした。

 彼女は彼女自身が一番嫌いだった。


 ◇


「エトナはよく知ってんなぁ。頭やっぱいいの?」


 私の目の前には浅黒くのぺっとした顔をした少年が椅子に座ってこちらを見ていた。

 彼が浮かべる表情は彼女に向けられたどの笑顔とも違う性質だった。


「とんでもない。私なんて……まともに学校にも通っていないんですよ」

「え、マジで?」


 目をまんまるにして驚く彼に思わず笑ってしまう。


「そうなんです。魔法の才能が全くなかったので、両親としても外に出すのが嫌だったんでしょう」


 彼が少し寂しそうな目をした。それから何かを口にしようとするが、結局は口をつぐんだ。私に気を遣ってくれているのがわかる。

 私は彼に気を遣わせたのが申し訳なくなり、笑みで場を濁す。


「そっか……」


 それだけ口にして彼はまた黙った。彼との間に流れる空気はとても居心地がいいとは言えなかったが、何故かこの空気を壊そうとは思えなかった。


「ならさ、俺に色々教えてくれる代わりに、つまんないかもしれないけど俺が通っていた学校での話、聞かせようか?」

「よろしいのですか?」

「うん。人間与えられてばかりじゃ駄目だって言うし」

「そんな……ユウセイ様には今も色々なものをもらっています」


 そうだ。たとえ種族が違うとも、勇者という敵であったとしても、彼は私の初めての友達。

 そして、私をあの魔王様より良いといってくださった……。

 あの言葉を思い出すとなんだか胸の奥が心地よくなる。だというのに頭の中はぐちゃぐちゃになって、彼の顔をまともに見れない。

 これが友情というやつなのでしょうか?

 そんな初めての感情も与えてくれた。それなのにこれ以上何かをなんて、信じられなかった。


「そうは言っても、俺がなんだか気持ち悪いんだ」


 頬をかいて彼が言う。はにかんだ彼を見ると顔に熱が集まっていくのがわかった。



 俺が生き残り、もとの世界に帰るにはこいつが重要だ。

 何故か赤面している彼女を内心冷ややかな感情で見つめる。彼女が魔王側であったとしても構わない。こちら側につけるためにあらゆる手を講じる。

 いいだろう。利益がある限り俺はお前の「良い友達」を演じ続けてやる。


 まずは相手がこちらに価値を見出すことが重要だ。

 ただの友達では弱い。異世界の学校のエピソードを語る友達。これによって他とは比較できない付加価値を手に入れる。

 そうして俺が彼女の中で無視できない大きな存在になったとき――。

 


「ユウセイ様?」


 急に私を見つめ黙り込んだ彼に私は声をかける。そうでもしないとその視線でどうにかなってしまいそうだった。


「ああ、悪い。少し考え事を、そう、何からまず話そうかなと思って」

「早速お話してくださるのですか?」

「エトナの時間が許すのなら」


 名前を呼ばれるだけで心が跳ねる。肉親に呼ばれたときとは明らかに違う。

 

 (なんなのでしょう……。お友達というのは皆こうなのでしょうか。まるで呼ばれてしっぽを振るお犬さんみたいです)


「だ、大丈夫です」

「そう。なら……そうだな。まずは俺の学校の一年間の流れをざっと――」


 それは夢のような時間だった。

 身振り手振りを交えながら話してくれるそれは、私の知らない世界であり、とても眩しいものだった。


「でだ、運動会でフォークダンスを踊るんだが、ダンスの相手は男子から申し込むんだ。お目当ての女子がいる奴らはダンスの申込みが解禁される一ヶ月前からソワソワしてんだ」

「ユウセイ様は、どなたか意中のお相手はいらっしゃったのでしょうか」

「んにゃ。俺は男子のタケダと踊った」


 なぜそんな質問をしたのかわからなかった。けれど彼の答えを聞いて心底ホッとしている自分がいた。


「そうなのですね」

「悲しい青春だ。クラスにエトナのような子がいれば俺も申し込んでいたかもしれないな」

「そうですか」

「ああ」

「……え!」


 驚いて彼を見るが、何事もないかのようにキョトンとしていた。

 同世代の男の人というものがこういうものなのか私にはわからなかった。

 しかし、それが普通だというのなら、通学していたら私の心は一日も持たなかっただろう。無遠慮に極大魔法をぶち当てられるようなものだ。


「エトナぐらいルックスがいいのは俺のいた世界にはあんまりいなかったからなぁ」


 容姿を褒められた、そう気づくのに時間がかかったのは美というものが自分にあるとは露とも思っていなかったからだ。

 眉目秀麗で優秀な姉、完成された美である絶対の魔王。


 そんな女性たちを目にしてきた私にとって、私は醜い存在だった。

 角はない。強い力もない。人と魔物どっちつかずの体。

 それを彼は良いと、遠回しに美しいと言ってくれた。


 気がついたら私は立っていた。


 ぽかんとする顔が私を見上げている。


「か、帰ります!!」


 これ以上感情が溢れないように、でも彼に伝わるように言葉を吐き出す。


「お、おう。じゃあ続きはまた今度だな」


 バイバイと戸惑った彼が小さく手をふる。

 それを合図に私はペコリとお辞儀をして部屋を出ていく。ドアをしめると「はあっ」と息をつきもたれかかる。


 悪い癖だ。耐えられないことがあると物理的か精神的に逃げ出してしまう。

 魔王様より良い……不敬だがそう言われたとき嬉しかった。ただ、それは近寄りがたい魔王様より、地味で弱い自分のほうが親しみやすいという理由だと思っていた。

 実際そうなのかもしれないし、それはそれで嬉しい。

 しかし、今日は、私の容姿を……。


 もう一度その意味が脳に染み込んだとき、頬が緩むのが抑えられなかった。


(私、今どんな顔してるんでしょうか)


 ◇


「またか」


 エトナはまた急に出ていってしまった。

 あのときは魔王を貶めるような発言をしたからだと思った。だから今回は魔王を貶めない形でエトナのご機嫌を取ろうとしたのだ。

 ところが結果はこれだ。


 恋愛経験ゼロだとこうも駄目なのか?


 アニメとかのモテ男(鈍感系)はこんな感じで女性キャラの心を鷲掴みにしていたんだが。

 乙女心と秋の空とはよく言ったもんだ。現実の女性(人間ではない)はこうも扱いにくいのか。


「畜生……俺にナンパ師の才能があればな」

「いや、ありまくりだと思いますけど」


 うなだれる俺に聞こえる声。

 誰かはわかっていたので顔は上げなかった。


「どこがだよ」

「え……ウソ。マジですか。ドアの向こうの彼女、ニヤケてますよ。ほら、よぉく耳を澄ますとかすかに笑い声も聞こえますよ」


 確かに耳に神経を集中させると「ふふふ」という可愛らしい笑い声が聞こえてくる。

 笑ってる?

 少し考えて俺はハッとした。


「ったく……キツネだから男女の機微というのがわかんないんだな」

「どういうことですか?」

「あれは俺を篭絡したと思って出た笑みだよ」

「はあ?」


 やれやれ。俺でさえ気がついたというのにコイツは。

 キツネをドヤ顔で見ると心底理解不能という顔をしていた。


「お前、騙されやすいだろ」

「かもしれませんが、与えられた情報は適切に処理できます」

「シャラップ!」


 これ以上、キツネの意見を聞く気はなかった。


「俺は生き残るために高度な知能戦を繰り広げているんだ。動物の足りない脳みそでは理解できん」

「どうしてそこまで自信満々にしてるんでしょうか……」

「俺が彼女だったらフォークダンスに誘うなと言ったときに、きっと奴はこう思ったんだ「あ、コイツ私に惚れてる」ってな」

「聞いてないし」

「だが残念だったな。魔王とお前がつながっているというのはバレバレなんだ。大方、惚れた弱みに付け込んで俺を縛り付けておくつもりだったんだろうがそうはいかない。相手の戦略がわかっているということは、逆転の手を打ちやすいということだ」


 キツネは前足を顎の下に持ってくると、わかりやすくため息をついた。


「で、どうするんですか」

「無論決まっている。篭絡されているふりを続けながら、逆にあいつを味方につける」

「……そんなに疑り深いようでは、あの人が「仲間になります」と言っても信じないんじゃないんですか?どうやって味方になったと判断するんですか」

「ははっ!馬鹿だな。そんなもの見ればわかるよ」


 キツネは本当に、本当に深くため息をついた。


「世界に干渉する力に加えて、世界を歪曲させる力があるとは驚きました」


 よせよ。褒めるな。


「もういいです。それで、味方につけてどうするんですか」

「ああ、それなんだが、あいつの瞬間移動能力でこう、ぱっとな」

「100メートルの距離を連続して?」

「まあ、そうなるな」

「魔力の消費とか考えてないんですか……」


 そうか。やっぱりMPみたいな概念はあるのか。


「彼女がどういう理論で空間を移動しているのかは今の私ではわかりませんが、とてつもない量の魔力を消費するでしょう。1回移動するだけでも凄いです。とんでもない逸材ですよ、彼女」

「ん?あいつは自分は角がないから落ちこぼれと言っていたぞ」

「魔族の角は確かに自身の潜在能力を表します。ですが、生まれたときはどの魔族も小さい角なんです。成長にしたがって角は伸びていくんですよ」

「つまり?」

「もしかしたら彼女、成長途中かもしれません」

「は?あんな図体して?」


 女性にそんな言葉を使ってはいけませんよ。と何故か畜生にたしなめられた。


「あいつ、実はその事実を知ってるのか?」

「うーん。どうでしょうねぇ。そもそも今の私の記憶にも、あの歳で角が未成長というデータはないですし……」

「やっぱり、魔王の腹心の部下だったり……。角のない姿で油断させってか?」


 異世界から来た人間相手に、あの姿のスパイもどうかと思うが。

 とりあえず警戒することに越したことはないな。

 あんま考えてもわからん。あいつは化け物。それだけは確かなのだ。


「そういえば、お前、消えている間どこいってんの」

「え?……そうですね、なんというか、こことは別の次元で眠っています。一応おぼろげながらこっちの会話も聞こえますよ」

「だから俺とあいつの会話を聞いていたのか。そうだ!お前見えないんだからさ、この城探ってくれね?」


 我ながら妙案だった。魔王城の地図が描ければ脱出計画が立てられる。ついでに抜け穴なんかがあればいいが。

 

「あ、無理です」


 また無理か。とことん使えねぇなあ!!


「私はあなたを起点としてこの世界に現れるので、実体化すればその限りではありませんが、あなたから離れられないんです」

「はあ!?じゃあお前はずっと俺のそばにいるってのか?」

「そんな恋人みたいな言い方しなくても……」

「うるせぇ!!」


 もじもじと体をよじらせるキツネから目をそらし、俺はためいきをついた。


「結局情報を得るにはあいつと会話するしかないのか……」

「今の感じだと余裕だと思いますけどね」

「恋愛IQ3は黙っとれ」

「そういうあなただって恋愛経験あるんですか?」


 俺、なんか眠くなってきた。


 ◇


「魔王領はこんな感じで……クスティス山脈を境界線として人間領と分けられています」


 俺とエトナはテーブルを挟んで向かい合っていた。俺は椅子。エトナはベッドに腰掛けている。

 

 エトナがさらっと略地図を描く。

 使っているのは鉛筆だ。意外だった。ファンタジーなら羽ペンじゃないんか。


「ここがタペジャラ王国です」


 指が指し示すのは山脈を越えたあたり。


「王政を敷いていて、長い歴史のある国です。ただ隣の帝国が勢力を伸ばしているので、人間界においての相対的な位置は下がっているそうです。この前も帝国と小競り合いを起こしたとか」

「この世界でも国同士の争いがあるのか……難儀なもんだ」


 ここに囚われの勇者がいるってのに人間同士で争っている場合じゃないよ。


「その帝国ってのは?」

「昔は小国でしたが、国を挙げて魔導技術の開発に集中した結果、どんどんと国力を伸ばし、周りの国を吸収して人間界で最大の国になりました」

「魔導、技術?」

「え、ああ……ユウセイ様は魔法がない世界からいらっしゃったのでしたね。魔導は魔法に代わる新たな魔力行使の形態の一つです」


 エトナは書きかけの地図を裏返し、そこに絵を描き込む。

 デフォルメされているが彼女自身とわかる。そこそこ上手いのに腹が立つ。


「うまいもんだな」


 特に蛇の部分とかな!


「か、からかわないでください……えっと、それで魔法というのは魔力があっても駄目っていうのは知っていますか?」

「やっぱそうなのか」

「魔法は魔力のコントロールができないと駄目なんです。魔力を高め、イメージを具現化させる。本当はもっと色々な手順がありますが、簡単に言うと魔法の発動のプロセスはそんな感じです」


 彼女は、絵の彼女になにやら書き加えた。箇条書きで2つに分かれている。文字は相変わらず読めないが、連日の講義のお陰で先頭の記号が数字だとわかった。

 おそらく「1、魔力を高める。2、イメージを具現化させる」と書いてあるのだろう。


「魔法が使えない人、というのはこのうちのどれかが出来ていないんです。私は魔力のコントロールが出来ないので1が出来ないです」


 そう言って1にペケをつける。

 

「でも移動魔法が使えるんじゃ」


 ふるふると彼女は首を振る。


「私にもわからないんですが、移動魔法はなぜか使えるんです。裏を返せば、それ以外が使えないんです。最初にお会いしたとき覚えていますか」

「ああ、忘れるわけないよ」


 絶対にな。


「……」

「どうした」

「あ、っひゃい。あのそれで、部屋の明かりをつけてくれとお願いされましたよね?」

「頼んだな、ランタン持ってこられたけど」

「壁に埋め込まれた魔石と照明、あれも魔導技術を使っている魔導具の一つです」

「あれがそうなのか」

「魔導具は簡単に言えば、誰でも同一の魔法を簡単に行使できるような道具のことです」

「誰でも」


 彼女は少し困った顔をして笑った。


 私みたいなのがイレギュラーなんです。

 そう彼女は補足した。


「魔族は魔法を操る術に長けていますから、私たちにとって魔導具はあくまで日常生活で役に立つものという認識です」


 家電、みたいなものか。


「ただ帝国は魔導具を軍事転用することに成功したんです。ユウセイ様、人間の中で多少でも魔法が扱えるものが生まれる確率をご存じですか?」


 急に質問を振られた俺は適当に40と答える。


「10パーセントにも満たないんです」


 なら90パーセントは俺と同じように魔法が使えないのか(まだ俺には可能性が残っているが)。なんだかほっとした。

 エトナが手首をうまく使い、円グラフをコンパスなしで綺麗に描いた。


 器用だなぁ。


 それから10と90という数字を記した。この世界でも10進法であり、アラビア数字と同じような法則性があってよかった。ローマ数字とかだったら面倒だった。


「人間は繁殖力が強くて数が多いんです。ですが今の今まで魔族が人間に敗北しなかったのは――」

「魔法の使い手が少なかったから、か」

「はい。魔法が使える者と使えないものでは超えられないほどの力の差がありますから」


 絵に描かれたエトナの横に、人間のシルエットを複数描く。人数は10人。点で描かれた目と一文字の口が特徴的だ。

 魔族の10倍ほど人間がいるということか。その数をもってしても埋まらない差か。とんでもないな魔族。

 ただ、アークンや魔王の魔法を見ている身としては10倍の人数差で収まるようなものではない力の隔絶を感じる。

 

 しっかしポンポコポンポコよく産むぜ、リア充どもがよ。俺は人外に囲まれて戦々恐々としているってのに。

 まったく。

 

「……おさかんだな」


 エトナが真っ赤になった。

 おいおい。さっきまで「繁殖力」とかマウスに使うような言葉を使っていたくせに、何を想像しているんだ、このむっつり蛇がよ。

 てかこいつどうやってそういう行為をするんだ?


「何を想像しているんだ」


 思わず声に出してしまっていた。

 すると彼女は、もう血管が切れて肌の下でとんでもない出血を起こしているんじゃないかというぐらい真っ赤になっていた。まだ赤くなるんかい。

 面白れぇ女。


 しかし、からかっていると重要な情報を得る機会が失われてしまう。

 もっともすべてが正しい情報という訳ではないだろうが、とりあえず情報は情報だ。


 こほんと咳をして先を促す。エトナも俺の気遣いがわかったのか、流れから逃れる良い命綱を見つけたかのようにさっそく食いついた。


「それで!ですね……魔法が使えない90パーセントの人間の中でも実は魔力のコントロールができる人、というのは結構います。だいたい7割と言われています」


 全体でみると63パーセント。何!?魔法使えるやつを合わせれば人間の7割以上が魔力のコントロールができるだと?

 お、落ち着け、まだ27パーセントが魔力のコントロールができないじゃないか。

 まだセーフ。俺は落ちこぼれじゃない。セーフだ、セーフ。


「もっとも魔力コントロールができない人は子供や負傷等の理由でうまく使えなくなった人達などですね」


 うぐぁ!こいつ望みを完膚なきまでに絶ちおった。やっぱこいつ嫌いだわ……。


 しょぼんとする俺を怪訝そうに見つめながら彼女は話をつづけた。


「帝国が開発した魔導具は、魔力はコントロールできるが魔法を使えない、という人々にも戦う術を与えたんです」

「なるほどな。そうするとパワーバランスがひっくり返るな」


 国民皆兵というのが可能ということだ。人数が圧倒的に多い人間がそれをやれば戦況はたやすく動くに違いない。

 エトナが絵の人間に一見するとマスケット銃のようなものを描き込む。おまけとばかりに眉も描いた。斜めに描かれたそれは人間が怒っているようも見える。

 意外に待っていればあっさり魔族が負けて助け出されるか?なら危険な賭けをしないですむんだが――。

 

「そうですね。ただ今のところは魔族に牙をむくことはなさそうです」

「え、なんで?」


 儚い夢であった。

 

「魔導具作成に必要な鉱物は魔王領でしか産出されないものもあるんです。争うことになれば困るのはあちらもですから」

「ん?もしかして普通に帝国と貿易したりしてるのか」

「魔王領で採れないものもあれば人間界でしか採れないものもありますので」


 んんん?

 魔王領と人間界の交易ルートが確立しているらしい。そこにうまく荷物として紛れ込めれば脱出することも叶うかもしれない。

 さっきは落胆したが、これはいい情報だ。

 

「現在は持ちつ持たれつという関係で、帝国側も王国にちょっかいを出すことに夢中みたいですし、戦火を交える事態には当分ならなさそうです」

「ちなみに、魔族に明確に敵対しているのはどこの国だ」

「王国と公国ですね」


 公国はここらへんです。と紙をひっくり返しエトナが指し示す。

 魔王領には直接接していない。王国から見て南東に位置していた。


 魔族と対立している王国と公国に助けを求めるのがいいのだろうか。うーん。


 それから色々なことを聞いた。その都度、エトナは絵を描いて教えてくれる。

 最初はなぜか分からなかったが、一通り教わったあと紙の束を渡された。それが今まで描いていた絵だということは明白だった。


「下手な絵ですけど、復習用に良ければ」


 照れくさそうに、こちらの反応を伺うように彼女は言った。


 気が利く!!

 おまけに文字を読む練習にもなる。


 くそっ!


 神はなぜ彼女をあの体に作りたもうたのか。小一時間説教したい気分だ。


 思わず怒りで奇声をあげようとしてしまうが、なんとかこらえる。


 目の前には瞳が不安そうに揺れるエトナがいた。

 俺が黙っているので不安になったのだろう。


「ありがとう」


 とりあえず感謝の意を口にする。それだけで彼女は花のかんばせをほころばせる。

 決めた。キツネをボコそう。あいつだって神の写身みたいなもんだ。だから俺には殴る権利がある。


「次は俺の番かな?」


 そうして俺は自分の、あの世界の、退屈な日常を語りだす。

 俺が当たり前のことを言うたびに、彼女は大層驚いて見せる。それが当たり前でないかのように。

 事実彼女にとって当たり前ではないのだろう。そして俺にとっても――。


「ユウセイ様……」

「ん?」


 悪友と馬鹿なことをやって親が学校に呼び出された話をしていたとき、急にエトナが俺に呼びかける。

 彼女が話の途中で遮るなんて今までなかった。

 不思議だと思い、笑いかける。


「どうした?」


 彼女は俺を、その綺麗な瞳に映しながら、悲しそうに、辛そうな顔をするのだ。


「涙が――」


 涙?


 ふと頬に触れる。指先がかすかに濡れる。心なしか震える手を頬から放し、目の前に持ってくる。

 確かに水滴がついていた。


「あれ?雨漏りかな?」


 おどけてみせるが、目の前の表情はますます辛そうにする。


「……ユウセイ様は」


 感情をできるだけ押し殺そうとしたような、そんな声で彼女が聞いてきた。


「やっぱり、もとの世界に帰りたいですか?」


 ――ドクン。


 心臓が高鳴った。

 それは図星であることによるものか、敵かもしれないエトナに自分が帰りたいと思っていることを知られてしまったことによるものかはわからない。


 だけれども何か答えなければ。口を開き、言葉を探す。


「……ああ」


 結果、かすれた声が鳴る。そしてそれは無意識か、意識してか肯定の意を示していた。






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