友達!
俺は突然目が覚めた。
体はぼーっとしていてとても起きるような状態ではなかったが、なぜか起きてしまった。
照明はいつの間にか消されていたようだ。誰かが俺が寝た後に入ったということだが、こんな状況だというのによく寝られたものだと我ながら思う。
窓のひとつもないようでは、真っ暗で何も見えない。
さて、なぜ起きてしまったかという理由についてだが、頭がはっきりしてくるにつれてわかってきた。
誰かが俺の枕元に立っている。
おいおい、早速殺されるのか?
確かに一国の王に「殴らせろ」はないわ。なかったわ。
とりあえず、謝るか。こんなクソみたいな状況で生きる望みはないけれど、せめて痛くしないで欲しいのだ。
ごめんなさい。一思いにどうぞ。
そう言おうとしたが、口が開かない。それどころか体全身が金縛りにあった時のように動けない。
重りで全身を押さえつけられているかのようだ。
あの広間でライオン頭に睨みつけられた時の感覚を数十倍にした感じだ。
つまり、ライオン頭よりヤバいやつが目の前にいるということだ。
…何だか息苦しい。
あれ?俺今息しているか。
……してない。してないぞ。
コイツは生命活動を司る呼吸すらさせてくれない。
早鐘のように血流が頭の奥で鳴っている。
このままでは、心臓すら止まってしまうかもしれない。
薄くなっていく意識と比例して、ある感情が膨れ上がる。
さっきまで死んでもいいかと思っていたというのに、今では生きたい強く思っているのだ。
広間でもそうだった。ライオン頭に殺されかけた時。
もがき、空気を今にも吸おうとするが体が動かない。
「グググ……」
いよいよ限界になった俺の喉からうめき声が無意識に漏れ出す。
「おぉ…つい力を抑えるのを忘れておったわ」
声がした。
すると、ふっと重圧が無くなる。
「ブハァッ!!」
俺の体は空気を求め、大きく息を吸い込んだ。
酸素が体に行き渡るのを感じる。朦朧としていた意識が途端にクリアになる。
しばらく俺は息を荒くして、肺が喜ぶ感覚を味わっていた。
酸欠状態だったせいかぼーっとしていたが、そういえばこんな事態になった原因は枕元の人物であったことを思い出した。
相変わらず真っ暗なので姿は見えないが、声から誰かはわかっていた。
しかし、そうだとするとなぜここにいるのかは分からない。
そいつは黙ったままだったので、仕方なく俺から口を開く。
「どうしてここにいらっしゃるんですかね、魔王サマ」
やっぱり心変わりして、殺そうとなったのか。
あの広間での出来事は、王としての器をアピールするための演技だったという訳だろうか。
それにしても、居るだけあの圧迫感。
ますます人類側の希望が見出せない。そして、少女が完全なる化け物だと認識した。
「勇者…貴様の敬語は気持ち悪い」
やっと口を開いたと思ったら、ひどい言い草だった。
せっかくこちらから敬意を表そうとしたというのに、気持ち悪いはないだろ。
…確かに、慣れないせいで不自然なのと、自分でも気づかないうちに煽り口調になっていることは否定はできない。
「とは言ってもですよ、流石に敬語を使わないというのは」
「食事の時には使っていなかったというのに、今更か?それに、そもそも我を殴ると言っておきながら敬意を表すというのもおかしな話ではないか」
「あーあれは、自分でもやっちゃったなあ、とは思っているんですが」
「それはよい。久々に笑った」
殴る発言で笑うとは、やっぱり頭がおかしい奴だ。
「敬語はやめろ、これは命令だ」
「わかりま…わかった。それで、なんでここに」
「ふむ…食事だ」
「は?食事?」
どれぐらい時間が経っているのか分からないが、俺の腹の感覚だとまだ「アレ」が残っている感じがする。
育ち盛りで食欲旺盛という訳だとしても、それにしたってわざわざここに来てまで食う必要はないはずだ。
だが、待てよ。そういえばあの食事の時にコイツは食事に手をつけていたか?
確か、俺が部屋を出るその時まで食べていなかったぞ。ただ俺が食べるのを眺めてただけだ。
もしかして、ここで俺と二人っきりで食事をしたくてわざと食事を抜いたのか?
いやいや、その考えはない。
殴られ発言でM心に火がついて、俺に好意を持って…そんな頭の中お花畑な奴いるはずがない。
というか、普通に俺が無理。
今も膨れ上がる恐怖心を抑えるのに精一杯だった。
ここで良く生きるには、少女の心象を良くしなければいけない。殴るという強い抵抗心を見せたことで、少女は俺を気に入り、手足をバラバラにすることは一旦棚上げとなった。のだろう。
なら、俺は少女の前では恐怖に怯える姿を見せてはならない。
本来なら抑え切れるはずのない恐れは、気に入られなければ手足をバラバラにされるという別の恐怖によってかろうじて抑えられているのが現状だ。
そんな状態で長時間、二人っきりというのは無理。間違いなく無理。
「こんな埃っぽいところじゃ、飯も美味しくないぞ。あの食堂で食えば良いじゃないか」
言葉を選びながら少女に暗に「ここで食うんじゃねぇ」と告げる。
「まあ、確かにどこでもいいんだがな」
その言葉に俺は胸を撫で下ろす。
「なら…」
「だが、正直言うと地下室からもう我慢ならんのだ」
「?」
どういう事だ。と尋ねる前に俺の腕が掴まれる。
スルッとパーカーの袖がまくられる。
次に鋭い痛みが走った。まるで太い針を刺されたような痛み。
驚いて飛び起き、痛みの元を払おうとするが、サラリとした何かに手がぶつかる。
妙に暖かい。
何だこれは。
「あぐぁ!!」
そうこうしている間に、太い針がさらに俺の腕に刺さっていく。
引っ込めようとしても腕が万力のように固定されていて動く気配がない。
「こんのっ!!」
今度は握り拳で暗闇の中を殴りつける。
先ほどとは異なり、岩のような硬いものに拳がぶつかってしまう。
そんなものがあるとは知らなかったため、全力で殴っていた。
拳が新たな痛みを覚える。
「クソっ!」
俺は今度は押し返そうと試みる。
がしっと俺の腕に取り付いているものを掴む。さらさらした感覚。これは…人の髪か?
この状況で考えられる人物は一人だけだったが、そんなことに構わず俺は押す。
しかし、どれだけ力をこめても全く動かない。彫刻を押しているようだった。
その間にもずぶりずぶりと俺の腕に痛みが食い込んでいく。
どれだけ抵抗しても一ミリも動かすことができない。疲れ果てて押すことを止めてしまった俺の荒い息に混じって、妙な音が聞こえる。
こくり
喉を鳴らす音がする。
まさか…。
「飲んでいるのか…」
全てが腑に落ちた。
あぁ…そうか。俺って人質でも何でもなくて、ただの家畜なのか…。
押していた手をよろよろと離すと、俺は闇の中で顔を覆った。
クソがよ…。
◇
「ふぅ…」
艶のある声を立てて、魔王の口が俺の腕から離れていく。その時、牙が引き抜かれることでさっきまでとは別の痛みが走る。
俺は手を引き戻そうとするが止められた。
「まて、そのままだと傷が残るぞ」
ポゥッと緑色の光が現れる。少ない光量だったが、思わず目を逸らす。
その一瞬の間に見えた魔王の姿。
俺の血で口周りを濡らした悪鬼のような姿を俺は一生忘れないだろう。
魔法のお陰で腕と拳の痛みは嘘のように引いていた。
「痛みを感じるとはな、曲がりなりにも勇者か」
「……」
「ん?どうした?血を吸われるのは初めてか」
「あ、ああ。初めてだから、驚いてよ。魔王様は吸血鬼だったんだな」
「魔王で良い」
「じゃあ、魔王。そういえば、さっき痛みがどうとか言ってたけど、噛みつかれたら痛いに決まってんだろ」
「いや、普通の人族であれば痛みを感じないはずなのだ。我の唾液には強い鎮痛作用があるからな。しかし勇者である貴様は魔を退けるために、効かなかったようだな」
俺の寝込みを襲ったのも、その効力を期待してのことだったのだろう。
寝ている間に吸ってしまえば、暴れられることもないからな。
しかし、一つ目の誤算は存在の圧で俺が起きてしまったこと。二つ目の誤算は俺が一応勇者であったことだ。
今、俺の胸の内に渦巻く感情を考えると、寝たままで知らなかった方が幸せだったかもしれない。
やはり、俺は運がないのだ。
「で、どうだった。俺の血の味は」
「クハハハ!やはり貴様は面白い。正直いうとな、それほど美味くはなかった。我慢して損したぞ」
とりあえず、この場で最適な回答はできたようだった。
しかし。
「酷いな」
「魔力が多ければ多いほど美味いものだからな。勇者としてはあまりにも魔力が少ないお前では美味くないのも当たり前だ。しかし、不思議な味だったぞ」
「へぇ…」
「そうだな…例えるなら安酒と言ったところか。他のものにはない味だ。大抵は果汁を絞ったような甘い味がするからな」
そもそも血が甘い味がするとは想像も出来ない話だが、種族が違えば味覚も変わるということか。
おそらく、俺の血が他と違う味がするのも勇者が原因だろう。
アルコールが体に毒であるように、俺の中に流れる勇者の力(そんなもの全く感じないが)が魔王にとって弱い毒として作用したのだ。
それによってアルコールのような味がしたのかもしれない。だが、彼女にとって俺の勇者の力はアルコール程度の弱毒とは情けない。もう少し気張れよ、勇者の力。
「どれぐらいの頻度で血を吸うんだ?」
「心配か?」
「当たり前だ。あいにく俺はデリケートに出来てるんだ。毎日吸われたら死んでしまう」
「安心しろ、そんなには吸わん。不味いしな」
吸っておいて不味いはないだろ。殴ってやろうか。と、思ったが、俺はあることに気がついてしまう。
すでに殴っちゃってた。
別に魔王を殴ったという罪悪感はない。むしろ本気で殴ってやろうと思っていたので、せいせいするぐらいだ。
問題は殴ったことで、機嫌が悪くなっていないかということだ。
だが、殴る発言で喜ぶような奴だし、今の会話の中で不機嫌さは感じられない。
一応聞いておくか。
「あーそうだ。魔王。すまなかった」
まず、謝罪から。
「ん?何のことだ」
「さっき血を吸われたとき、その…押したりしたことだよ」
殴ったり。とは直前に気弱になって言えなかった。
「なんだあれは押していたのか。あまりにも弱かったので撫でられているのかと思ったぞ」
「俺にそんな特殊な趣味はない」
全力の抵抗も彼女にとってはそよ風程度のものなのだ。やはり、俺なんかの力では彼女に傷をつけることは出来ないのだろう。
「我を殴ると言っておいて、随分としおらしい態度ではないか」
「殴りたいのと、実際に女を殴るのはなんか違うからな」
「……理解できんな。それに我は魔王。女だから何だというのだ」
何だか口調の雰囲気が変わった。さっきまでの余裕ぶった感じが無くなった。
普段なら気がつかないが、何も見えないから聴覚が鋭くなっているのかもしれない。
……ははっ。もしかしてベタなやつか。
いや、そこを突くのはやめておこう。失敗したらロクなことにはならない。そして不運である俺は失敗する可能性が高い。
話題を変えよう。
「魔王は吸血鬼なんだろ?この暗闇でも結構はっきり見えてるのか」
「ああ。問題なく見える。貴様の馬鹿面もな」
露骨な話題逸らしだったが、乗ってきた。
そんなに酷いか。まあ、前世でもモテはしなかったが。
「帰る」
俺が輪郭を確かめるように、自分の顔に触れていると唐突に魔王が言い出した。
引き止める理由もなく、願ってもないことだったので俺は黙る。
彼女が動くと、甘い匂いと鼻をつく酸味のある鉄臭さが香る。
気配と足音が遠ざかっていく。かちゃりという音がして、光が部屋に差し込んでいく。
あまりの眩しさに目が痛みを覚えた。
廊下は明かりがついていたのか。
何の変哲もないドアだったが、光を一切通さなかったところを見ると結構精巧な作りだったらしい。
照らされた魔王の口元はあったはずの血が綺麗さっぱり無くなっていた。
ベロベロと子供のように舐め回したのか。卑しいやつだ。
ドアをわずかに開けたまま、魔王の動きが止まった。
どうした?早く帰れよ。
まさかまた思考を読まれた?
声を掛ければ会話が始まってしまう恐れがあったので、何も言い出すことが出来ない。
結局何も言わないまま、魔王は部屋を出て行った。
ゆっくりとドアが閉まっていく。
カツンと情けない音を立てて、途中で止まった。
光が一筋の線となって部屋を照らす。
まったく最後まで閉めろよ。
俺は閉めようかと悩むが、突然悪寒がしてやる気が起きなかった。
上体を起こしているのも辛くなり、ベッドに寝そべる。
目を閉じる。
あの痛み、血が吸われる感覚。餌にされる悍ましさ。
腕に触れる。傷はない。
だからって何ともないわけないだろ。
今は光が欲しかった。
でないと、もう眠れない気がした。
◇
「あーもしもし。聞こえていますか」
声がする。
聞いたことはないが、知っている。
魔王では、ない。
「起きてくださいよ。あんまり時間がないんですから」
なぜだ。
このムカつく感じは。
寝ているところをまた起こされたから?
「聞こえてますよね?起きてください。大事なお話があるんですから」
違う。違うな…。
この声は…そうだ!
記憶と感覚が一致した途端、俺は勢いよく飛び起きると手刀を声のする方へ繰り出した。
シュッと空気を裂く音がすると同時に「わっ!!」と情けない声がする。
舌打ちをすると目をゆっくりと開けていく。
今度は当てる。その整った面を醜く歪めてやる。
そう俺は心の中で決心した。
目に光が飛び込んでくる。それに慣らすように二、三回瞬きをする。
部屋は魔王が出て行ってからそのままだった。ドアからわずかに漏れる光で部屋は薄暗く照らされている。
一つ違うのは。
空中に白いキツネが浮かんでいた。
思わず、もう一度瞬きをした。
思っていた光景と違う。
かわらずキツネが浮かんでいる。
「なにするんですか」
「また、明晰夢か。勘弁してくれよ」
というか、今の今まで全て夢なのでは。そう淡い期待もしてみる。
そんなこと無いよなぁ。
運がないのは折り紙つきなのだ。
「夢ではありませんよ」
キツネが俺の周りを飛び回る。
正面からではわからなかったが、尻尾が二本あるようだ。先の方が黒く染まっている。
化け狐、にしては尻尾の数が少ないようだ。
「何か答えてくださいよ。今の私はあなたの心の声が聞こえないんですから」
「……なぜ、ここに、そんなカッコで、ここにいるんだ」
「おーようやく反応してくれましたか。存外嬉しいものですね。これが会話の喜びというやつなのですね」
「……」
「おっとすみません」
俺が睨みつけるとキツネはシュンと申しわけなさそうにする。
わざとらしく上目遣いなのが腹が立つ。
「あれ?オカシイですね。ラーニングは完璧なんですが」
「それを俺をムカつかせるためにやっているのなら成功してる」
「難しいですねヒトの感情というものは。心が読めないと不便です」
くるくるとキツネはその場で器用に宙返りをすると、二本の尻尾で体を包み込むようにして丸まった。
「それもカワイイと思ってるのか?」
「…コホン、さてそろそろ本題に入りましょう。時間がないのに無駄な会話をしてしまいました」
お前のせいだと言いたかったが、そこから会話が始まってもしょうがないので言わないでおく。
「私はあなたに運を授けました。が、あなた自身はそうは思っていない。違いますか」
「そうだよ…。なんだ今更、ごめんなさい間違いで「不運」でしたってか?」
「あ、いえ、あなたにはとびきりの『幸運』を授けています」
「はぁ?」
幸運だと?生きていること自体が幸運ですだとでも言うのか。道徳の時間じゃねぇんだ。
その一言で一瞬で俺の頭は沸点に達した。
「幸運ってのはな、やることなすこと全て上手くいくことをいうんだよ!!それがなんだ?いきなりラスボスで、俺は餌だし、弱えし、だから人間側の援助も望めないハードモードになってるじゃねぇかよ!!」
俺は声を荒げるとキツネに殴りかかる。
しかし、するりと体を捻られて華麗に躱されてしまった。
すかした反動で俺はベッドから落ちてしまう。
ひじを床に強かに打ち付ける。痺れるような痛みに涙が滲む。
「泣いているのですか。痛いのですか?それとも悲しいのですか?」
空中でくるくると回りながら煽るように尋ねてくるキツネに殺意が募る。
「やることなすこと全てうまくいくというのは、因果律を神の領域で捻じ曲げるに等しいのです。いくら勇者とは言え、神と同等の力を与えてしまっては世界が崩壊してしまいます」
「だったら幸運って何なんだよ」
「確率の底上げです」
何だそれ。
俺は痛みで不自然な動きにならないよう強がりながら、ベッドに戻った。
「普通の人なら万に一つの可能性もないところをあなたは百に一つ以上にすることができます」
「結局低いじゃねぇか…」
俺はふわふわと綿飴のようなキツネを見上げる。
水をぶっかけて見すぼらしい姿にしてやろうか。
「いえいえ。言ったでしょう。あなたの力は『確率の底上げ』です。その確率は3パーセント」
キツネは器用なことに指を三本立てて見せる。
「少なっ。ゴミだな」
「それはどのような事象にも適用されます。例えば生存確率がゼロの状況でも絶対に3パーセントの確率で生き残れるのです。格上の相手でも3パーセント以上の確率で倒すこともできるでしょう。97パーセントの確率で起こる事象は、いかなる妨害もなく必ず起こすこともできます」
絶対に3パーセントの確率を引き寄せることができるってわけか。
……確かに考えようによっては強いな。
すると、あれか?ナイフで34回あの少女の皮を被った化物を滅多刺しにすれば、必ず殺せるってのか?
「……いける」
「あー悪い顔という奴ですね。何を考えているかわかりませんが、おそらくその企みは上手くは行きませんよ。なぜ、と訊かれるでしょうからあらかじめ言っておきますけど、あなたの力は世界のためにあるのです」
「いや、結局わかんねぇよ」
魔王を殺すことは世界のためになるだろ。
「あなたの役目は世界に刺激を与えること。そのためには人との繋がりが大切なのです。確率の発生はそれに従います。つまるところ、何かしらの犯罪行為を行う場合は原則として失敗する方へ確率が発生します」
「はぁ〜?つくづく使えねぇ力だ…一応きくが、原則ってことは例外もあるってことだよな」
「もちろんです。例えば人を守るために仕方なく、という場合などですかね」
他人を無視した利己的な行動は原則アウトということか。しかし、四面楚歌である今の状態では誰かを守るというシチュエーションは思いつかない。
「判断はお前がするのか?」
「そうですよ」
「なら、今すぐルールを変えろ」
「無理です」
すぐ却下されてしまう。
これは予想できていた。言ってみただけ。
今までの話を聞いたところ、この能力の問題点は結構ある。
しかし、一番肝心なのは「基準」。
例えば自分の中では世界のためだと思って行った行動が、実は能力の範囲外で34回以上の試行を行なっても何も起きません、という状況もあり得るわけだ。
広間での「殴る」の発言は、おそらく本来では絶対にあり得ない3パーセントの確率を引き当てたからこそ、不問になったのだろう。
俺は浅ましくも生きていたい。今はそう思う。生き残ってそして…。
そのために時にギャンブルは必要かもしれないが、ジョーカーしかないババ抜きをするつもりはない。
「じゃあ俺が呼んだらすぐ来い」
「無理です」
「何故だ」
「理由は二つ。この状態は今のところ月に一回がせいぜいです。いろんな制約のせいで。それと私を呼んでどうするんですか?」
「今からすることが能力の範囲内かきく」
やれやれと言ったようにキツネが首を振る。
どうしてそう煽るような真似をしてくるんだ。
「今の私は、分身体のようなものです。あらゆる権限を持っているわけではないんです。その権限や知識には世界に過干渉しないようにロックがかけられています」
「なら本体にきいてくれよ」
「それもだめです。本体は私たちの行動を把握していますが、こちら側からコンタクトをとるのは無理です。あなたの力が別のものであれば、ある程度本体からコンタクトもあったでしょう。が、すでにあなたの力は世界に干渉するものですから」
あれもだめ、これもだめか…。
制約だらけの能力だな。これが俺の手札か。
「参考までに、俺の前の勇者ってどんな感じだったんだ?」
「あなたの記憶にあった情報で例えると、そうですね……ステータスは一般人が到達するクラスでは最初からカンスト、さらにそこからも驚くべき速度で成長していきます。それに加えてそれぞれ固有の『力』を持っていました。魔力消費ゼロや、魔法吸収、それに洗脳なんてのもありましたね」
「チートじゃねぇか…それに引き換え俺のこの状態は何なんだよ。天と地ほどの差があるぞ」
「あなたの場合は、そのステータスを全てラックに全振り?した感じです。それに今代の魔王は今言った勇者を瞬殺してますから、チートというなら魔王のほうですね」
「なんでそんな尖ったビルドになったんだ」
「それがあなたの望みだからです」
望んでねぇよ。しっかりと選択肢を与えられてたら『運』なんか選ばない。
だが…そんな勇者も瞬殺か。本当に化物だな。
「…魔王はなんで俺を生かしてるんだ」
「えっ!?聞いてなかったんですか?あなたがいる限り、次の勇者は現れないんですよ」
「知ってるわ。バカにするな、このエキノコックス野郎が」
「ひ、ヒドイ!」
「瞬殺できるほど強いのなら、現れたやつを片っ端からやっつければいいだろ」
「さぁ…?」
使えないキツネだ。
こいつからの情報が見込めない以上、自分で探っていくしかないだろう。
突如キツネの尻尾の先からキラキラと緑色の粒子が流れ出し始めた。
粒子が溢れるごとに、体が消えていっている。
「どうした、それ。死ぬのか、爆発するのか」
「死にませんよ。ただ、そろそろタイムリミットみたいです」
なんだ死なないのか。
そのうち、キツネの体の半分が消えていく。
もって数十秒と言ったところだろう。
「じゃあ最後に聞かせてくれ」
「答えられる範囲ならいいですけど…なんですか?」
頼む。3パーセントの確率。
「なあ、元の世界に帰る方法って…」
「ありますよ」
被せるように求めた答えが帰ってきた。
あまりのことで頭が追いつかない。今まで俺はこういう時に限ってしくじってきた。
さっき祈った時も、心の奥底では無駄だと思った。
能力が発動したのか?なにか力が溢れるといった感覚は全くない。
「まじか…」
多分俺は間抜けな顔をして、左顔だけになったキツネをみる。
幸いなことに断面は光っていてよく見えない。
「普通この世界に召喚された人は望まないんですがね。その方法は…」
「方法は?」
方法もわかっているのか。俺はツイてる。過去最大にツイているぞ!
昂る気持ちを抑えながら俺はキツネの一言一句を聞き逃さないようにする。
そして。
「あ」
あ行の一番最初を呟いてキツネは消えた。
ちくしょう。やっぱりこれかよ。
◇
あれから呼びかけてみても全く反応がなかった。
やがて一人で叫んでいるという現実に気づき恥ずかしくなった。
「腹へった」
時計がないこの部屋では、どれぐらい時が経ったのかわからない。
こういう時は腹時計という原始的な時計が活発に活動し始める。
そもそもそんなに食べていなかったこともあって、喉の奥が腹に引き込まれるような空腹感を覚える。
スマホでもあれば暇つぶしができたのだろうが…。
まあ。ないよな。
部屋からでるなとは言われていないし、少し散策してみたい気持ちもあるが、廊下で化物に出会う可能性を考えると気が引ける。
やめておこう。
しかし何をしたものか。
…まずは今後のためにも自分がどれぐらいのレベルなのか確かめるか。
「メラ」
手をかざして聞き慣れた呪文を言ってみる。
何も起きない。二、三回試したが結果は同じだ。オイオイ、俺勇者よ。火の一つも起こせないってのはふざけている。
MP的なものがないのか、呪文を覚えていないのか、あるいは考えたくはないが俺の特性からするとそもそも魔法が使えないというのもあり得る。
「ヒール」
一応、あの忌々しいアークンとかいう赤髪の女が唱えていた呪文も唱えるがうんともすんとも。
とりあえず今は魔法が使えないと言うことがわかった。
次にベッドから若干フラつきながら降りると、ベッドを持ち上げてみる。
普通に重い。みた感じ、このベッドがとても重いというわけではなさそうだ。そうすると身体能力も変わらないというわけだ。
魔法もなし、身体能力は本当に人並み。あるのは絶対に3パーセントの確率を引き当てる(条件付き)運だけ。
全くもってクソだ。クソゲーだ。
しかしそれでどうにかやって行くしかない。
極論、俺を自由にしてくれとお願いすれば34回目で成功するかもしれないのだ。あの天使が能力の適用を許可すればの話だが。
ため息をつこうとした時、部屋の外に人の気配がした。
もう勘弁してくれよ。魔王にキツネにお次はなんだ。神か、宇宙人か。
半開きのドアがゆっくりと開き何者かが顔を覗かせる。
逆光になっていてよく見えない。
「誰だ…ですか」
ひょっこりと肩から上を出してこちらを覗き込んでいる。
シルエットから魔王でもキツネでもない。
今度こそ俺を殺しに?
目を細めてなんとか判別しようとするが、わからない。
顔の輪郭からして女か?
…メイド?飯の準備ができたとか?
……思い出すのはやめておこう。今度こそはまともなやつが出ることを期待したいところだ。
「あの〜すみません。飯かなんかですか」
「はひっ!」
再び呼びかけてみると、可愛らしい悲鳴が聞こえてきた。
健全な男子なら少し動揺するような、授業中に聞こえてきたらクラスみんなが振り向くような声だった。
だが、ここは魔王城。どうせロクな奴ではないのだろう。
しかし、全然用件を言わないな。
悲鳴を上げたっきり固まっている。
そうしているうちに段々と目も慣れてきて、薄ぼんやりと顔の詳細がわかってきた。
自信なさげな目でこちらを伺うように見ている。
俺はじっくりと観察する。
服はメイド服のような凝ったものではなく、簡素なシャツを着ている。
コスプレらしさがなく、服装だけなら好印象だ。
さて、問題はその見てくれだ。
角、なし。
第三の目、なし。
ちらりと見える腕は肩についている二本だけ。
あれ?結構まとも、いやよく見ればかなりレベルが高い普通の美少女だ。
美しさ、というなら魔王に軍配が上がるだろうが、あまりにも整いすぎて作り物めいた顔、魔王と禍々しい角というバッドステータスで俺の中ではあれを異性とは認識していない。
しかし、この少女は、ここに来てから見た誰よりもノーマル。それでいて容姿は整っている。レアだ。
…ノーマルなのかレアなのか分からないがとにかく、ヨシ。
俺のように魔王に囚われている子か?
俺も単純なもので、思わぬ出会いにテンションは上がるものだ。
自分はこんな感じだったかと疑問に思うが、色々あったし気持ちが変に昂りやすくなっているのかもしれない。
「それで…何のようですか?」
異性を意識して少し緊張しながら尋ねる。
ピクリと少女の肩が跳ねて、キョロキョロと周りを見回す。
「いや、あなたですけど」
「あ、あの!!」
急に大きな声を上げるのでびっくりした。
悲鳴の時に感じたが、アニメ声のような可愛らしい声だ。
「あなたが…勇者、ですか?」
そしてさっきとは逆で弱々しい声になって、恥ずかしくなったのかそのままドアの向こう側に隠れる。
結構恥ずかしがり屋のようだ。
可愛らしい見た目、声、仕草、性格。
これは…レベルが高い。
そして、俺はとある可能性に気がついて戦慄した。
前世ならば、絶対に不可能だったが、今の俺ならあり得るかもしれない。
あのキツネもどきはいっていたじゃないか、俺の力の発動条件は「人との繋がり」。
つまり34回アタックをすれば、どんな女性とも良い関係になれるのではないだろうか。
使えない力だと思ったが、そう考えれば悪くない。
この子以外の人間は魔王に頼んで攫ってきてもらうか?
魔王の庇護下にあるというのは気に食わないが、元の世界に帰るまででも良いからこの能力で小さくてもいい俺だけのハーレムを作れる可能性があるというのは魅力的だ。そうなれば、むしろ永住しても…。
わりとゲスい考えだが、それくらいいい思いをしても罰は当たらない。だろう。
俺はさりげなく髪を整える。
わずかな髭はしょうがない。
第一印象を良くして、もともとの確率を上げることで試行回数を少なくする。
…もしかして、この一回で落とせるのでは。
邪な未来予想図に思わず口角が歪む。
いけない、いけない。第一印象が大事なんだ。気をつけろ、調子に乗るな。
まずは自己紹介、それから容姿でも誉めてみるか。
ナンパ経験はないけれど、だいたいそんなもんだろう。
彼女の性格から高圧的な態度で接すれば萎縮してしまうかもしれない。
なるべく口調は柔らかく、汚い言葉は使わない、これでいこう。
俺はゆっくりと歩みよっていく。
「ええ、僕が勇者です。とはいっても力はあまりないんですけどね」
はは。と愛想笑いをかましてみる。
…しまった、ある程度力はある振りをしておいた方がよかったか。
「…やっぱり勇者、なんですね」
今度は目だけを出してこちらを見てくる。
近づいている俺を見て、目が怯えて揺れている。
さっきより距離感を感じる。
だが、その小動物のような可愛らしさに、保護欲と同時にいじめたくなる衝動を覚える。
俺はハンズアップをして、敵意がないことを示す。
にこやかに笑い、ゆっくりと近づいていく。
尚も寄ってくる俺に警戒していたが、あまりにも無防備な意思表示に次第に少女の怯えも抑えられていく。
やがてドアの影から体を出して俺の様子を窺ってくる。
「俺の名前はユウセイ、君は?」
俺はドアの近くに立ち、少女に自己紹介をする。
近くで見るとやはり可愛い。
間違いなくアイドルのセンターは張れるな。
だが…髪は異世界らしく深紅だった。赤い髪にはいい思い出がないので、俺は思わず顔を顰めてしまう。
少女は俺のそんな顔の機微を読み取って、またも不安げに瞳を揺らす。
俺は慌てて微笑みを作る。
そんなつもりはおくびにも出さず、さっと少女の体に視線を這わせる。
俺の手で覆えてしまえそうな細い首、白く簡素なシャツのような服から覗かせる鎖骨が可愛らしさの中にあるスパイスとして俺の脳髄を刺激する。
胸は控えめながらも、確かに存在を服の下から主張していた。
「あ、あの…わたしは…」
俺は胸よりも尻派なので、大小は気にしないがどちらかというと慎ましやかな方が好きかもしれない。
下半身は…ここからだと見えないな。
「エ、エトナといいましゅっ!ひゃん!」
こいつ噛みよった。
自分の失態によって、その髪の色と同じく顔が染まっていく。
可愛いぞ、可愛い。
こんな子と、もしかして、もしかするのか。
「エトナ、きれいな名前だね。よろしく」
手汗をさっとズボンで拭くと手を差し出す。
差し出された手に彼女は驚いたが、不思議なことに俺の手を何だか眩しいものであるかのように見つめてくる。
おずおずとドアから伸ばされた細い指が俺の手に触れる。触れた瞬間引っ込められたが、すぐに手を伸ばしてきた。
冷たい手だった。
「あったかい…」
俺もなんだかんだ女子の手を握るのは林間学校で踊った時ぶりなので、どきっとする。
だが、俺は手繋なんかでは満足しない。本当の目的は別にある。
やるんだ、俺。
俺は握手をしながら更に歩み寄る。
握手はただの布石、その目的は下半身をみるためだ。
好みは様々で一概にこれとは言えないが、とりあえず品定めをしたかった。
あまりにもゴミのような衝動に突き動かされているが、自分の理性はどうやって見ることができるかに注がれており、はなっからブレーキが効いていない状態だった。
握手する手を愛おしそうに少女は見ている。
「ほわぁ…」と思わず声が漏れていた。
よし、こちらは見ていない。
すっとドアの隙間から、隠された少女の体を視界に入れる。
スカートか、残念。ズボンであればより詳細なデータがわかるんだが。
しかし、スカートの幅から結構な大きさだ。
可愛いのに安産型。
悪くない、むしろ良い。
観察を続けよう。
よく見ると珍しいスカートだ。
スカートの長さはウェディングドレス並みに長い。
足先までは白だが、それから先は赤くなっている。
赤い部分には木の葉型のつるりとした何かが隙間なく縫い付けられている。
それはまるで、蛇の鱗のようで…。
そう、蛇の鱗のような。
というか蛇の鱗のまんまのようで。
「わ、わたし、こんな風に誰かに触れられるの初めてで…」
少女が熱をもった瞳で見つめてくる。
だがそんなことは知ったことか。俺は視界からの情報を脳内で処理することに忙しかった。
「これが…お友達というものなのでしょうか」
あーなるほろ。
出した結論。
目を背けたい答え。
でもどこかで予想がついた結末。
「クソがッ!!」
「え!」