転生!
運が無かったとしか言いようがない。
その感想はこれまでひたすら心の中で繰り返してきた。
きっと日本という国の平凡な家庭に生まれた時点で、俺の運はそこで全て使い切ってしまったんだ。
どこかのギャグ漫画の様に面白いほど不幸だったわけではない。大吉も出たことがあるし、アイスのあたり棒もいくつか持っている。
ただ、それが何だ?大吉があるから人生が劇的に変わるわけではないし、当たりをひいても節約出来るのは僅かなアイス代だ。
俺は本当に大事なところでしくじってきた。
受験はもちろん、部活の大会、学校行事、イベント。そのどれもが何か目に見えない壁に阻まれて、満足にこなせなかった。
努力が足りなかった?
努力でシャーペンが折れることは防げるのか。高く上がったボールが風に飛ばされないようにできるのか。たまたま持ち込んだコンロが不良品でぼや騒ぎを起こすことを避けられるのか。
世界は俺に抵抗する。
だからさっき車に轢かれた時も、ひどく俺は無感情だった。
全てが不幸で塗り固められていたら、きっと違った感情を持ったに違いない。
だが、俺の人生は微妙だ。大事なところでしくじるが、日々の生活ではそんなことはない。
だから俺がどれだけ自分が不幸かということを説明しても、親も友達も「たまたまだよ」と言ってくる。
しかし、俺だけは感じている。
きっとこれからも失敗は続いていく。
それは、経験則ではなく、感覚としてそうなのだ。
そして今日。とびっきりの不幸が来た。
ブレる視界の先で人が集まり出しているのが見える。スマホを片手に。
痛みがあるが、それよりも眠かった。
この瞼を閉じてしまえば、おそらく次の瞬間俺は病室にいるだろう。
不思議と大きな怪我も後遺症もない。
痛みと照明の眩しさに顔を顰めた俺に、家族や友人はこう言う。「幸運だったね」と。
冗談じゃない。
今感じている痛みや、これから感じるトラウマを無視できるわけがない。
それなのに全ての不幸は、周りから見たたった一つの幸運によって消されてしまう。
それからも俺の不幸は周りのみんなから無かったことにされてしまう。俺だけが感じる世界の理不尽さ。
反吐が出る。
うんざりだ。
もうごめんだね。
できることなら目覚めたくはない。
呪詛の言葉を吐きながら目を瞑る俺は、まさか本当に自分が死ぬとは思ってなかった。
◇
「あなたは死んだのです」
ほー。いきなり頭がおかしい奴と出会した。
目が覚めるとそこは白い空間。
前にmvで見たことがある。壁が動いている奴だ。
俺の二メートル先に少年がいた。
金髪碧眼。顔はびっくりするぐらい美形。女と見間違えそうだが、袈裟懸けに羽織った白い布から平な胸が見えていた。
くりくりと大きな瞳でいきなり何を言い出すんだ。
「あなたは死んでしまったのです」
言い直さなくてもいい。
「あなたは死んでしまったので、転生します」
どれだけ俺を殺したいんだコイツは?
「殺したいわけではありません。事情を理解していただくために、繰り返し説明しているだけです」
機械的な声。
結局ヤバいやつには変わりない。
待てよ?
俺は声を…
「出してません。あなたは言うなれば魂の状態なので、音を発するのは不可能です」
はっとして自分の体を見る。
視界がfpsのゲームのようにぐわんと下へと向くが、そこには無機質な黒い床しかなかった。
手を動かし、顔の前に持ってこようとする。意識ではそうしている。だが視界には一向に手が現れない。
頬にも触れようとするが、何も感じない。
「信じていただけたでしょうか。あなたは死んだのです」
ゴクリと鳴らない喉で唾を飲み込む(つもり)。
新型のVR、にしては飛び抜けてリアルすぎる。おまけに思考が読まれているのか。
おそらく、少年の声も聞こえているわけではなく、脳に直接語りかけているのだろう。
証拠に、少年の口はいっさい動いていなかった。
少年の言うことを全て信用しているわけではない。明晰夢という可能性もある。
だが、とりあえず話を聞いてみよう。
「ここまで信じていただけないのも初めてです。他の方はこういったやりとりを前の世界で学んでいるようですから」
長いまつ毛を伏せて少年が残念そうな表情をするが、あまりにも絵になりすぎていて、むしろ作り物めいた不気味さを感じた。
他の方?
「ここはあの世と他の世界をつなぐ中間地点です。条件に当てはまる魂を別世界に送るのが私の役目。あなたの世界の住人も何名か異世界へ送ったこともありますよ」
条件だと?
「その基準は教えられません」
ケチだな。
文句を言う俺に初めて少年が表情を見せる。
「驚きました。あなたはかなりねじ曲がっているようですね。いや、あるいはそれが正しいのかもしれませんね。失礼。いままでは早く送れ送れという人ばかりだったものですから」
少年の言葉にピンと来た俺は尋ねる。
もしかして条件は「生前、世界に不満を抱いていた」か?
「…肯定します。ですがそれは条件の一つに過ぎません」
それもそうか。そんな条件だったらどれだけの人が条件に合致するというんだ。
俺自身、世界に不満はあったが、もっと世界を憎んでいるやつもゴロゴロいるだろう。
それ以上語る気もなさそうだったので、俺は次の質問をする。
なぜ、俺を別の世界で転生させる?
「世界は常に動き続けてなければいけません。閉ざされた世界は衰退していきます」
だから別世界のやつを送るのか?
俺は世界に影響を与えられるほど、立派ではないぞ。
あー、そうか。バタフライエフェクトというやつか。
「そうです。ですが、ただ人を送ってもその影響が出るまでかなりのタイムラグがあります。ですので貴方には力を与えます」
力…?
「やはり、そういった知識はあまり無いようですね」
小馬鹿にしたようなセリフに俺は少しムカっとした。
「あ、馬鹿にしているわけではありません。むしろ今までの人の理解がおかしかったんです」
慌てて少年が訂正する。
まあ、いい。で、どんな力がもらえるんだ。スーパーマンみたいな力がもらえるなら嬉しいが、単なる身体能力の向上だったら悲しい。俺が指定することはできるのか?
「残念ながら、それはできません。世界は刺激を求めていますが、揺らしすぎてはいけないのです」
一瞬で山を消し飛ばせたり、不老不死のようなとんでもない力はあげられないわけか。
頭が良くなるや、歌が上手くなるなどの才能がもらえるのだろうか。
「個人の素質はそのままです。もちろん顔もそのままです」
転生、という話なのでは?
てっきり新たな体を得て赤ちゃんからやり直すかと思っていた。
「貴方の肉体はもうすでに死んでいます。ですから別の世界で再構築され、そこに魂が入れられるのです。新たな肉体に魂が宿ることを転生というのであれば、その条件には当てはまっているはずです。ちなみに、新たな肉体はその世界に適した調整がされます。場合によっては身体能力が向上することもあるでしょう」
では、結局俺がもらえる「力」ってなんなんだ。
「力はあなたが望むものを」
指定はできないはずでは?
「望みと理想は時に違うものです」
そして一呼吸おいて、少年は言う。
「…あなたには、とびきりの『運』を」
俺に体があったら目を見開いていたに違いない。
『運』か。
それは考えていなかった。
とても俺には縁が無くて、選択肢に入っていなかったのだ。
「もう、時間が迫っています。さぁ行ってください」
驚く俺の体を、いや魂を何かが引っ張っていく感じがする。
視界をその力の方向へ動かすと、空間が黒く歪んでいた。
段々と少年との距離が離れていく。
「忘れないでください。あなたの力はそもそも世界のためにあることを」
知ってるよ、そんなこと。
その言葉が彼に届いたかは知らない。
引っ張られているせいで歪んでいく視界の中で、少年の顔が気になった。
なぜか、ひどく申し訳なさそうな顔をしていたのだ。
理由を尋ねる暇もなく、急に視界が狭まりやがて暗闇になった。
◇
死んでから2度目の目覚め。とでも言うのだろうか。
唐突に現れた冷く硬い背中の感触と、カビ臭いにおいに俺は目を開ける。
天井が淡い黄緑色の光に照らされている。石でできているのか。珍しい作りだ。
手を動かして顔の前に持ってくる。
視界に見慣れた手の形が入ってくる。
体はあるようだ。
細部は薄暗いせいでよくわからないが、俺の手だと思う。体が再構築されたというのは本当らしい。
更にはオレンジ色のパーカー、安っぽいジーンズ、服も再現されている。
「成功のようだな」
俺の耳に少女の声が聞こえる。
声質は幼いが、不思議な威圧感がある。
寝そべったまま俺は頭を上へ向ける。
誰かが立っていた。
黒を基調としたドレスを着ているようだ。
薄暗い闇に溶けるように佇んでいる。
視界をさらに上へとあげる。
目も覚めるような可憐な少女がそこに立っていた。闇の中でもわかるほどの真っ白い雪のような肌。ふっくらとした唇。大きな目。そして。
「なんじゃそりゃ」
俺の口から思わず言葉が飛び出る。
その言葉に気分を悪くしたのか、少女が眉を顰めた。
だが、許して欲しい。
あんたの頭の上にあるソレはなんなんだ。
形の良い頭に歪なものが生えているように見える。なんだかソレは一対の角のようで、禍々しく曲がりくねっており、先が鋭く尖っている。
仮装にしては手が込んでいる作りだ。まるで本物の角のように重量感がある。
俺はポカンとして頭の角を見ていた。
「勇者というのはいつの時代も無礼なものだな」
「まったく、その通りです」
少女の声に、別の声が応える。すると少女の後ろの影から急に女が現れた。
女にしてはやけに背が高く、190はあるのではないかと思うほどだった。比較的小柄な少女の隣に並んだことで、より大きく見える。
染めたにしては美しい、燃えるような赤髪だ。気づけば少女も全ての色素が抜け落ちたような、珍しい白銀の髪だった。
出てきた女の赤髪の中からもご丁寧に角が顔を覗かせていた。
こっちは真っ直ぐ頭上に伸びている。太さは少し少女より細いだろうか。
「あーわかった。これは夢だな」
「は?」
夢の中の女に俺は寝たまま指を突きつける。
「どこの世界にそんな格好の奴がいる?それに勇者ァ?ゲームじゃあるまいし」
俺はもう一度目を閉じることにした。
あの少年も、今のこの状況も、きっと意識を失っている俺が見ている明晰夢に違いない。
目覚めればきっと病室。そして退屈な日々が、また俺を拒絶するのだ。
「寝てしまいましたが…」
「勇者というのはどこまで腹正しいのだ」
「起こしますか」
「そうだな。立場をわからせるためにも、キツく、な」
金属が硬いものと当たるような音が近づいてくる。
振動も、耳障りな音も、揺れ動く空気も全てがリアルだったが俺は努めて無視した。
くだらない日常に帰りたくはなかったが、こんな馬鹿馬鹿しい夢の中にいる気もなかった。
音が耳のすぐ近くで鳴ったっきり聞こえてこない。
瞼を閉じているが、自分が影に入ったことがわかった。
「勇者よ」
上から声が降ってくる。
俺は目を開けなかった。
「貴様は我々に召喚された。お前がどんな奴かは知らない。だが、召喚された以上、我々には従ってもらう。勇者よ。目を開けろ」
俺が一切動かないのを見て、女はため息をついた。
長く、その息で鳥肌が立つほど嫌悪感が詰まったため息だった。
やがて、そのため息も止まると静けさが訪れた。
居心地の悪さを感じて、俺は思わず顔を顰める。
「ハッ」
次の瞬間、女が鋭い息を吐き出す。
風が頬を撫でた。
なんだ?
そんな疑問。だが、新たな疑問がそれを掻き消した。
「あ、あぁ…」
俺は目を開けた。
俺自身なんで目を開けたかが、わからない。
「あ、ああぁぁ」
声が止まらない。
熱いんだ。熱くて、熱くて。
「ァアーッ!!」
それが痛みだと気づいた。
叫びとともに口から体液が溢れ出す。毛穴という毛穴が開く。
痛みの先は、足。
上手く動かない体を起き上がらせて、一瞬だけ足を見る。
左足が、太ももから切断されていた。
ジーンズごと断ち切られている。藍色のジーンズがどす黒く染まっていた。
「いたいッ…なんで…」
「これは罰だ。立場を弁えろ、勇者」
女が何かを言うが、耳に入らない。
わけが分からない。
この苦しみをどうにかしてくれ。
「おい、その辺にしておけ」
「はっ」
女が手をかざす。
その手がほのかに輝き出す。
「ヒール」
女が呪文のようなものを唱えた途端、その手の光が強くなる。
何かを行うと、女は再び少女の元へと戻っていった。
だが、そんなことは知らない。
俺は自分を襲う痛みに叫び声をあげていた。
「いつまで泣いているのだ。もう治っているぞ」
そんなわけない。
遠くから高みの見物をしている少女に抵抗するように俺は睨みつける。
現に俺はこうして痛みを感じている。
「痛いか?それは体がまだ追いついていないのだ。足をみろ」
あざけるような少女の声に、俺はムカついた。
そんなに言うなら見てやる。
見て違ったならば、どうすることもできないが、憶えておけ。
覚悟を決めて、歯を食いしばると俺はまた体を起こす。
「えッ!?」
足がくっついている。
恐る恐る傷があったと思う場所を触る。
夥しいほどの血が出ていた跡はあるが…痛みは、ない。
流石にジーンズはくっついていないようだった。触った途端、ずり落ちてしまう。
「どういう…」
「どうやら魔法すら無い、野蛮な世界からきたようだな。これならわざわざ召喚する必要もなかったか」
「魔法だと」
「ほれ」
少女は見た目に似合わない蠱惑的な笑みを浮かべると、手のひらに紫色の炎をともしてみせた。
悔しいが、俺は開いた口が塞がらなかった。
理科の授業で炎の色は学んでいる。高温になる程、青色になるのだ。
しかし、目の前には紫。
それを少女が空中に浮かしている。
ホログラム?
だが、あんなに小さいと言うのにこの距離からでも肌に痛みを覚えるほどの熱量を感じる。
「もっと大きくすることもできるが、それだとお前が死んでしまうのでな」
めちゃくちゃだ。
俺が転生したのはこんな奴らばっかりの世界なのか。
ゲームみたいに、魔法が、人外が、アホみたいに出てくるのか。
到底信じられない。
それでも、さっきの激痛が反論する気を捩じ伏せてくる。
黙り込む俺を見て、少女が笑う。
隣に女がいなければ、さっきの激痛がなければ、今すぐ走り寄ってその顔面に拳を喰らわせたい。
そう強く思わせるほどの、意地の悪い笑み。
「ようこそ、勇者。この世界、ハルキゲニアへ。そして、我が城、「魔王城」へ」
俺は力なく笑みを浮かべた。
『運』?
変わらないどころか、悪化しているんだが。クソ野郎。
◇
この世界は、ハルキゲニアというらしい。世界の名前がなぜあるのかというと、これは俺みたいな奴の存在が大きく関わる。
遠い昔、神話の時代からこの世界は、俺のような異世界人を召喚していた歴史がある。
そのため、他の世界の存在が当たり前のように認知されていて、世界を区別するため名前をつけたという。
そんな下らないどうでもいい話を俺は歩きながら聞いていた。
切断された足はあの出来事が嘘のようになんともない。しかし目を閉じれば、あの焼ける様な痛みを思い出すことができる。
そのたびに俺の体を悪寒が走っていく。
俺が召喚されたのは城の地下のようで、長い階段を登っている間に、赤髪の女が説教たらしく色々と説明してくれている。
話に適当に相槌を打ちながら、俺は前を歩く二人を観察していた。
少女と女は明らかな主従関係がある。
少女が上。
そしておそらく力でも、少女が上のようだ。
道中、女がいかに「魔王様がすごいか」について語っていたからだ。
魔王は実力主義で決まるらしい。さらに少女は歴代最強と謳われるほどの天才だとか。
そんな華奢な体で?と思うが、魔法とかいうトンデモぶっ飛びステータスがあれば、見た目で判断はできないということか。
……。
そうなのだ。問題はそこではない。
力があるのは、ソレ自体問題にならない。
ゲームで考えれば、強い味方がいれば心強いのと同じように、その力の矛先が問題なのだ。
二人の電波な会話を聞いている限り、俺は『勇者』、そして少女は『魔王』。
一般的な言葉の意味を考えると、この二つの言葉の関係は「敵」であるということに集約される。
俺の力がどれぐらいあるかはわからない。
だが、魔王の足元にも及ばないと謎に自信満々に発言する赤髪の女に瞬殺されかけたことから、感覚でいうとレベル1。
魔王退治の旅に出てすらいない。スライムも倒していない。そんな状態だろう。
はっきり言って、カスだ。
そんな激弱な俺を召喚した。
俺が魔王の立場だったら、目的はただひとつ。
将来的に自分を殺しにくるなら。
殺ってしまおう、弱いうち。
なら何故俺は今も生きて、どこかへ向かって歩いているのか。
大衆の前で見せしめに殺そうというのか。
とてもじゃないが、聞けなかった。
俺たちはぐるぐると石造の螺旋階段を登っていく。
壁自体が燐光を放っていて、暗闇に困ることはなかった。
赤髪が歴代の魔王の説明をしていると、先頭をいく少女が急に口を開く。
「お前が本当に聞きたいのはなんだ?」
「……」
俺の心を読んだかのような発言。魔法は心まで読めるのか?と恐ろしくなったが、いつまでも黙りこくって青い顔しているんじゃ簡単に読まれるだろう。
言うか、言わないか。
どうせ死ぬなら、知らないうちに首を刎ねてほしい。
きっと死刑囚の苦しみは、絞首台に上がるまでに凝縮されているに違いない。
だから、知りたくはなかった。
「…俺を、殺すのか」
それでも俺は訊いていた。
死の恐怖と、偉そうな少女へのムカつきと、運を授けたとか言うあの訳のわからん奴への恨みで、衝動的に訊いていた。
「…ふん。殺すと言ったら?」
「さっさと殺せ…痛くないように」
俺の口調に赤髪の女が振り向くが、少女が手で制する。
「殺しはしない」
「なに?」
「詳しい説明は後だ」
そう言い捨てると、少女は前を向く。
赤髪の女もそれっきり黙ったままだったので、無言のまま俺たちは長い階段を登り終えた。
階段の先の古めかしい木製のドアを開けると、赤い絨毯が敷かれた長い廊下に出る。
天井には暖色の光を放つ照明。壁には高そうな絵画がかけられている。
中世のお城。
まんまそのような感じだった。
「こっちだ」
赤髪の女が俺に声をかける。
見ると二人が廊下の角を曲がろうとしていた。
俺は慌ててついていく。
それから迷路のような廊下や階段を進んでいくと、一際大きな扉が見えてくる。
門といった方が正しいかもしれない。
門には二人の門番。その顔を見た瞬間、俺は悲鳴をあげそうになった。
豚だ。
豚の頭が、恰幅の良い体に乗っかっている。
そいつらが、槍を持って立っている。
ここまで来ると、バカバカしすぎて特殊メイクだと疑う気すら無くなってきた。
俺たちの存在に気がつくと頭を垂れる。
少女と女は、それに反応すら返さず門へ近づいていく。
門の前に俺たちは立つ。
豚男?とでも言うのだろうか、奴らは十分に頭を下げると俺たちのために門を開けてくれた。
門は手入れされているのか一切の軋みなく、滑らかに開かれる。
そこに入れと言うのか。
少女たちの後ろから体を伸ばして開いていく門の奥を覗き込んだことを、俺は後悔した。
門の奥には、人以外のものがずらりと並んでいたからだ。
人の体に狼の頭が乗ったやつ。鳥頭、鼠。動物ベースのものや、みたことのない顔のやつ。
それ以外にもそもそも人型ですらないやつもいた。奥にでっかい虫みたいなやつも見える。
この中へ?まじか。
殺さないという少女の言葉が途端に嘘くさく感じた。
俺がためらっている間にも二人はずんずんと進んでいき、門番の間へと進んでいく。
その瞬間、ちらりと赤髪が後ろを振り向いて俺を見る。
ついてこい、さもなくば
目がそういっている。
わかってる。
いくよ。いけばいいんだろ。
俺は気づかないうちにゆっくりになっていた歩みを早めて、二人の元へ向かう。
近づけば近づくほど、その異形な姿が明らかになる。
筋骨隆々のはちきれんばかりの体は、豚の頭があることを除いても圧迫感があった。
背は俺の頭がちょうど胸にくるぐらい。
きっとこいつが持っている電柱と見間違えるような槍を何気なく振るっただけで、俺の胴体と下半身はお別れするのであろう。
自分で勝手に変な想像をしたというのに身震いしてしまう。
豚男の間をくぐり抜けようとすると、生臭い臭いが鼻をつく。
動物の臭い。たまに行く動物園で感じる独特の臭いだ。その発生源を見ないように息を止めて下を向いて歩く。
だが、奴らの間を通過する瞬間、舌なめずりの音が聞こえたような気がした俺は慌てて小走りになる。
目の前の頼りにしようとしている二つの背中すら、俺の味方だとは限らないが、とりあえず周りで一番「人」らしいので無意識に近寄ってしまう。
そんな自分が情けなくもあったが、こんな状況にあっては仕方がなかった。
後ろから嘲笑が聞こえたような気がした。
その幻聴はズドンという大きな音を立て閉まった門によって遮断される。
振動で体がびりびりと震えた。
だが、そうやって急いで門の中に飛び込んでみても状況は変わらない。むしろ悪化している。
目という目が、俺を射抜いていた。
好奇の目?獲物を見る目?
こんなふうに視線に晒されることになれていない俺は、それだけで体がうまく動かなくなる。
それでも足を懸命に動かす。
足を止めたら視線が強くなるのは分かりきっていたからだ。
ここはいわゆる謁見の間というやつだろうか。
恐ろしく高い天井と、馬鹿でかい広さの部屋だ。
広間の至る所には贅を凝らした装飾がこれでもかとちりばめられていた。
魔王というからにはもっとおどろおどろしいかと思ったが、白を基調としており清廉な印象を与える。
そんな広間の真ん中を見るからに高そうなカーペットが突っ切っていた。
その両端に化け物どもが並んでいる。
その中を左だけが半ズボンの珍妙な格好をした俺が歩くのだ。
笑えてくる。
だが、笑える気はしなかった。
広間の奥にはちょっとした階段があり、その上に黒曜石のように黒くつるりとした材質でできた玉座があった。
先導する二人が階段を登っていく。
流石に登るわけには…いかないよな。
階段の前で立ち止まった俺は、なるべく周りを見ないよう下を向く。
下を向いても視線を感じる。
二人の足音が止まった。
その瞬間、大勢が動く音がした。視線もいきなり消えた。
何事かと、横目で見ると化け物たちが跪いている。
「おい、貴様」
凛と透き通る声でありながら、怒気を隠さない敵意の声が聞こえた。
俺は心の中で舌打ちをして、顔をあげる。
「魔王様の御前であるぞ」
玉座には少女、そしてその斜め後ろに立つ女が俺を睨んでいた。女だけではない。さっきまでとは比べ物にならない視線の密度が俺を殺しにかかっていた。
そんなの知らないし。
だが、態度に示せばどうなるか予想がつくのが忌々しかった。
俺はゆっくりと片膝を立てて跪く。
その姿を女は満足そうに見つめ、魔王である少女はなんの感情もない瞳で見ていた。
つまらなさそうに、明らかに体格に合っていない玉座で頬杖をついている少女はすっと空いている手を伸ばす。
「面をあげよ」
それを合図に女が声をあげる。
その言葉一つで一斉に広間にいる者が顔をあげる。
俺を苦しめた視線を真正面に受け止めているというのに、二人の顔には動揺が一欠片も見られなかった。
「ここに集まってもらったのは、他でもないこの勇者の処遇についてだ」
ざわり。と、ここで初めて群衆がざわめいた。
しかし、それは一瞬のことだった。訓練された軍人のように皆平静を取り戻し、すぐさま広間は静まり返る。
「勇者よ、今、さきの質問に答えよう」
気だるそうに少女が言う。
女より遥かに小さい声だったが、不思議とはっきりと聞こえた。
「そうでございますか」
「……まあ、いい。」
かしこまって慣れない言葉を使った俺に、少女は何か言いたそうだったが追及はしないようだった。
「魔王が勇者を召喚した。敵であるならば、殺すべき。当たり前の話だ。だが、そうはしない」
「……」
「お前がいる限り新たな勇者は現れない」
……なるほど。
読めたぞ。
少女が立ち上がる。無数の視線がそれに率いられるように動く。
「立て勇者よ」
俺は立ち上がり、少女を見上げる。
透き通る紫の瞳が俺を見ていた。まるでモノを見るかのような冷たい目だ。
ここにいるどの視線とも質が違う。
「お前に望むのはただ一つ。我に従え。死ぬまで」
「…ここに一生居ろと?」
俺の発言に外野がざわめく。大方、無礼だとかなんとか騒ぎ立てているのだろう。
「我としたことが、言葉を間違えてしまったな」
ふっ。と少女は自嘲するようにわらった。
俺にした仕打ちさえなければ、見惚れてしまいそうな笑みだった。
それでも俺の心に波風はたたなかった。
いや、恐ろしく凍てついていて、少女の為すこと全てにイラつくのだ。
これはきっとあれだ。
学校1のマドンナが自分に嫌悪感を抱いていると知った瞬間、無条件で彼女の自分に対する言動全てが虚しくすり抜けていく感覚、とでも言おうか。
もうしゃべるなよ。どうせ俺のことが嫌いなんだろ?
そんな感じだ。
そんな俺とは対照的に、少女の微笑みに化け物どもは感嘆の声を漏らしていた。
少女の後ろに立つ女だけが、顔が見えないので何事かと戸惑っていた。
というかお前らそんなナリして美醜の感覚は俺と変わらないのか?
「これは命令だ。拒否することは許さん。従うのだ勇者よ」
「いやだと言ったら」
少女は俺の言葉があまりに意外だったのか、目を見開いた。
やってやった!
そう思ったが、同時に後ろの女の形相を見て後悔した。
だが。
「…お前たちは俺を殺せない。そうだろ?」
俺はニヤリと笑う。
「小賢しいな。だがな、手足を切断して生かすこともできるのだぞ」
…あ、そういう手もあるか。
とういうかなんで気が付かなかったんだ。地下室でざっくりやられたのに、もうすでに歩けているこの状況。
この世界には魔法があるのだ。手足を切断しても死ぬ確率は限りなく低いかもしれない。
それなら逃げることのないように芋虫にしてしまう方が良い。
俺は選択を誤ったことを悟った。
殺されないとわかった瞬間、調子に乗ってしまった。
いつしか俺に向けられる視線は肌を突き刺すほどに鋭くなっていた。
こういうところなんだ。俺は。
今回は運かどうかはわからないが、肝心なところでしくじってしまう。
「マジかぁ。ダルマは嫌だな」
緊張でおかしくなっていた俺の気は、たった一瞬にして萎んでしまった。
怒涛の後悔が俺を襲う。
「おとなしく、首を縦に振っておけば良かったな」
「そうだな…全くだ。今から従うってのは?」
「魔王様に数々の無礼な発言をしているというのに、なんて奴だ!そこになおれ!!」
どうやらダメなようだ。
特に赤髪の女は今すぐにでも俺の「あんよ」をおさらばさせたいらしい。
地下室での記憶が蘇り、体が無意識に震えた。
少女も何を考えているかわからない目で俺を見るばかり。
これは望み薄だな。
あーあ。死んじまって、願ってもいない転生をさせられて、コスプレ野郎に足を切断されて…。
そして今にでも手足をバラバラにされそうで…。
俺は長年付き添ってきた両手をみる。
どうせ、ダメなら。
何かが吹っ切れた。
そして言葉が勝手に口からついて出てくる。
「ならさ。バラバラにされる前に、一発お前を殴らせろ」
しん。と広間が静寂に包まれる。本当に誰の息遣いも聞こえない。
そして。
「貴様ァァァァ!!」
言葉の意味を誰よりも早く理解した赤髪の声を合図にして、俺は怒号の嵐に包まれる。
「殺す!!」
女が手を振り上げる。
その手は陽炎のように揺らめいていた。
地下室のときように切断するつもりだろうか。
だが、彼女が不可視の斬撃を放つ前に俺の横に何かが降り立った。
体が揺れるほどの地響きが俺を襲う。
見ると、ライオン頭が横に立っていた。
豚頭より背は低いが圧迫感が違った。格が違うというのはこういうことだろうか。
動物特有の澄んだ目をしていたが、その瞳の奥にある感情は容易に想像できた。
両手はまさしく猫科の手で、爪をアメコミヒーローのように剥き出しにしていた。
「コロス…」
知性なき声が囁きかけられる。
おいおい。いいのかよ。
そう注意するまもなくライオン頭は腕を振りかぶっていた。
俺は丸太のように大きな腕の影にすっぽりと覆われてしまう。
そして挙げた腕は下ろすものだ。
ぐんと重みのある音を上げて腕が迫る。
あ、これほんとに殺されるわ。
ライオン頭の腕の奥にシャンデリアが輝いているのが見える。
これが「2度目の」最後の光景なのか。
殺される瞬間だというのに、嫌に俺は冷静だった。
だが、その腕は、振り下ろされるはずだったその腕は目の前でピタリと止まった。
ぶわりと風圧で俺の髪が揺れ、髪が数本パラパラと舞い落ちる。
あと少し遅かったら…。
俺は死が遠ざかってから、恐怖を感じていた。
死を煮詰めたような腕を止めたのは、謁見の間に響き渡る少女の笑い声だった。
「ふははははは…一発殴らせろ?クハハハ…面白い。面白いぞ」
突然笑い出した少女に俺は唖然とする。
「魔王サマ…」
ライオン頭の方が衝撃的だったらしい。
俺の存在すら忘れてケタケタと笑う少女を見つめていた。
驚きのあまり、舌をしまい忘れている。
違うな。
この広間にいるすべてのものが動揺していた。
みんなこの世のものではないものを見たかのような顔をしていた。
この世のものではないのはむしろお前ら自身だというのに。
職務に忠実そうな門番もなんだなんだと入り口から顔を覗かせてギョッとしていた。
赤髪の女も例外ではなかった。
何かを放とうと手を斜めに振り上げたままポカンとしていた。
周りが自分より動揺していることに気がつき冷静になった俺は、気づかれないようにそっと爪の届かない安全圏へ下がった。
皆から奇異の目を向けられているというのに少女はしばらく笑い続けた。
いつまで笑うのかと思った途端、ギャグみたいにすっと表情を元に戻す。
そこにはまた、あの不気味な瞳しかなかった。
あの笑いが幻だったかのようだ。俺でさえそう思うのだからライオン頭たちが驚くのも無理はない。
笑い終えた彼女はストンと玉座に座る。
「気に入った」
足を組み頬杖をついた少女はそう告げ、俺を見る。
相変わらず何を考えているかわからない目だが、その目はさっきまでとは何かが異なっていた。
彼女はぐるりと広間を見回す。
「皆のもの、良いか。この男に危害を加えてはならぬ」
「魔王様!!」
いち早く平常心を取り戻した赤髪の女が咎めるように声を出した。
「うるさい、黙れ」
「…!!」
たった一つの叱咤で赤髪は引っ込まざるを得なかった。
「他のものも、文句はないだろうな」
状況がうまく飲み込めていないもの、理解した上で彼女の言っていることが分からないもの。
とにかく皆が皆、無礼を働いた俺を無罪放免とすることについて首を振ることを躊躇ったが、見えない圧がそれを許さなかった。
「沈黙は肯定とみなす。話は以上だ。勇者の顔を覚えたものから帰れ。あぁ…そうだ。部下にもよく言い聞かせるのだぞ」
誰一人としてその場を動けなかった。
「…聞こえなかったのか?」
その言葉に、一番離れていた門番が何とか反応できた。
中を見るために少し開けていた門を思い出したかのように慌てて開ける。
入った時と違い重厚な音がして、門が開け放たれた。
その音にはっと我に帰ったものが痺れた足をほぐすようにヨタヨタと歩き出す。
誰も俺の顔を見ることはなかった。
夢遊病患者のように宙空を見つめて、一人また一人と出て行った。
気がついたら広間にいた百鬼夜行はほとんど残っていなかった。
じゃあ俺も。
未だショックから戻ってこないライオン頭の横から、抜き足差し足離れていく。
行く宛はないが、最後に出るのは何となく嫌だからな。
「どこへ行く?」
俺の背後で少女が誰かを呼び止めているが、まあ俺ではないだろう。
知らん知らん。
「また切り飛ばされたいのか?」
「……なんだよ」
さすがにその「殺し文句」を言われては、立ち止まらざるを得なかった。
後ろを振り返った俺の目に、微笑んでいる少女が映った。
愛らしいという感想よりも、得体の知れないという感想を抱いた。
「…お前を客人として迎えることにした。腹は減っているか?」
「……減ってな」
「毒は盛らないと約束しよう」
俺は小さく舌打ちをする。
尽く俺の心を読みやがって。本当にそんな魔法があるってのか?
「お前の心は読みやすいのだ」
また少女が俺の胸の内を見透かしているように言い放った。
「…もしかして魔法か?」
「そうではないが、思考が単純なのだ。自分では複雑に考えているようで、側から見ればそうでもない」
「最悪だ」
「フフフ…そうでもないぞ。現にお前はその思考のおかげで5体満足でそこにいるのだ」
「なあ、もしかしてお前ってM…いや何でもない」
幸運なことに、俺が言い淀んだ言葉は彼女の耳には入らなかったようだった。
彼女は立ち上がり、ゆっくりと階段を降りてくる。
「魔王様…」
赤髪の女が声をかける。
「アークン…先に支度をしておいてくれ」
あの女、アークンというのか。
赤髪、もといアークンは悔しそうに俯くと、小さな声で「…承知いたしました」と答えた。
たっと少女の横を早足で降りる。
変に強張っているのか足音がやけに大きく聞こえた。
俺の顔すら見たくないようで、横を通り過ぎる時もずっと俯いていた。
早足で小さく門の外へ消えていく背中を見て、何か申し訳ないことをした気持ちになりそうだったが、そうはならなかった。
こうしてあれだけ居た広間には、俺と少女と、そしてライオン頭だけが残された。
「さあ…行こうか」
アークンの姿を見送っている間に、少女が目の前に来ていた。
ギョッとするほど綺麗な顔で俺を見上げている。
「あ、ああ。ただ、コレ、そのままで良いのか?」
俺は恐る恐る、彫刻のように固まったライオン頭を指差す。
「知らん」
「知らんかぁ…」
「邪魔ならどかすが?」
そういってグーの形の拳を掲げたので、俺は首を横に振った。
か弱い少女が振り上げた拳だというのにどういうわけか、ライオン頭の拳よりも恐ろしく「あ、これは死ぬな」と思った。
別にライオン頭がどんな目に遭おうが関係ないが、目の前でやられるのは勘弁だった。
少女は端からライオン頭に興味がないのか、さっさと歩き出して行ってしまった。
「じゃあ、俺はこれで…」
許しを得る必要もないが、なんとなくライオン頭に一声かけて俺は少女を追いかけた。
◇
「うわぁ…」
見渡す限りのゲテモノ。
蛍光色のフルコース。
冗談みたいに長いテーブルの端と端に俺と少女は座っていた。
周りには多種多様なメイドや執事がずらり。
そして最早定位置と化している少女の後ろに、アークンが立っていた。
この環境で、これらを食せというのか。
「こういったものをなかなか口に入れる機会はないだろう?」
距離は離れているが、広間と同じであまりにも静かなので声がよく届く。
「そうっスね…」
これは、虫だな。
食べないで!と言わんばかりのマーブル模様の虫が、腹を切り裂かれて美しく装飾された皿の上に乗っていた。
肉の色はまさかの紫。
「素材を生かした料理だ」
見ればわかる。
個人的にはもう少し素材を隠して欲しかった。
無駄にフレンチのようにおしゃれにソースをかけているところが腹立たしい。
匂いは良いんだが、いかんせんビジュアルがダメだった。
色々あったせいか腹は空いていたので、なにか自分でも食べられそうなものを探す。
墨のように黒い草が山盛りに盛られたボウル。それにかかっているのはショッキングピンクのドレッシングだ。
こいつは蛇の丸焼き?とぐろを巻いたものがでん、と皿に乗っている。ただ足が三本あるが……。
カクテルグラスに盛られた目玉のようなゼリー。見られているようで広間での視線を思い出してしまう。
本当にロクなものがない。
嫌がらせなんじゃ…。
そう思ってテーブルに置いてある燭台の奥を盗み見るが、俺と同じような内容だった。
しかし、魔王と呼ばれる存在と同じメニューということは、これらはこの世界の最上級の料理なのか。
だとしても無理なものは無理だ。
カレー味のうんこを食わないで済むなら誰だって食わない。
「さあ、存分に味わうがいい」
そう言った本人は食べようとせず、じっとこちらの様子を伺うばかり。
変な空気感に耐えられず、とりあえず安全そうな水を飲む。毒を盛られている心配はあったが、口を付けなければつけないで機嫌を損ねては不味かったからだ。
「おぉ…」
甘い。砂糖のような濃い甘さではないが、舌がほのかな甘みを感じた。
体が次を求める。
間を持たせるためにちびちびと飲むはずだったが一気に飲み干してしまった。
それを見て少女が指をクイクイとさせる。
途端に一つ目のメイドがよってきて俺のコップに水を注いでくれた。
ちょっと近い。そして一つ目は怖い。
それでも出された水を口に入れてしまう。
がっついているようで気恥ずかしかったが、水を飲む手は止められなかった。
「そう水ばかり飲んでいると肝心の食事が腹に入らぬぞ」
その飯を腹に入れたくないから飲んでいるんだ、とは言えず、俺は仕方なく食事に目を向ける。
どれもこれも毒としか思えない。
色的に問題はなさそうな、蛇もどきの丸焼きに手を伸ばして気がついた。
大きい丸焼きの皿に隠れていたが、何かのフライが皿に乗っていた。
こいつならいけそうか。
他の皿をどかして、フライを引き寄せる。
牡蠣のフライのように俵状になっている。端の方にレモン。
見た目も匂いも悪くない。
ずらりと並んだフォークやナイフを適当に掴む。
そんな俺にアークンが眉を顰める。
マナーなんざ知らないんだよ、こちとら一般人だ。
「じゃ、いただきます」
癖で手を合わせてつぶやくと、物珍しそうにアークンと少女がこちらを見ていた。
「なんだそれは、呪文か?」
「呪文というか、まじないみたいなもんだ。食材に感謝するみたいな」
「ほう…勇者にしては殊勝な心がけではないか。神に祈らず、食材に祈るところも興味深い」
何がお気に召したかはわからないが、少女は満足したようだった。
そんなことより長年の「いただきます」をトリガーとして、俺の体は食事だ!!とはしゃぎ始めていた。
グルルルと腹が鳴き始める。
とりあえず食うか。
頼むから切った瞬間、食欲を失わせないでくれよと祈りながらナイフを何かのフライに差し込む。
サクッと心地よい音と感触。そしてすぐ重みのある感触が伝わる。
とんでもなくジューシーな中身が詰まっているようだ。
切り口からぶわりと甲殻類を思わせる濃厚な香りが漂ってくる。
期待と不安で唾を飲み込むと、ナイフを切り進める。
そして切り口をナイフで抑え、フォークでフライを横に広げる。
中身は…。
嬉しいことに問題なしだ。白くプリッとした中身がそこにあった。
当たりも当たり、大当たりだ。
探せばあるじゃないか、食えるもの。これはきっと伊勢海老のフライに違いない。もしくはオマール海老。
我慢できず、皿に顔を近づけるようにして食らいつく。
「うめぇ!」
熱を通してもみずみずしさを保っている身は、噛めば噛むほど深い味で口の中を満たしてくれる。
食感もプチプチと繊維を引きちぎるようで楽しい。
殻ごと揚げているようだが、いわゆるソフトシェルというやつで食べにくさは感じない。
むしろえびせんのような香ばしさと食感がアクセントになって…
とにかく美味かった。
魔王の食事ということにも納得だ。
俺はこれだけ多くの観衆に見守られているというのに、それすら忘れて口に運んでいく。
「口に合ったようで何よりだ…ほれ、そこの果汁をかけるとなお美味いぞ」
「あ?おう……うまっ!!」
「おかしなやつだ。あれだけ警戒していたというのに、今は獣のようにホワイトローチのフライにがっつきおって」
「食えるときに食っとかないとな!」
ふーん。これはホワイトローチっていうんか。
ローチ、ローチねぇ。ふうん……。甲殻類にいたっけローチ…。聞いたことないな……。
……
………
…………!!
「次は青くなったぞ。アークンよ異世界の勇者は皆こういうものなのか?」
「申し訳ございませんが、私にはわかりかねます」
◇
俺が食べたのは節足動物だったというのが結論だ。
吐き出すことは避けられたが、あれから食欲は消え失せた。
食事はもう結構だ。というとメイドたちに連れられて、とある部屋に通された。
そこそこに大きな部屋。
家具一式が揃っており、奥の方にベッドがあった。
俺が中央で部屋を眺めていると、メイドが一礼して何も言わずに去っていった。
ここまでの道中も一言も喋らなかったし、感じが悪い。
とは言っても顔立ちがいくら整っていたとしても、目の中に瞳が三つあるようじゃ、お近づきにはなりたくないのでどうでも良いが。
一人になった俺はベッドへ倒れ込む。
少し湿っぽいのはあまり使われていなかったせいだろうか。ほこりっぽくもある。
だが、安心できる柔らかさにようやく本当に落ち着けた。
落ち着いた途端、さっきの食事が顔を出しかける。
酸味のある液をなんとか飲み込む。
これから何があるか聞いていないし、することもないので天井を眺めてみる。
木製の天井に動力のわからない灯りが輝いていた。
少女を筆頭に、この城の中にいるやつは全員何かしら「おかしい」。
漫画やファンタジーではよくある特徴ではある。獣の顔をしていたり、角がはえたり、手が四本あったり、目が三つあったり。
デフォルメされた創作物では個性として受け入れられた。
だが実際に見たらどうだ。
比較的ライトな角でさえ、人の頭に乗っかっているだけで違和感を感じる。
おまけにそいつらは「魔法」というチートみたいな能力が使えるという。
周りが見た目も中身も化け物ばかり。飯はゲテモノばかり。
俺はこんな世界にほっぽり出されてやっていけるのか?
話を聞くに一生俺はこの城に閉じ込められそうだ。
あの天使もどきは俺に何を授けたって言ってたっけ。
運。
どこがだ。
変わらないどころかむしろ悪化しているのは間違いない。
「なるほどねぇ…」
運は運でも「不運」ってわけか。運がないやつにさらに不運を付け足して何になる。
アイツは俺に恨みでもあるのか。
ついでに言えば俺がここに囚われている以上、どこかにいるであろう人類に勝ち目はなさそうだ。
人類全体が不幸に落ちたといえる。
それなら人類側が幸せになるには、俺を救う?
困ったことに今のところ俺が人類側の戦力にはなれなさそうだ。俺がいる限り、別の勇者が現われない。
俺が無力だと知った時、人類側がどうするのか。
「クソだな…」
俺は考えることをそこで切り上げて、とりあえず目を瞑った。