姉と妹 (六文の舟3)
*双子のおかあさん*
「仲がいいですね。お孫さんですか」
公園のベンチに並んで腰掛ける二人に、私は声をかけた。
二人は「はい」と微笑む。おばあさんの方は70歳くらいだろうか、女の子の方は中学生くらい。年齢は離れているけれど、どことなく面影が似ている。それでお孫さんに違いないと思った。
「かわいい。双子ちゃんね」と女の子が覗き込む私のベビーカーは、ちょっと変わっていて、二人が乗れるように前後2列にシートが繋がっている。
「双子だと、お散歩も大変そう。抱っこも一人ずつ交互でしょ」二人一緒に泣きだしたら困るわね。と心配そうに聞くので、「小さいころは右手と左手に一人ずつ抱っこしていたんだけど」
と両腕を曲げて答えた。
「へえ、すごい。母は強しだね」
「でも、大きくなっちゃったから二人抱っこはもう無理ね」
女の子に呼ばれたおばあさんは足が悪いのかしら、少し歩きにくそうだ。
聞けば、二人は最近この近くに引っ越してきたらしい。
「子どもの頃、この先に住んでいたんですよ。もう50年も昔のことですし、知り合いもいなくなりましたわ」
このあたりも50年前とは随分と変わってしまったのではないかしら。私が聞くと、
「20年前に一度だけ父母の葬儀で来たんですが、あの時はすぐに帰ってしまったから。でも、田舎の方はあまり変わっていませんわ。変わったのは人だけ」
そう答える彼女は少し寂しそうに見えた。
「でも悲しいわけではないの。人が変わったのは新しい命に引き継がれたからでしょう。次の未来はあなたたちが作るの。
その繋がりが私たちの生きてきた証でもあるのよ」
彼女がここに戻ってきたのは、きっとこの土地を愛していたからよね。でもどうして50年も帰らなかったの?
女の子は何かを考えるように、しばらく黙り込んでいたけれど、突然
「人は一人で生まれてきて一人で死んでいくでしょう。でも双子は一人じゃないんだよね。生まれる前から一緒。それって素敵じゃないですか」
と思わぬことを言いだす。
「そうね、二人にはずっと仲良しでいてほしいわ」私は心からそう思う。
「でも人生はそれぞれだし、色々あるでしょう。双子の人生も別々なの」
うふふ、なんて大人びたことを言う子なのかしら。でもその通りだわ。
「お嬢さんの言うとおりね。気をつけなきゃ。何をするのも一緒で、いつも「あっちゃん、ゆっちゃん」って二人まとめて呼んでいるもの」私がそう言うと、女の子は急に嬉しそうに
「あら、わたしたちも同じよ」と言った。
どういう意味かしら? 私は首を傾げた。
*お隣の藤田さん*
「おや、佐倉さんのところのゆきさんかい、あきさんの方かな」わたしは懐かしい顔を見つけて声をかけた。お隣の佐倉家の娘さんだ。子どもの頃は毎日見かけたけれど、中学を卒業する前に二人とも家を出てしまった。今日は両親の葬儀のために戻ってきたようだ。
「藤田さん、ご無沙汰しています。柚季です」
もう40代の半ばになるはずなのに、ゆきちゃんの笑顔は子供の頃と変わらない。
「わたしが知っているのはこんな小さな頃だったからね。すぐにはわからなかったよ」
「30年ぶりですから、わからなくても無理ないですわ。私もすっかりおばさんになってしまって」
彼女が残念そうに言うので
「みんなそうですよ。わたしなんかもう子供たちに長生きしてねと励まされるばかりでね。誰でも時が経てば歳をとるのは自然です」と答えた。
彼女の隣には中学生くらいの少女が立っている。
「そちらは、娘さんだね。あなたにとてもよく似ている」
わたしが、少女に向かって「こんにちは」と右手を挙げると少女は「おじさん、こんにちは」と明るく答えた。
ゆきちゃんとあきちゃんと言えば30年前の商業ビル火災のことは今も忘れることができない。
「あれはひどい火事でしたね。でも二人とも助かってよかった。あの時、大怪我をされたお姉さんは良くなりましたか」わたしが聞くと、
「いいえ、あの時、怪我をしたのは私の方ですよ。今では気づかれないほどに回復しましたが、完全には治らなくて。走ったりするのはちょっと」と足をさする。
そうそう、怪我をしたのはゆきちゃんの方だった。
「それでは、双子のあきさんは元気にされてるのですか」
「ええ、姉の彩季も元気にしてます」
彼女は穏やかに微笑んだ。
*幼なじみの翔平くん*
「柚季ちゃん」
おれはドアの横に一人で立つ女性に声をかけた。まさかこんな所で柚季に出会うとは。
14年前のあの火事のあと、幼なじみの彩季と柚季は家を出てしまった。その後おれは東京の大学へ進学し、卒業したあと、そのままここで就職した。小さい頃に父親を亡くし母子家庭で育ったおれだったが、母親を一人残して東京に出てきて10年目、深夜の地下鉄で故郷の同級生に出会うとは思ってもいなかった。
柚季が露骨に気まずそうな顔をしたので一瞬ひるんだけれど、すぐに昔と変わらない笑顔で「奇跡だね!こんな所で会うなんて」と言ったのでほっとした。
当時は、みんな二人のことを「あっちゃん」「ゆっちゃん」と呼んでいたから「柚季ちゃん」なんて呼ばれて戸惑ったのかな。
「久しぶり。元気そうでよかった」
「翔平くんは立派な社会人になったねー」柚季がいたく感心するので、
「おれも来月には親父よりも年上になるからさあ。この先は親父が歩んでいない人生を生きるわけだ」
と感慨深く言ってみた。柚季はこれには関心する素振りなく、
「死んだ人は、年を取らないから」と言った。
「柚季、」と呼ぶ声に振り向いて目を疑った。柚季を呼んだ目の前の女の子も動揺しているように見える。
「私の妹よ。翔平くんは会うのは初めてだっけ」柚季が言う。
「お姉ちゃん、この人は? 」
「幼なじみの森川翔平くん」
「こんばんわ。こんな所で地元の友だちに会うなんてすごいね」
女の子からはさっきの緊張感は消えていたけれど、おれの混乱は止まらない。
「きみ、彩季じゃないよね」
その言葉に柚季は呆れ顔で「当たり前じゃない。いくつだと思ってるの。この子は歳の離れた妹よ」と笑う。そして、知らなかった? でも14歳も離れていたから知らなくても無理ないわと言った。
そうなのか? 柚季は双子の彩季と兄の三人兄妹だとばかり思っていた。でも彩季なわけがないか。この子せいぜい中学生だもの。
間もなく二人はじゃあね会えてよかったわと言い残して去っていった。二人の姿が見えなくなってやっと落ち着いたけれど、あの子を見たときは、ほんと息が止まるかと思ったよ。
*彩季*
小さな頃、母から祖母が生き返った話を聞いたとき、なぜかこれは真実の話だと思った。キャンプ場で事故に遭った母を捜し続けた祖母の話だ。不思議な話だったのに、怖さも、違和感も無かった。
私には同じ祖母の血が流れている。同じことが出来るに違いないと確信できた。
中学生になった今もその確信は変わらない。
今、私はそれを使おうとしている。できれば使いたくはないけれど。
それがどういうルールで行われるのか、まるでわからないし、祖母にしても自らの意志で生き返ったわけではない。自らの意志でそれを利用しようとする私は、許されるだろうか。
考えている時間はない。他に方法はない。
逃げる時間は十分にあった。ビル従業員の誘導で全員が避難した。はずだった。
下の階で破裂音がしたあと床が大きく揺れた。警報が鳴り響く異様な状況にその場にいた誰もが色めき立ったが、火の廻りはゆっくりで、消防が到着する前に200人が安全に屋外に移動できた。避難訓練みたいだわと思った。
その緊張感の無さゆえに柚季がいないことにすぐに気づけなかった。
この状況で避難できていないということは、きっと何かトラブルがあったに違いない。
消防車両が次々と押し寄せる間にも、真っ黒な煙と炎はさっきまでとはまるで違う凶暴さで広がり続けている。柚季にとって一秒の猶予もないのは明白だった。
私は勇気を振り絞り、炎に包まれ始めた建物の中に入っていった。二人が共に生きて戻れますように。
あの時、私たちがいた3階のフロアでは50人ほどが食事をしていた。あの中に柚季はいただろうか。どちらにしてもそれより上の階には行っていないはずよ。大丈夫、必ず見つけられるわ。館内は真っ黒な煙に覆われていたが足元はまだよく見えている。それでも高温の煙を吸い込むたびに激しく咳き込む。急がなくちゃ。火は怖いけれど、今は厚手のコートが体を守ってくれる。フードを深く被り体を低くして進んだ。
周囲に目を凝らし、名前を呼び続けてもあたりを包む響めきで何も聞こえない。
こんなとき、柚季ならどうする? 私は柚季の気持ちになろうとした。そこで厨房の前に横たわる柚季を見つけた。苦しそうにしているが意識はある。やはり足を怪我しているようだ。
おそらく爆発の衝撃でこの吹き抜けの上から転落したのだろう。命を落としていたかもしれないあまりの高さに背筋が凍りつく。
私の姿を見つけた柚季は「彩季!なんて無茶するのよ。早く逃げて」と声を荒らげる。
「大丈夫、私にまかせて」
柚季を背負い、出口に向かおうとした時、大量の煙と炎が渦を巻き階段を駆け上がってきた。
「彩季、もう無理よ。あなた一人なら逃げられるわ」
柚季は私の背中から降りようと身体を捩る。
「動かないで。言うことを聞いて。
妹は姉の言うことを聞くものよ」
でもどうすればいいの。
次第に、柚季はぐったりと力を失くし、さっきから呼んでも返事が無い。
不自由な足で彼女が厨房へ向かった理由は何? とにかく急いで厨房の中に逃げ込んだ。ここは他の場所より煙が少ない。もし、火を使う厨房で火災が起きた時、延焼を外に広げない構造になっている可能性はある。だったら逆もいえるはず。柚季はそう考えたんだわ。
それでも煙は少しずつ増えている。来るのが少し遅かった。
完全に閉じ込められたわね。残念だけど、残された方法はもうこれしかないみたい。
目の前にある大型の冷蔵庫。少しくらいの時間稼ぎならできるはず。
冷蔵庫のドアを開け、中の物を片っ端から放り出した。食材も棚も全て空になると、子供一人くらいなら入れるスペースが生まれた。こんなものでどれだけ火と煙が防げるかしら、酸素はもつかしら、どのみち長く持たないことは明らかだけど鎮火までもうそれほど時間はかからないはず。少しの間凌げればチャンスはある。
柚季を中に押し込み、しっかりとドアを閉じ外から押さえた。床にうずくまり、少しでも煙を吸い込まないように、コートの袖で口を覆った。
黒煙はもう部屋のほとんどをを埋め尽くしていた。
*柚季*
気が付くと病院のベッドにいた。一酸化炭素中毒で危険な状態だったらしいが危機は脱したようだ。両足は複雑に骨折していて完全に治るかわからない。隣のベッドで彩季が寝ている。よかった二人とも助かったのね。
聞くところによれば、鎮火まで随分と時間がかかったらしい。安全を確認したあと、消防隊員が館内に入ろうとした時、中から私を背負った彩季が出てきたという。以前、彼女は「自分の家族は助けるけれど、他人様までは助けないわよ。テレビのヒーローじゃないんだから」と言っていた。でもやっぱり彩季はヒーローなんだと思う。
大きな火事だったのに、誰も亡くなることなく済んだのは本当に良かった。気が付くと彩季が目を覚ましていてこちらを見ている。
「彩季、大丈夫なの」私が聞くと、
「全然平気よ」と明るく答えた。
* 姉と妹 *
二人はベンチを離れ、自分たちの家へ向かった。故郷に戻ってきてから、この公園に来るのは初めてだったけれど、すぐにお気に入りの場所になった。
たまに今日みたいな素敵な出会いもある。
老婦にあわせてゆっくりと歩く二人は、傍から見れば、仲のいい祖母と孫娘にしか見えない。
最初に異変に気付いたのは彩季だった。公園の入り口あたりで起こった不穏な騒めきが一気に二人の方へ押し寄せる。散歩の親子、ジョギングの若者、ユニフォーム姿の高校生がこちらへ向かって走ってくる。
目を凝らすと、キラキラ光る何かを手にした男が暴れているのが見える。こんなのに巻き込まれては大変だ。早く逃げなくては。
彩季は柚季の手を取り、急いで立ち去ろうとした。そしてもう一度振り返り、男の姿を確認したとき、見つけてしまった。
さっきまで話をしていた双子のおかあさんが男の足元に倒れているのを。そして自分たちと同じ名前の二人を乗せたベビーカーを。
彩季は柚季の手を放し、逃げる人の流れに逆らい駆け出した。
「彩季、行ってはだめ。待って」
柚季は後を追おうとするが足がもつれて追えない。
紫のジャケットを着た短髪の若者が、刃渡りの長いナイフを振り回している。無軌道に振り下ろされる刃物は動きが読めないばかりか、捨て身で襲ってくるため誰も近づくことが出来ない。
周囲が逃げ惑う中、彩季は少しのためらいも無く男の背中に体当たりをした。不意をつかれた男は大げさに地面にたたきつけられ、彩季も、男があっけなく倒れてしまったので勢い余って地面に転がってしまった。二人の間に土煙が舞う。
彩季はいち早く小さな体を起こし立ちあがると、ベビーカーの取っ手をつかみ走った。
「彩季、急いで、早く逃げて!」
起き上がった男が怒りの表情で真っ直ぐに彩季を追う。
「急いで、早く! 早くこっちへ」柚季は大声で叫ぶ。
彩季がこちらに逃げてくれば、柚季は体を張って男を止めるつもりでいた。何としても彩季を助けたかった。しかし彩季は柚季からどんどん離れていく。
柚季は不自由な足で懸命に彩季を追い、彩季は男から離れようと必死に走る。しかしベビーカーは高速で移動するには向いてはいない。
柚季の目の前で男が彩季の背後に迫る。
・・・
「その繋がりが私たちの生きてきた証でもあるのよ」
柚季は両手で、彩季の背中からとめどなく流れる血を止めようと必死で押さえた。
「助けて、誰か助けて」叫んでも、誰にもどうすることも出来ない。
「救急車を呼びましたから、すぐに来てくれます。頑張ってください」と誰かが言った。
「あの子たちは無事よ。あなたのおかげ。おかあさんも大丈夫。もう心配ないから」
柚季は彼女に声をかけ続ける。
「あなた、無茶しすぎよ。他人様は助けないんじゃなかったの」
「あの親子が、他人に思えなくて」
彩季は完全に顔色を失い、危険な状態であることは柚季にもわかる。
「柚季、体を起こしてくれる。寝転んでいるとすごく痛いの」
「できないわ。血が止まらないの。救急車が来るまで動いては駄目」
「いいの。2回目だからわかるのよ。もう間に合わないわ」
彼女の言うことは、きっと正しいのだろう。
彩季はまた戻ってこられるだろうか。しかし、2度目はもう無いと感じた。
中学生の彩季は、年老いた柚季の制止も聞かず彼女の腕をつかみ、あらん限りの力を込めて体を起こすと
「妹は姉の言うことを聞くものよ」と言った。
ばか言わないで。一緒に生まれてきたんだから